2・1の残滓

都内では風物詩となった私立中学入試の集中日。


かれこれ20年近くたった今になっても、ああそう言えば、と思い出す。


普通、世間一般では、中学入試くらいまでは一種の“お受験”的感覚が強いようで、親の方が熱心に子どもを駆り立てるもののようであるが、元々裕福というには程遠い家計状況だったのに加え、地方出身で名門=公立という感覚しか持っていなかった両親にとってみれば、「私立なんて(しかも中学からなんて)とんでもない!」の一点張り。


猛反対を押し切り、担任の先生に臨時の家庭訪問させてまで東京の学校に行った自分。今思えば、自分自身のまっさらな意思で進路を決断したのは、あれが最初で最後だったのかもしれない。


その後の6年間、リスクを冒した意味が全くなかったとは言わないけれど、それなりに大きなものを失った。


「とりあえず偏差値の高い大学(学部)に行っとこう」だとか、「とりあえず就職しやすそうな学科に進学しとこう」だとか、「とりあえず安定してそうな会社に勤めとこう」とか、そこから先の人生、大事な場面で常にリスクアバースな選択をしてしまうのは、あの時の傷がどっかで引っかかっているからだ、っていうことは、誰に指摘されるまでもなく、自分自身気付いているのだけれど、それに気付かされる度に、いつまでも呪縛から逃れられない自分が情けなくもある(苦笑)。


格好付けて散々“他人と違う路を行くんだ”と粋がったところで、結局は差し障りのないルートに乗っかっているだけ。そんな自分がキライ、リセットしたい、と思っても、ボタンに手をかけることすらできずにいるわけで・・・。



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正直、自分の中の盛り上がりから言っても、周囲の状況からいっても、今回ばかりは変われるだろうと思っていた。


でも、2月になってもまだ決断できない自分がいる。


目の前にちらつかされた「ライフカード*1もどきに振り回されて、何も決められないでいる自分を、12歳の自分が見たら一体どう思うだろうか・・・*2


3年後の自分の姿、5年後、10年後、30年後・・・。頭の中の妄想で、フィクションにフィクションを重ねて、そして無限ループに迷い込む。いくら考えても明快な答えなんて、出るはずもないのに・・・。


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人生は途方もなく長い。そして、一つの選択が人生に及ぼす影響は決して小さくはない。


だが、いつだって、ノド元に突きつけられる選択肢に答えを出すための時間は短いのである*3


年度末に向かって、加速していく仕事の波の中で、果たして後悔しない選択ができるのか、全くもって自信はない。それが、ただただ悲しい・・・。

*1:言うまでもないが、オダギリジョーに比べれば相当スケールは小さい・・・。

*2:得意の左脚でサッカーボールキック2,3発入ってるかもしれない。

*3:今回の件に関しては、決して短くはない時間だったのは確かだが、代替に与えられる選択肢が毎年少しずつ異なっていたのも事実である。まぁ見苦しい言い訳か・・・。

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