親と子。

生殖医療をめぐって、様々な動きが報道されている。

その1

まず、先日最高裁決定が出された向井亜紀高田延彦夫妻。

代理母から生まれた双子の男児(3)の出生届を改めて出すことはせず、当面米国籍のまま日本で育てる」(日経新聞2007年4月12日付朝刊・第34面)

と怒りの会見を行った模様がワイドショーでもずっと流れていた。


先日の最高裁決定に対しては、筆者としては一定の評価をしていたのだが*1、補足意見で“代替策”として示されていた「特別養子縁組」については、

「米ネバダ州の判決で、向井さん夫婦が米国内では双子の親であることが確定しているため、仕組み上は「私が申請して(アメリカの親である)私が承諾する形になってしまう」ため見送った」(同上)

と、結局用いられないまま終わってしまうことになりそうである。


今回の件が本当に“GAME OVER”になっているか、ということについては、筆者自身は疑念を抱いており、特に特別養子縁組の成否を検討する上で、上記コメントのように「米ネバダ州の判決」が影響を与えるとは考えにくいため*2、当事者の会見を聞いていると、一種の「アテ付け」ではないか、と思ったりもするのであるが、あくまで「実の母親」として振舞いたい、という向井氏の思いも理解できなくはなく、立法サイドとしてはつくづく悩ましい問題を抱え込んでしまったものだ、という同情を禁じえない。

その2

続いて、上記記事の隣には、

「諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)は11日、病気で死亡した夫の凍結精子を使って妻の卵子体外受精させ、妻が2004年に子どもを出産していたと発表した。」(同上)

という記事がある。


昨年9月4日の最高裁判決で、「父子関係を否定する(死語認知請求を認めない)」という判断が確定した、夫の死後の凍結精子による体外受精である*3が、否定されるのはあくまで「父子関係」だけで、母との関係においては明確に「子」としての扱いを受けることになるわけだから、最高裁判決の内容にかかわらず、依然としてニーズはある、ということなのだろう。


生まれてきた時点で既に父親がいない、という境遇を子どもに与えてしまうことに対して、倫理的反発を感じるムキもあるのかもしれないが、実質的には懐胎直後、あるいは生後すぐに父親を亡くした場合とそう変わるものではないのであるから、筆者としては、このような動きを止める道理はないのではないかと思っている。

その3

次いで、筆者が一番引っかかったのは、民法の「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」とする規定の見直しに対する

(DNA鑑定で父子関係を証明することには)「民法の趣旨に反し、若干の憂慮がある」
「DNA鑑定で親子関係を認める考えが広がれば、親子関係の紛争を惹起(じゃっき)することにならないか」(同上)

という日本医師会・今村定臣常任理事のコメント。


確かに厳格な科学的判断による親子関係の確定をこういった場面に持ち込むことは違和感があるし、その意味で上記のような懸念も理解できる。


だが、ここで言われている「民法の趣旨」とは一体何なのだろうか。


冷静に考えると、民法772条2項だって、懐胎から出産までのタイムラグ、という自然科学的摂理を受けた規定なのであって、科学的背景抜きの“法的評価”のみで親子関係を決定しているわけではない。


単純な法的評価のみで親子関係を決するのであれば、「婚姻中に生まれた子どもはすべて夫の子と推定する」というルールの方がむしろ自然なのであって(原則として、人は出生して初めて法律関係の主体となるのだから)、そこであえて「懐胎」という概念を持ち出し、科学的裏づけのある“血統”という要素によって親子関係を決しようとしているのが現在の民法ではないのだろうか。


だとすれば、中途半端な「推定」ではなく、より厳密なDNA鑑定で親子関係を決することにしたとしても、民法の趣旨には何ら反しないと考えることもできるだろう。


個人的には、「親子関係」というのは、あくまで「子どもが誰からも扶養されなくなる自体を防ぐ」ために便宜的な密接な人的関係を擬制するための制度に過ぎない、と思っているから、現在の潮流とは逆に、一切の血統主義的要素を排除し、純粋に「扶養意思が推定されるかどうか」で親子関係を決すればよいと考えている。


そもそも男性にとっては、「結婚」という行為自体が、「将来パートナーが産んだ子どもの扶養義務を負う」というリスクの引き受けなのだから、「血がつながっているかどうか」なんてことはどうでも良い話で、「血がつながっていないから(法的にも)親子としての関係に入らない」という言い訳は、当事者が婚姻関係を継続している限り、本来一切認めるべきではないのである。


ましてや、今問題になっているのは、現に婚姻中のカップル(特に夫の側)に子どもを扶養する意思があるにもかかわらず、「前の夫の子と推定されてしまう」ことの不合理さにあるのだから、さっさと民法を改正して、先ほど述べた「婚姻中に生まれた子は夫の子と推定する」というルールに統一してしまえばよいではないか、と筆者としては思っている。


もちろん、我が国のみならず、多くの国で現に採用されている血統主義を放棄することには抵抗も大きいだろうし、懐胎後に婚姻が解消されて「出生時に父親がいない」状態になった時の子どもの保護をどう考えるか、という大きな問題も残されるのは確かだが、扶養意思のない父親との間に法律的な親子関係を無理やり成立させるよりは(しかも現実には“父親”本人の意思に反して扶養義務を履行させることも困難だろう)、戸籍上は父親欄を白紙の状態にして、公的扶助ないし後に現れる(かもしれない)「父親」の扶助に期待した方が、よほど子の福祉に資するのではないだろうか。


以上、ちょっとした手慰みまでに・・・。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070327/1175445303#tb

*2:米国内での裁判の効力が日本国内にまで及ばないことは最高裁判決でも示されていることであって、日本の法律に基づいて特別養子縁組を行う限り、米国内で誰が母親と認定されているか、は問題にならないはずである。また、向井氏は「代理母との契約の問題」もしきりに強調していたが、特別養子縁組というスキームを用いる限り、「産みの母」には何ら責任が及ばないのであるから(もちろん離縁した場合の問題等が想定できないわけではないが)、便宜的に代理母の氏名を何らかの形で手続上出したとしても契約の本旨には反せず、契約違反とはならない、という解釈も成り立ちうるのではないかと思う。

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060915/1158341234#tb参照

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