初の初戦敗退の裏に。

こんな動きもあったのか、と思わず唸ったベタ記事。

自民党長崎県連は10日、参院選長崎選挙区(改選数1)に、高校サッカーの名門、長崎県立国見高でサッカー部総監督を務めた小嶺忠敏氏(61)を擁立すると発表した。記者会見で小嶺氏は「教師を38年やったが、今の日本の教育は崩壊状態。現場の姿を伝えたい」と語った。」(日経新聞2007年1月11日付け朝刊・第2面)

全国大会の常連・国見高校の監督としてあまりに有名だった小嶺監督。「全国の強豪と戦うために自らハンドルを握ってマイクロバスで遠征した」等の伝説には事欠かないのであるが、数年前、国見高校の校長に就任したのに伴って高校サッカー界の第一線から離れ(総監督就任)、さらに昨年の春に定年退職とくれば、政治の世界に目がいったとしても不思議はないのかもしれない。


フィジカルを徹底的に鍛えられた教え子達が、底なしの体力で縦横無尽にフィールドを駆け回り、最後はパワープレーで相手にトドメを差す、という、かつて高校サッカー界を席捲していた“非情なサッカー”*1の威光が薄らいでいく中で、政界への転身に伴い、名実ともに小嶺氏が第一線から退かれる、ということに一つの時代の終わりを感じる。


もちろん、この先、国立競技場から国会議事堂にフィールドを移した“小嶺監督”が、「元・教育者」としての存在感をどれだけ発揮されるのか、注目すべき材料には事欠かないのであるが・・・。


*1:華やかさとはあまりに無縁なそのスタイルは、世のファンタジスタ愛好家たちに目の敵にされたものだ。もっとも、近代的スタイルをウリにする他の強豪校の選手たちがプロ入り後伸び悩むことも多いのに対し、国見高出身の選手たちの多くは、プロの世界にしっかりと根を張って息長く活躍していたりもする。教育の方向性としては決して間違ってはいなかった、ということだろう。

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