イビチャ・オシムの挑戦

−日本らしいサッカーとは。
「敏しょう性。アグレッシブさ。個人の技術もある。ただしそれらの長所が、いまだチームを走らせるようには働いていない印象を受ける。」(日経新聞2006年7月22日付朝刊・第35面)

たぶん、この人はもう何年も、
心のどこかでこの時が来るのを待っていたのではないか、
そう思えた就任会見。

−ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の失望からチームをどう立ち直らせるのか
「逆に質問したい。失望というからには前段として楽観があったはず。その楽観の根拠は何だったのかと。対戦相手の情報を持っていなかったのか。情報はあったが相手を見くびったのか。現実を見つめることから始めるべきだろう。」

この言葉を聞いて安心した。


今の代表チームを取り巻く状況は厳しい。


メディアは、
“弱いジェフ”を躍進させたオシムの「手腕」をやたら強調するが、
あの頃のジェフには、勝利に飢えた伸び盛りの若手、という好素材と、
名将ベルデニック、ベングロッシュが築いた下地があった。
今の代表チームにはそれはない*1

「現在の過密スケジュールのなかでは、ラジカルな改革に手をつけるのは好ましくない。当面はいままでの主力の多くを残しながらやっていく」

というのは、現実主義者といわれるオシム監督らしい発言だが、
その前提に立つのだとすれば、
メディアも、サポーターもそしてオシム監督自身も
相当の忍耐を強いられることになるだろう。


結果を残してきた今見れば、
含蓄のある言葉として受け止められる
オシム監督のシニカルな一言ひとことだが、
それを贔屓のチームが負けた後に聞かされるのは、
負け慣れていたジェフサポーターにとっても、
決して心地よいことではなかった*2


ゆえに、些細なところから、
メディアや協会のフラストレーションが爆発することも
あるかもしれない。


だが、オシム監督自身が、
粘り強く、現実を見つめることの大事さを
選手やメディアや協会に説き続けることができるならば、
大きく道を踏み外すことはないはずだ。


そして、そうやっていくつもの山や谷を乗り越えていかない限り、
日本は永遠にW杯の舞台に立つことはできない、
そんな気がしている。


当面の注目は、
オシムがどのステップで黄金世代を切り捨て、
アテネ組と代表に縁がなかった選手たちを登用するか、で、
身びいきを承知でいえば、
阿部勇樹選手と羽生直剛選手は、
一日も早く代表に呼ぶべきだろう*3


いずれにせよ、
久しぶりに代表チームの試合が見たくなった、
それだけは間違いない*4

*1:長嶋茂雄が栄光の読売巨人軍の“遺産”を自ら食い潰したのと同じように、能天気なブラジル人がオフト監督就任以降の10年近い“遺産”を相当傷つけてしまった。4年で一区切り付けられたのが唯一の救いというべきか。

*2:さすがにクラブの時よりは言葉を選ぶだろうけど・・・。

*3:阿部はともかく、羽生選手はそんなに若いわけでもない。

*4:もちろん、ジュニアの采配も気になるところではあるのだが・・・。

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