保護期間延長をめぐる議論

okeydokey氏のブログ経由で知った。
http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20060723/1153616302


著作権、映画以外も50年→70年に…関係団体が一致」という以下の記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060723-00000101-yom-soci

「文学や音楽、美術、写真などの著作権の保護期間を現行の著作者の死後50年間から、欧米並みの70年間への延長を求めていくことで関係団体の意見が一致した。9月中にも共同声明をまとめ、文化庁著作権法の改正を要望する。同庁は声明や利用者側の意見も踏まえ、来年度中にも文化審議会著作権分科会に諮り、法改正を目指すとしている。」

現在の「死後50年」ルールの下でも、
著作者が20代で創作した作品は、その後著作者が早逝しない限り、
100年近く保護されることになる。
少なくとも、今話題になっているヒット作品の保護期間が切れる瞬間を
自分が見届けることはないだろう。
公表後50年ルールだって似たようなものだ。


だから、それが20年伸びる、と言われても
正直ピンと来ない。


今でさえ十分長いのだから、これ以上伸ばす必要はない、
という意見もあるだろうが、
逆に、今でさえ十分長いのだから、
もう少々伸ばしたところで、たいした意味はない。
ならば、権利期間を伸長することで、
権利者側を満足感に浸らせてやれば良いではないか、
という意見も成り立ちうるのではないか、と思う*1


保護期間が50年だろうが100年だろうが、
権利制限に関するルールの方を工夫して充実させれば、
それだけ先行著作物の自由利用による新たな創作の可能性は高まるわけで、
保護期間を長くするか、今のままにとどめるか、は、
少なくとも権利者とユーザーの利害調整、という観点から見れば、
シンボリックな意味しか持ちえないように思う。


むしろ、“権利制限事由の拡大”によって
権利者と利用者のバランスを図ることを志向する勢力にとっては、
今回の“保護期間伸長”の動きは、
うってつけの取引材料になるのではないだろうか?


今後の議論の行方に注目したい。

「国内の著作権の保護期間を巡っては、日本の映画やアニメの人気が海外で高いことから、国際競争力を伸ばすなどの趣旨で2004年、映画のみ欧米並みの公表後70年間に延長された。一方、その他の個人の著作物については、死後50年間のまま残されており、欧米では著作者の死後70年が標準となってきたことや、政府が唱えている「知的財産立国」の視点からも保護期間の延長が急務、とする声が上がっていた。」

なお、個人的には、上記のような
「国際競争力を伸ばす」とか、「知的財産立国」の視点、
という“趣旨”だけで保護期間の延長を図るのであれば、
それは大いに疑問、といわざるを得ない。


okeydokey氏が主張するような
「創造へのインセンティブ喪失」もさることながら、
内外人平等を掲げる著作権法制度の下では、
「保護期間を延ばす」ということは、わが国で創作された著作物のみならず、
外国で創作された著作物の保護期間をも伸ばすことにつながることを看過してはならない。


諸外国でのわが国の著作物の微々たる“稼ぎ”に比して、
物量ともに圧倒的なスケールを誇る欧米資本の国内市場におけるそれは
絶大なものがある。


さらにいえば、アニメやホラーといった、
わが国の“得意ジャンル”とされている分野でも、
今後50年、100年を考えていくと、
“技術移転”が進んだアジア勢の猛追を受けるのは
必至な状況にある。


「国際競争力を伸ばす」つもりが、
かえって文化植民地化を促進するおそれはないのか、
もう少し考えてみる必要があるように思う。


それに、エンタテインメントの世界で米国が強いのは、
決して著作権の保護期間が長いから、というわけではないはずだ。


お世辞にも潜在的なクリエイターにとって
十分な環境が整っているとはいえず、
かといって希少なコンテンツを他国で売り込む戦略にも
決して長けているとはいえないわが国において、
「権利強化」というお題目だけで
欧米と対等に渡り合おうとするのは、
“ブラジル化”を目指してW杯で惨敗した“ジーコ・ジャパン”に等しい
無謀な試みのように思える。


素晴らしき日本文化”を浸透させたいのであれば、
権利云々の話以前に、
「日本らしさ」を生かしたコンテンツの内容の充実
(そしてそれを支える基盤整備)
に力を注ぐべきだし*2
“産業として欧米と互角に渡り合えるようにする”
ことを目指すのであれば、
シビアな契約交渉に耐えうる人材の育成や、
プロモーション戦略の強化に心血を注ぐべきであろう*3


いわゆる「知的財産立国」を目指す政策の束の中に
上記のような施策も含まれていることはもちろん承知している。


だが、政府が旗を振っただけでは“成果”を出しにくい
上記のような施策に比べ、
条文をいじるだけで“成果”をアピールできる
“権利強化”施策の方が、より前面に出てきているのが、
現在の「知的財産立国」政策の内実であるように思われる。


この国で旗が振られ始めてから、
結構な時間が過ぎている。


今目指しているのは「知的財産立国」なのか、
それとも権利だけが踊る「知的財産立国」なのか、
優先すべきことが他にあるのではないか、と、
そろそろ考えるべき時に来ているのではないだろうか・・・。

*1:もっとも、何かを得ればさらに欲しくなるのが強欲な人間の性なのであるが・・・(笑)。

*2:そのためにはお上が口を出さないのが一番、という意見も実は強い(笑)。

*3:もちろん、これも本来お上が前面に出る話ではない。