「小泉純一郎首相は15日朝、東京・九段北の靖国神社を参拝した。2001年の就任以来、6回目の参拝だが、終戦記念日は初めて。9月の退陣を前に、01年の自民党総裁選での公約を断行した。現職首相の終戦記念日参拝は1985年の中曽根康弘氏以来21年ぶり。中国・韓国は強く反発しており、関係改善は次期政権に委ねられる。国内では与党の公明党が批判しているほか、自民党内からも賛否両論が浮上。谷垣禎一財務相は批判的な見解を明らかにし、総裁選の争点となるのは必至だ。」(日経新聞2006年8月15日付朝刊・第1面)
例の「富田メモ」公表以来、
靖国参拝をめぐる問題が、
「時の話題」としてやたらと取り上げられるようになり、
その背後に、それを自民総裁選という“政争”に絡める動きが
見え隠れしたこともあって、
個人的にはかなり食傷気味であった。
そんな中、飛び込んできたこのニュース。
あたかも天下を揺るがす重大事が起きたかのように、
小泉首相の一挙一頭足を追い掛け回すメディア、
そして、それを政治的攻撃材料にしようとする
野党ないし自民内“反主流派”の政治家たち。
そこにあるのは、
忌むべき「政治的思惑」以外の何ものでもない。
Xデーに向けて周囲に参拝を匂わせ、
結果、いつもながらにテレビカメラを引き連れて参拝を行った
首相サイドも首相サイドなら、
この機に、とばかりに、参拝行為を利用して、
小泉首相とその後継者に対する攻撃材料にしようとしている側にも
これまた問題大あり、というべきだろう。
“死者への追悼”を政治的に利用するのはいただけないし、
国家的象徴としての“靖国”の存在は、
今の時代において不要かつ危険なものであるのは確かだが*1、
だからといって、
それを政教分離原則と結びつけるのは短絡的であるし*2、
ましてや、外国が反発するから止めろ、というのは、
全くもって道理の通らない話である*3
様々なベールを取り払ってことの本質を見れば、
これはただの“お参り”に過ぎない。
そして、考えるべきことは、
祀られている戦死者たちが我が国の歴史上どのように位置付けられるか、
そして、戦死者たちを祀る行為をどのように理解すべきか、
という点に尽きるはずである。
だが、現実にメディア等で問題とされているのは、
もっぱら、ことの本質とは関係しない憲法問題や、
外交問題である。
このような状況は、実に嘆かわしいものといわざるを得ない。
ゆえに、延々と続く、コメンテーターの議論を聞きながら、
「どうでも良い」という気分に駆られた次第である・・・。
*1:この点については、ちょうど1年前のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20050815/1124031414#tb)をも参照のこと。
*2:この点については、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060623/1152341100#tb参照。神社への参拝行為が日常生活に浸透している現状を鑑みれば、意に反して合祀された遺族の人格権侵害が問題になることはあっても、参拝行為が特定の宗教の助長や他の宗教に対する圧迫・干渉として問題になることは考えにくい、というべきだろう。
*3:この点については、小泉首相の言い分の方が正しい。日本国民の規範や歴史的反省に照らした参拝の是非について結論を出すことなく、外国の“圧力”をもって中止を叫ぶのであれば、単なる思考停止とのそしりを免れまい。