OBの憂鬱

世間がいうところの“いい大学のいい学部”を出た者が、一民間企業に籍を置いて順調な社会人生活を踏み出す、というのは決して楽なことではない。


入社してから何年かは、事情を知らない人には「何でここにいるの?」と問われ続けるし、事情を少々知っている人には「どうせ学生時代ロクに勉強してこなかったんだろ」と言われるのがオチである。


前者はともかく、後者については筆者自身否定しようもない事実であって、ある意味その点開き直れたから良かったのであるが、学生時代真面目に勉強してきた人ほど、ある意味辛い現実が待っている。




職業に貴賎はないし、人生の選択は人それぞれであってよい。


だが、どんなに強い信念を抱いて飛び込んでも、好奇や侮蔑の視線は容赦なく襲ってくる。かといってその見返りとなるようなデカイ仕事が、そうそう簡単にめぐってくるわけでもない。


比較的、周囲に同じバックグラウンドを持つ人間が多かった筆者の会社でさえそうだったのだから、毎年数名しか“名門大卒”を採用しないレベルの会社に行けば、なおさらであろう。


ポスト・バブルの下降曲線が描かれ、就職を見送って大学に残った(残らざるを得なかった)人間が多かった筆者の時代には、少なくとも、卒業式の時点では、一足先に就職した、というその事実だけで、勝ち組のように誤解されたこともあったかもしれない。


だが、つい数年前までは“受験競争の勝者”と称えられていた連中のこと。ひとたび本気を出せば、勉強を始めるのが大学4年の秋過ぎからだったとしても、国一のハードルは容易く越えてくるし、下手すりゃ司法試験さえ受かってしまう。


かくして、ささやかな優位性は1年も経たないうちに覆され、予期せぬ不毛な下積み生活にあえぐ中、自分は心にもない祝福の言葉を多くの旧友たちに贈らされるハメになったのはいうまでもない。




恵まれた環境の中にいる時は感じることのなかった視線とプレッシャーにさいなまれた時、人間がとる行動は大きく分けて2つだ。


1つは、周囲に同化して自分を卑下し、「俺はあいつらみたいに優秀じゃないからな」と笑い飛ばすこと。日々の精神的安定につながる点でこの方法は非常に効果的だが、副作用として“負け犬根性”に染まるという難点がある。社会の水は想像している以上に甘い。所属している会社が安定した大企業であればあるほど、よりささやかな安定を求め、覇気を失っていくリスクは大きくなる。


もう1つは、そこから逃げ出すこと。能力のある人間にとって、これは実に簡単なことだ。大学に学士入学した者もいれば、院に進学した者もいた。より過激な環境に転じたものもいれば、資格を目指して一時的に無業者を選んだ者もいた。夢だの信念だの、といった青臭さをいつまでも失わずに済む分、この方法も非常に有意義なのであるが、反面、一度“逃げ出しグセ”が付いてしまうと、新しい環境でもまた同じことを繰り返すのではないか、という懸念を本人自身も周囲も抱くようになってしまう、という点でこれまた難点がある。実際、入社3年以内に職を離れた者の中で、今胸を張ってその時の選択を語れる者がどれほどいるかは定かでない*1。たとえその後どんなに高給とりになったとしても、逃げ出した記憶は悔恨としていつまでも残り続けるのかもしれない。


で、筆者自身はどうしたかと言えば、逃げ出そうにも逃げ出す勇気はなく、かといってありのままを受け容れるにはプライドが邪魔をして、結局宙ぶらりんのまま、本流を外れたワーカホリックを演じているわけで、善解すれば、安定した生活+青臭さ全開という“いいとこどり”になるが、素直に解釈すれば、“ダラダラと生き永らえているあきらめの悪い臆病者”とでもいう方が適切なわけで、この第三の道も、将来有望な良い子の皆様にはとてもお勧めできる代物ではない。



結局何が言いたいかと言えば、よほどの強い信念がない限り、周囲に合わせて“順当な道”を歩むのが、一番良いのではないか、ということである。


少々時間がかかっても、回り道のように見えても、何となく本意ではない、という思いがあったとしても、「周囲に同胞がいる」という一点においてリスクの少ない道を行くのが、むしろ賢い選択なのではないか、と思えてならないのである。



もちろん、筆者自身は、ハイリスクノーリターンの博打に現を抜かす人生の方にむしろ共感している人間であるから、そのような安直な進路を勧めるのは遺憾の極みなのであるが、かといって、多くの同胞が、否、自分自身も味わったような“悔恨”をかわいい後輩たちに味合わせるのも忍びない、というのも率直な心情である*2



飛び込んでから2〜3年、いやもっと長いかもしれない潜伏生活時代に、逃げ出さず、かといって周囲に染まりすぎず、雑音をスルーして目の前の小さな仕事の一つひとつに注力しうる胆力があれば、敢然と飛び込めばよい。さもなければ安全な道を選べ。


それが、現段階で筆者が提示しうる、唯一の回答だろうか。


まぁ、心の広い本ブログ読者の皆様方のことであるから、“いつもながらにこの人の話は大げさだから”と読み飛ばしていただければそれで結構なのであるが(苦笑)。

*1:筆者自身の経験では、「やっぱり違うね」と言うコメントよりも、「どこも同じだね・・・(ハァ)」と言うコメントを耳にした機会の方がはるかに多い。

*2:もちろん、行った先によってそんな“悔恨”にも多寡があるのは言うまでもないが。

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