社会の反動化傾向?

今日の朝刊に掲載された「選択的夫婦別姓」をめぐる内閣府世論調査の結果を見て驚いた。

「夫婦が希望すれば結婚前の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓」をめぐる内閣府世論調査で、制度導入のための法改正は「必要ない」とする反対派は35.0%で、5年前の前回調査より増えたことが27日、明らかになった。「構わない」と答えた容認派は逆に36.6%まで減り、賛否がほぼ拮抗(きっこう)した。20-30歳代を中心に慎重論が増えた。」
(2007年1月28日付朝刊・第38面)

おいおい、いまどき若いもんが慎重論って・・・www


前回の調査(2001年)の数字は別の意味で衝撃的で、30%前半だった肯定派の数字が一気に10ポイントほどあがったものだったから、今回世相を反映した適切な水準に戻った(肯定派が減少したとはいえ、10年前の水準は上回っている)ともいえるのだが、今国政を担っている方々が筋金入りの方々だけに(苦笑)*1、統計を取る際に何らかの作為が入り込んだ可能性も否定できない*2


“通称使用”が様々なところで定着してきたから、あえて別姓にしなくてもいいのでは?的な感覚で、法改正不要、を選択している人もいるのかもしれないが、結婚後通称で勤めていた会社を何かの事情で退職して、他の会社や派遣会社に移ったときに、「旧姓が使えなくて嫌だ〜」と叫んでいる人も相当数見てきたから、そのような意見に俄かに賛同するわけにもいかないだろう。


いずれにせよ、この数字を見て、高らかに「家族の絆」云々を叫ぶ論者が勢いづくことは間違いない。


だが、姓を変えれば伝統的家族観が崩れる、という発想自体ナンセンスだし、仮に崩れるとしても、いかなる家族観を取るのか国家(法)が強制することを正当化する理屈などあるはずもない*3


姓を同じくすることで「家族観」が守れる、と信じている人は、さっさと苗字を変えればよいし、そうでない、別の価値観で家族を作りたい人は変えなければ良い。今提言されている夫婦別姓化とはそういうレベルの話に過ぎないのである*4


なお、法務省は、

「直ちに夫婦別姓を導入する民法改正案を提出する状況ではない」

との見解を表明しているとのことだが、そもそも国民が大して賛同していない制度改正を「審議会答申を受けて」という名の元に、次々と導入してきたのはどこの役所だったか、よく自問自答していただきたいものだと思う(苦笑)。


まぁ、今提出しても、良くて審議未了廃案、ヘタすれば否決されかねない状況だけに、その辺も計算した上でのコメントなのかもしれないが・・・。


(補足)
ジュリスト誌に掲載されていた大村敦志教授の条文素案*5によれば、「夫婦の氏」については甲乙二案が示されているが、その中では選択的夫婦別姓制度が当然の前提となっている*6

甲案 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫もしくは妻の氏、又は各自の婚姻前の氏を称する。
2 夫婦が各自の婚姻前の氏を称する旨の定めをするときは、夫婦は、子の出生の際に、夫又は妻の氏を子が称する氏として定めなければならない。

乙案 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫もしくは妻の氏、又は各自の婚姻前の氏を称する。
2 夫婦が各自の婚姻前の氏を称する旨の定めをするときは、夫婦は、子の出生の際に、夫又は妻の氏を子が称する氏として定めなければならない。
3 夫婦のうち婚姻により氏を改めたものは、婚姻前の氏を日常生活上の呼称として用いることができる。
4 夫婦が各自の婚姻前の氏を称するときは、夫又は妻は、配偶者の氏を日常生活上の呼称として用いることができる*7。 

大村教授は、姓の相違が「家族としての一体性」に少なからず影響を及ぼす、というご見解のようで、私見として

「私自身は教科書などにも書いておりますが、どちらかというとO-9条乙案でして、別姓によって個人としての独立性を示すとともに、家族としての一体性をも示したいという要請は、必ずしも矛盾した要請ではないと思っております。そうした要請にも配慮するという形で、別姓制度を導入すればよいと思っております。」(前掲67頁)

とも述べられているが、「一体性に影響を及ぼす」か否かという点の当否はともかく、自由な姓選択のオプションを用意することで各人の家族観はいかにでも体現しうる、というのは間違いないであろう。


やはり、単に自分と相容れない考え方の人間が気に食わないからといって選択的夫婦別姓制度そのものに反対する、というのは、一種のカルト宗教家の如き愚かな振る舞いというべきだ、と筆者は思う。

*1:安倍首相しかり、高市早苗大臣しかり、山谷補佐官しかり・・・。

*2:これは5年前の調査にも言えることであるが。

*3:そもそも親子だって家族なのであって、親が子を思って苗字にあわせて名前をつけているのに、単に結婚したという一事をもって強制的に苗字を変える、と言う発想が、「家族」尊重につながるとはとても思えない。筆者に言わせれば、所詮、別姓否定論者など、家父長主義の残滓に憧憬の念を抱くだけのレトロな人々に過ぎない。

*4:ちなみに筆者自身は自分の苗字に何らこだわりをもっていない、というか変えられるものなら変えたい、と常日頃思っているので、できれば夫婦別姓にとどまらず、夫婦姓交換制度でも導入していただけるよう願う次第w。

*5:民法改正委員会家族法作業部会」での議論で用いられたもの、のようである。

*6:法制審の改正要綱を出発点としている、という研究会の性質上当然の話なのであるが。

*7:以上、内田貴大村敦志=角紀代恵=窪田充見=高田裕成=道垣内弘人=中田裕康=水野紀子=山本敬三=吉田克巳「特別座談会・家族法の改正に向けて(上)」ジュリスト1324号60-61頁(2006年)。

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