送信可能化権譲渡をめぐる判決の“違い”

今さらではあるが、だいぶ前に出された「HEAT WAVE 対 エピックレコード」の判決(東京地判平成19年4月27日(H18(ワ)第8752号ほか)*1についてのコメント。


同種の事例としては、同じSME系列のソニー・ミュージックレコーズを被告とする「THE BOOM」の事件の判決が今年の1月に出されているのだが*2、ほぼ同じ内容の契約の解釈が争点になっているにもかかわらず、結論に至るまでの説示には少々異なるところもあって話題となった。


大塚先生のブログでは、

本訴請求棄却ですし、またザ・ブーム事件とまるっきり同じ論旨かな、
と思っていましたが、びっくりしました(PDF34頁部分)。
http://ootsuka.livedoor.biz/archives/50804184.html

というコメントまでなされている両者の「違い」を、以下かいつまんで見ていくことにしたい。

問題の契約の中身

「HEAT WAVE」の事件で争いの元になった契約は、平成元年9月1日に締結された専属実演家契約であり、中でも、

4条(権利の帰属)
本契約に基づく原盤に係る一切の権利(原告らの著作隣接権を含む)は,何らの制限なく原始的且つ独占的にSMEに帰属する
1.この権利には,一切の複製・頒布権及び二次使用料等(著作権法第95条,第95条の2,第97条及び第97条の2他に規定)の徴収権を包含する。
2.SMEは,如何なる国に於いても,随時本契約終了後も引続いて,自由に,且つ独占的に当該原盤を利用してレコード及びビデオを複製し,これらに適宜のレーベルを付して頒布することが出来る。
3.前号のレコード及びビデオの種類,数量,価格,発売の時期・方法その他一切の事項について,SMEは自由な判断により決定することが出来る。
4.この権利の一部又は全部を,SMEは自由な判断により第三者に譲渡することが出来る。

の条項が問題となった。


一方、「THE BOOM」の事件の元になった契約は、

第6条(権利の譲渡)
甲は、本契約に基づく原盤に関し、甲の有する一切の権利(甲・丙の著作隣接権又は甲の著作権を含む)を、何らの制限なく独占的に乙に譲渡する
1.この権利には,一切の複製・頒布(貸与・放送・有線放送・上映を含む。以下同じ)権及び二次使用料等(〔省略〕)の徴収権を包含する。
2.乙は、如何なる国に於いても,随時、本契約の終了後も引続いて自由に,且つ独占的に当該原盤を利用してレコード及びビデオを複製し,これらに適宜のレーベルを付して頒布することが出来る。
3.前号のレコード及びビデオの種類,数量,価格,発売の時期・方法その他一切の事項について,乙は自由な判断により決定することが出来る。
4.この権利の一部又は全部を,乙は自由な判断により第三者に譲渡することが出来る。

というものである。


「共同制作原盤譲渡契約」ということで、同じ平成元年の5月21日付という近接した時期に締結されているにもかかわらず、なぜか「帰属」/「譲渡」と文言に大きな違いがあったり、全体的に体裁が異なっていたり、と突っ込みどころはいくつかあるが、謳われている内容にはほとんど違いはない*3


以下では、上記条項を便宜上「譲渡条項」としてみていくことにする。

契約の解釈手法の違い


THE BOOM」事件を担当した高部コートが、

(1)当該条項の文言自体、本件各契約書中の他の条項
(2)契約当時の社会的な背景事情の下で、当事者の達しようとした経済的又は社会的目的及び業界における慣習等

を総合的に考慮して当事者の意思を探究し解釈すべき、としたのに対し、本件判決を担当した市川コートは、「契約の解釈手法に則り」

(1)本件契約の文言、各条項の関係
(2)契約締結当時における音源配信に関する状況
(3)契約締結当時における著作権法の規定
(4)業界の慣行
(5)対価の相当性等の諸事情

を総合的に考慮して判断すべき、とした(31頁)。


順を追ってみていくと、まず、(1)「契約の文言等」について、本件では、

「原告らに何らかの著作隣接権が留保されることを窺わせる記載はない」(31頁)

とあっさり認定しており、この点については「原告の下に権利の一部を留保するような文言上の手掛かりはない」とした「THE BOOM」事件と同じ出発点に立っていることが分かる。


もっとも、高部コートがこの後さらに「当事者の目的」に踏み込み、「具体的にいかなる権利が定められているかにかかわらず、レコード会社に原盤に関する一切の権利を移転させ、その反面として対価的な印税の支払を約した」もの、と契約の趣旨を認定しているのに対し、本件判決は原告の主張に応答する形で、

「我が国著作権法は、各支分権を例示とせず、限定列挙としたため、新たな利用形態の出現に応じて頻繁に法改正を必要とする。したがって、我が国著作権法の下では、将来法定される支分権を譲渡の対象とすることの必要性は極めて高いものである」(32頁)

とし、「原告側の意図・目的」よりも、譲渡契約における一般的な「必要性」を強調している点が特徴的といえる。


また本判決では「本件契約の締結時における音源配信に関する状況」という項目や「本件契約の締結当時における著作権法の規定」といった項目を挙げ、

「平成元年の時点でデジタル音源の配信構想は既に存在した」

「昭和61年改正時から、著作権法は、インタラクティブ送信について、有線放送権として認知及び保護を開始していた」(33頁)

