バブルへGO!

馬場康夫監督&ホイチョイ・プロダクション”という、80年代末期から90年代初頭を席捲したコンビが、時を越えて世に送り出した話題作、『バブルへGO−タイムマシンはドラム式』。


映画「バブルへGO!!~タイムマシンはドラム式」presents:バブルへGO!!~キラキラ☆ポップ!!

映画「バブルへGO!!~タイムマシンはドラム式」presents:バブルへGO!!~キラキラ☆ポップ!!


感想を一言で言えば、「シュールな笑いを満喫したい人はみるべし(笑)」ということになるだろうか。


残念ながら、映画で描かれていた時代は筆者はまだ中学生で、大学に入った時には既に「ポスト・バブル」で冬の時代を迎えていたから*1、浮かれている六本木の絵を見たところで、実感として湧き上がってくるものは少ない。


筆者に限らず、バブルの前後で生活が急変したなんて人は、特定のエリアで活動していた一部の人々を除けばそう多くはいないはずで*2、映画の中に登場してくるのは、所詮は、特殊ギョーカイ人の過去への憧憬が誇張された姿に過ぎないのではないかと思う。


また、LINDBERGやプリプリの曲がBGMで流れてくるのを聞いて、「将来は銀行でも入ってバリバリ稼いでやる」とのたまわっていた金持ち子弟たちの姿が甦り、教室の片隅で、世の“浮かれムード”に憂鬱を募らせていた自分の姿を思い出して何となく切なくなったのも事実であるが、そういう“懐かしさ”を感じたのは、ほんの一瞬のことに過ぎなかった*3


もちろん、オチが最初の数十分で予測できるような展開でも、飽きさせずに笑わせてくれるあたりは、さすがホイチョイ、といったところだったし、まるでタイムマシンで10年前から連れてきたような愛らしい広末涼子(笑)を拝むことができるのも、この映画を見に行った人だけの役得*4


17年前のメイクと今のメイクを比べると、どう見ても今のメイクの方が若く見える薬師丸ひろ子(爆)や、日立製作所の総力を挙げたバックアップぶり*5など、他にも見どころはいくつかあって、一応はお勧めできる映画になっている。


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ところで、世の中の大きな“バブル”がはじけた後でも、分野によっては局地的なバブルが起きている。賢明な読者の皆様はもうお察しのとおり、近頃では司法試験バブルなんてものもあったのは記憶に新しい。


『バブルへGO!』のシナリオを少々拝借しつつ、ストーリーを構成するなら↓のような感じだろうか(以下、本物の『バブルへGO!』のネタバレもあるので注意)


「201×年、着実に浸透しつつあると思われていた司法制度改革。だがその実態は、さらに深刻な、未曾有の危機にさらされていた。司法バブル崩壊後の法曹の失業対策のため、雪だるま式に増えた日弁連の借金は●●●億円。その一方で廃業する弁護士が続出し、法曹人口はついに減り始めたのだ。過当競争により、この先2年のうちに大手事務所や名門法科大学院の連鎖的倒産が始まり、勝ち組と負け組の差はさらに拡大。多数の失業者と非弁行為の跋扈、司法制度の崩壊は目前に迫っている。この司法制度崩壊のシナリオにピリオドを打つべく、法務省大臣官房司法制度改革課に勤める下川路功はある計画を極秘に進めていた・・・」

「そのころ、法科大学院時代の学費の返済に追われる三振法務博士・田中真弓の元に、疎遠であった母・真理子の訃報が届く。葬儀中にもかかわらず、サラ金の顧問弁護士・田島は容赦なく返済を真弓に迫る」

「葬儀の後、下川路が真弓の元を訪れ、母親は死んでおらず、タイムマシンで1995年にタイムスリップしたという事実を打ち明ける。実は下川路と真理子は危機に瀕した司法制度を救うべく、司法バブルを未然に防ぎ、歴史を変えるプロジェクトを一緒に進めていた。司法バブルを引き起こした伊●マコツなる人物に独立を思いとどまらせ、後に生まれる新司法試験制度の導入を阻止するために。しかし、真理子はタイムスリップ後、渋谷で行方不明になってしまったという。一度は計画を諦めた下川路だったが、真弓の存在を知り計画を続行した。」

「タイムスリップした真弓が初めて目にしたのは、「やればできる。必ずできる。」と唱えて、駒場構内でビラをまく黄色い集団の姿。そう、真弓を待ち受けていたのは、まさしく司法バブル直前の東京。誤植の多い論点ブロックのコピーを皆が手に持ち、生協のカウンターには司法試験予備校の入会申込みをする学生が溢れている。真面目に勉強すれば司法試験に合格して、その後バラ色の人生が待っている、と皆信じてやまない、真弓にとっては、まさしく不思議の国だった。」


パンフレットには、「司法試験バブルは複層的なものなんです。伊●塾の設立に司法試験制度の導入やら法テラスの設立やら裁判員制度の導入やらもあって、それらが絡まって崩壊しちゃった」などとコメントする識者も登場している(笑)。


まぁ、東京リーガルマインド事件決定(東京地決平成7年10月16日)の結論が変わっていたとして、

受験熱があんなにヒートアップすることもなく、「効率性重視の弊害」が過度に指摘されることもなく、従来どおりの平凡な、でも安定したシステムが維持され続けた

かどうかは、保証の限りではないのであるが、本物の『バブル』にも引用されている

「バブルは崩壊して 初めてバブルとわかる。」

というグリーンスパン議長の警句は、この業界においても実に教訓的なものであるのは間違いない(明日はわが身・・・(苦笑))。

*1:とはいっても、僅かながら“昔の名残”で、船上貸切ダンパだの女子大のキャンパスにクルマ横付けして深夜ドライブだの、といった風習は残っていたのではあるが。

*2:そもそも本当の意味での“不景気”を人々が実感するようになったのは、映画でターニングポイントとされている1990年3月よりもずっと後の話で、湾岸戦争だの、阪神大震災だのといったボディブローがじわじわ利いていった結果が、つい先日まで続いていた未曾有の大不況だったわけだから、「バブル前後」という捉え方がピンと来ない人の方が多くて当たり前だと思われる。

*3:元々、自分は“軽いノリ”ってヤツが大嫌いで、あの時代そのものに全く好感を抱いていない(苦笑)から、“懐かしさ”よりも“冷ややかな”感情の方がどうしても先に立ってしまう。

*4:しかも「MOF」ロゴの入った水着姿で美しい脚線を拝めると来たら・・・(以下自主規制)

*5:なんでそこまで肩入れするのかと思ったら、どうやら馬場監督ご自身が日立の出身らしい。ディテールを追及するのであれば、あの頃は日本一の大メーカー、今は・・・というところまで出さねばいかん(苦笑)と思うのだが、まぁその辺はさすがに難しかったか・・・。

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