結局残ったのは「生産アプローチ」なのか?

特許権の消尽が争点となった事案としては、昨年出たキヤノンインクカートリッジ事件の大合議判決(知財高判平成18年1月31日)があまりに有名であるが、かつてのこの種の事案の定番、「レンズ付きフィルムユニット」をめぐる争いについて、東京地裁が一つの判断を下している。

東京地判平成19年4月24日(H17(ワ)第15327号、H18(ワ)第26540号)*1

原告は富士フィルム、被告は「FESTIVAL」、「トロウ君」というネーミングでレンズ付きフィルムユニットの輸入、販売を行っている会社(株式会社大東貿易、有限会社ハマ・コーポレーション)。


まぁ、何が争点になっているかは、当事者を見ただけでわかりそうなものだ(笑)。


裁判所は、結局、原告の請求を一部認容し、被告大東貿易に対して3978万8482円、さらに両被告に対し162万3619円の損害賠償を認めているのであるが、興味深いのはそこに至るまでの道筋にある。


裁判所は被告製品が原告特許発明の構成要件を充足することを認定した上で、特許権の消尽をめぐる判断に移ったのであるが、そこでいきなり、

「本件については、事案の内容に鑑み、インクカートリッジ大合議判決の第2類型(特許製品につき第三者により特許製品中の特許発明の本質的部分すなわち技術的思想の中核をなす特徴的部分を構成する部材の全部又は一部につき加工又は交換がされた場合)に当たるか否かについて判断する。」(51頁)

としたのである(理由付けについてはインクカートリッジ判決を引用)。


言わずもがな、本件はリサイクル商品をめぐる事件であるから、当然の如く、当事者も「第1類型」(特許製品が製品としての本来の耐用期間を経過してその効用を終えた後に再使用又は再生利用された場合)にあたるかどうか、について華やかな論争を展開していた。


それにもかかわらず、裁判所は「第1類型」をめぐる判断をあっさりと回避したのである。


大合議判決が示した2類型は、「いずれかが満たされていれば消尽を否定する」というものであるから、いずれかの類型を満たすことをシンプルに論証できるのであれば、他の類型について判断を示す必要がないのは確かで、今回東京地裁がとったアプローチは、迅速な紛争解決という観点から見れば決して不合理なものではない。


だが、一種の“政治的訴訟”とも言うべきこの種の紛争事案において、「第1類型」に対する判断を回避した裏に、これ以上この種の“政策論争”にかかわりたくない、という裁判所の本音が透けて見えるような気がするのは筆者だけだろうか。


結局、裁判所は、第2類型について

「このような被告ら製品を製作する行為は、特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材の全部又は一部につき加工又は交換するものであるから、被告ら製品は、前記第2類型に該当するものと認められる。」(57頁)

と判断し、さらに被告側の主張に対して、

「第2類型にいう「本質的部分」に該当するか否かは、もっぱら当該特許発明の技術的思想の観点から判断されるべきものであって、当該部分が消耗品であるかどうかや市場における自由な流通の観点からの考慮によって判断が左右されるものではな」い(58頁)

として、あくまで純粋に特許クレームに着目した観点から、消尽の有無を判断する、という姿勢を明確にしたのである。


かつて、「生産アプローチ」と「消尽アプローチ」との間で華やかなりし論争が繰り広げられていた「特許消尽論」は、大合議判決において両アプローチが事実上併記され、“ドローゲーム”として決着したと思われた。


だが、元々「消尽アプローチ」の論者の念頭にあったのは、形式的にクレームを侵しているものであっても、経済的効用の観点から「消尽」を肯定し、特許権侵害を否定する、というところにあったように思われるから、その意味で、2類型のいずれかを満たせば消尽が否定される、という大合議判決の論旨は、実質的に「生産アプローチ」の勝利を意味していたのかもしれない・・・。


そんなふうに思わせてくれるのが今回の東京地裁判決といえる。


なお、被告側は、消尽の主張とは別に、「原告による黙示の許諾があった」という主張も行ったが、裁判所は、BBS事件の最高裁判決(最三小判平成9年7月1日)を引用し、

「本件において被告らが黙示の許諾として主張するものは、特許権の消尽を認めるか否かにおいて考慮されているものであり、特許権の消尽か、黙示の許諾かは、特許権の行使を認めない理由についての表現の違いに過ぎない」(66頁)

と整理している。


また、インクカートリッジ事件同様、被告側は「環境保全」の理念を前面に押し出し、「原告らの特許権侵害を理由とした請求は権利濫用に該当する」とも主張していたが、裁判所は、

特許法は,発明をしてこれを公開した者に特許権を付与し,その発明を実施する権利を専有させるものであるから,発明につき特許権が付与されたときは,第三者は,その行為が特許権侵害行為に該当すると判断される場合には,特許発明に係る製品の再使用や再生利用しやすい資材の製造,販売等をすることができないのであり,この意味において特許法環境保全の理念との対立が生じることがあることはやむを得ないところである(仮に、常に環境保全の理念を優先させ,上記のような場合に第三者が自由に特許発明を実施することができると解すると,新たな技術開発への意欲や投資を阻害することにもなりかねない。)そうすると,たとえ,特許権の行使を認めることによって環境保全の理念に反する結果が生ずる場合があるとしても,そのことから直ちに,当該特許権の行使が権利の濫用等に当たるとして
否定されるべきいわれはない(インクカートリッジ大合議判決参照。)」(66-67頁)

特許法が環境に優しくない(笑)ことを改めて宣明した上で、「被告らが原告のロゴを消すために本来リユース可能な部品に傷をつけている」といった点を指摘して、

「資源の再利用及び廃棄物の減少化という観点からみて非難されるべきはむしろ被告らのほうであり、脱退原告の特許権行使が権利濫用であるなどということはできない」(67頁)

と断罪したのである。


いわば、被告側の完膚なきまでの完敗。


以前、キヤノンの事件の際にも述べたとおり*2、筆者自身、「環境保全」を前面に押し出して特許権侵害の責めを免れようとする論調には俄かには賛同しがたいものがある、と思っているのであるが、実際、この点に関する裁判所の姿勢はもはや揺るぎないものになりつつあるように思われる。


最高裁あたりで、あっと驚く逆転判決でも出ない限り、この流れは変わらないだろう。


なお、最後に、本件における興味深い判旨として、損害額の算定にあたって特許法102条2項と102条3項それぞれで算定した額を比較し、被告の一人(大東貿易)については特許法102条3項に基づく損害額を、もう一人(ハマ・コーポレーション)に対しては特許法102条2項に基づく損害額を、それぞれ損害の額と認めた、というのがある。


侵害行為としてはあくまで別個のものであるから、それぞれの損害額が異なる基準で算定されたとしても、決して理に反するわけではないのだろうが、通常はあまり見かけない手法だと思われ(この辺りがさすが設楽コート、といった感あり)、控訴審においてどのような判断が下されるのか、注目したい。

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