と指摘していたりもする*4


THE BOOM」の高部コート判決が、

送信可能化権」を創設的な規定と理解しつつ「契約の趣旨」から演繹的に「譲渡対象権利」に包括していこうとしている

のに対し、本件の市川コート判決は、

そもそも契約時点から「送信可能化権」の萌芽が存在し「譲渡対象権利」に含めて考えるだけの背景は存在した

ことから、帰納的に結論を導こうとしているように読むことが可能であり*5、このたりの解釈手法の違いは非常に興味深いものがある。


「業界の慣行」という項目でも、認定された事実*6は同じだが、それを淡々と事実として認定していく本判決の手法と、「実演家、所属事務所、レコード会社の三者間における・・・特有の経済的な合理性の1つのあらわれ」という解説を加える高部コートの違いが見えるのが面白い。

「対価性」と「対価の相当性」

さて、本判決が物議を醸した原因は、対価に関して本判決が述べた、以下のような傍論にある。

「レコード会社は,リスクを負担して商品を製造販売するからこそ,実演家に対しては,比較的低い率での実演家印税の支払を許容されているといわなければならないのであって,サーバー等の設備投資,音源配信サービスの市場形成等に当たりSMEが投資した費用の一部を実演家に負担させることができるか否か,負担させるとしても,80%を乗じることが相当か否かについては,疑問の余地があるといわなければならない。
さらに,CD等に比べて音源配信の単価が低いこと,前記のとおり,「着うた」等の携帯電話向けの音源配信サービスについて,SMEは実演家に対して実演家印税の他にプロモート印税を支払っていることを考慮すると,今後とも音源配信のシェアが増加し,CD等のシェアが減少することが予想される状況の中で,従来のCD等について定めた算定方法や印税率がそのまま妥当するかについては,疑問が残る。」(34頁)

これだけ見ると、算定方法について「従前のCD等の販売の枠組みとの整合性を保つ上で、やむを得ないところ」とした高部コートに比べ、アーティスト寄りの判決になっているように見えるのも確かだろう。


だが、本判決においても、上記説示に先立って、

「本件契約が定めている音源配信に対する印税率が低いものと認めることはできない」(33頁)

とされ、既に触れた他の考慮要素と併せて、結果として原告側の主張を退ける要素として「対価」が機能したことは看過してはならないように思う。


高部コートが、考慮要素の項目タイトルを「音源配信と印税支払の対価性」とし、“音源の配信数に応じた比例的な(何らかの)対価”が支払われていればOK、といったニュアンスの説示を行っていたのとは対照的に、本判決では「対価の相当性」という言葉を用いて、“不相当な対価であれば譲渡を否定する”余地があることすらちらつかせていた。


にもかかわらず、結局市川コートは、

「本件契約6条2項は、音源配信を含む新たな頒布形態について、SMEによる一方的な実演家印税額の決定を認めているものではなく、新たな頒布形態の特殊性等に応じた相当な率による実演家印税が支払われるべきことを規定しているものと解される。」(33頁)

として、原告側の主張を退けたのである。


上記説示と、「印税率が低いものと認めることはできない」の節が、「したがって」で接続されているところなどは、正直日本語として分かりにくいのだが、それ以上に、「アーティスト側に頒布形態に応じた交渉の余地がある」ことをもって「低くない」と判断したのであれば、その後裁判所が呈した“疑義”に何の意味があるのか・・・?という素朴な疑問も湧き上がってくるところ。


筆者個人は、CDの印税率をそのまま音楽配信に適用したら、近い将来純粋に音楽だけで食っていけるアーティストがいなくなってしまうのではないか、という危惧も抱いているところなので、裁判所が呈した上記のような疑義の妥当性は理解できるのであるが、緻密な評釈者の手にかかった時に、このような説示がどのような扱いを受けるのかは、注目してみていきたいものである。

まとめ

以上、同種の事案である「THE BOOM」事件と「HEAT WAVE」事件を比べながら見てきた。


いずれの解釈手法に魅力を感じるかは、見る人によって変わってくるだろう。


筆者は前者の高部コート判決のような手法の方が一本筋が通っていて好きなのであるが、この手法には時に“暴走”する懸念も生じうるから、その意味では後者(本判決)のような手堅い判決の方が安心であるとも言える。


今後、知財高裁レベルで争われた際に、何らかの解釈統一がなされる可能性が高い本件であるが、ここはいずれの手法を取り込むのか、それとも全く異なる第三の道を探るのか、追ってみていく必要があると思っている。

*1:民事第40部・市川正巳裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070514160103.pdf

*2:東京地判平成19年1月19日、第47部・高部眞規子裁判長、同判決に対するコメントはhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070210/1171128344#tbに掲載。

*3:法的に構成すれば、ここは「譲渡」と書くのが適切だと思われ、「HEAT WAVE」の事件でも「合理的に解釈すれば、原告らが原始的に取得した権利を譲渡されることを定めたものと解すべきである」(31頁)と裁判所がフォローしている。

*4:高部コートはこの点につき「インターネットなどのネットワーク環境の下でのインタラクティブな送信形態の発達を背景」として送信可能化権が創設された、という事実を指摘するにとどまっている。

*5:この場合、先述した「将来法定される支分権・・・」のくだりとの整合性がイマイチ定かではなくなるが、先述したくだりはあくまで原告主張への応答であるから、後者の帰納的解釈手法の方が本判決のベースになっていると考えるべきだろう。

*6:著作隣接権はすべてレコード会社に帰属し、その対価として売上げに応じて実演家印税が支払われるという慣行が存在していた、というもの。

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