日経夕刊の一面を飾ったこのニュース。
「外国政府に日本の民事裁判権が及ぶかどうかが争点となった訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は21日、「商業的な行為については、国家主権を侵害するおそれがあるなど特段の事情がない限り、民事裁判から免除されない」として、商取引などについては外国政府にも日本の裁判権は及ぶとの初判断を示した」(日本経済新聞2006年7月21日付夕刊・1面)
制限免除主義に立つ学説や下級審裁判例が
有力に取り上げられるようになり、
最高裁も最二小判平成14年4月12日*1で、
制限免除主義の採用を示唆するに至っていたから*2、
このような結論に至るのは時間の問題だったといえる*3。
上記記事になった最二小判平成18年7月21日は、
「国家の活動範囲の拡大等に伴い、国家の行為を主権的行為とそれ以外の私法的ないし業務管理的な行為とに区分し、外国国家の私法的ないし業務管理的な行為についてまで法廷地国の民事裁判権を免除するのは相当でないという考え方(いわゆる制限免除主義)が徐々に広がり、現在では多くの国において、この考え方に基づいて、外国国家に対する民事裁判権免除の範囲が制限されるようになってきている。」
という従来から言われていた前提に加え、
「平成16年12月2日に国際連合第59回総会において採択された「国家及び国家財産の裁判権免除に関する国際条約」も、制限免除主義を採用している。」
という事情を上げて、
「私法的ないし業務管理的な行為についても法廷地国の民事裁判権から免除される旨の国際慣習法はもはや存在しないものというべき」
とする。
そして、
「外国国家の私法的ないし業務管理的な行為については、我が国が民事裁判権を行使したとしても、通常、当該外国国家の主権を侵害するおそれはないものと解され」
(そのような場合にまで)「外国国家に対する民事裁判権免除を認めることは、外国国家の私法的ないし業務管理的な行為の相手方となった私人に対して、合理的な理由のないまま、司法的救済を一方的に否定するという不公平な結果を招くこととなる」
として、「私法的ないし業務管理的な行為」について
「我が国における民事裁判権の行使が当該外国国家の主権を侵害するおそれがあるなど特段の事情がない限り」
我が国の民事裁判権から免除されない、としたのである。
もっとも、実はこの判決、
新聞記事で触れられていないこの先の判旨の方が
微妙に興味深い。
引用すると、
「また、外国国家の行為が私法的ないし業務管理的な行為であるか否かにかかわらず、外国国家は、我が国との間の条約等の国際的合意によって我が国の民事裁判権に服することに同意した場合や、我が国の裁判所に訴えを提起するなどして、特定の事件について自ら進んで我が国の民事裁判権に服する意思を表明した場合には、我が国の民事裁判権から免除されないことはいうまでもないが、その外にも、私人との間の書面による契約に含まれた明文の規定により当該契約から生じた紛争について我が国の民事裁判権に服することを約することによって、我が国の民事裁判権に服する旨の意思を明確に表明した場合にも、原則として、当該紛争について我が国の民事裁判権から除外されないと解するのが相当である。なぜなら、このような場合には、通常、我が国が当該外国国家に対して民事裁判権を行使したとしても、当該外国国家の主権を侵害するおそれはなく、また、当該外国国家が我が国の民事裁判権からの免除を主張することは、契約当事者間の公平を欠き、信義則に反するというべきであるからである。」(太線筆者)
というもの。
本件で問題となっているのは、
あくまで「高性能コンピューター等の売買」という
「私法的ないし業務管理的な」取引であるから、
上記の判示がどこまでの意味を持つのかは疑わしいし、
契約上我が国の民事裁判権に服することを国家が約していたからといって
「通常・・・当該外国国家の主権を侵害するおそれはなく」
と言い切っているところにも疑う余地はある。
主権的行為を行う外国国家との間で、
「書面による契約に含まれた明文の規定」なるものが
存在する余地があるのかどうかはいささか疑問も残るし、
先に述べた「国際慣習法」と上記ローカルルールとの関係も、
本件判決の中で十分に明らかにされているとはいえない。
だが、「私法的ないし業務管理的な行為であるか否かにかかわらず」
民事裁判権から免除されない場面がありうる、
と最高裁が明言したことの意味は、やはり大きい。
78年ぶりに新しい扉が開かれたこの争点について、
今後どのような判断が蓄積されていくのか、
は一つの見どころになりそうである。
もっとも、某国政府保証付きの契約を預かる会社の法務担当者としては、
自分のところの事案が“蓄積”されないことを
願うばかりなのであるが・・・(苦笑)*4。