折口雅博氏と企業法務

ここのところ、テレビを付けるとお約束のように叩かれている、グッドウィル・グループの総帥、折口雅博氏。


そんな彼が時代の寵児と持て囃されていた頃、日経BP社のサイトに掲載されたインタビューの中に*1日商岩井時代の折口氏と法務部門の“蜜月ぶり”を示唆する興味深いくだりがある。

「ほかの部署の味方を増やすことにこだわったのは、日商岩井が総合商社だったからです。総合商社というくらいですから、いろいろな部門がある。法務部とか管理部門もすごくしっかりしている。自分の知らないことを知っているスペシャリストがいるんだから、そういう人材を利用しないと総合商社にいる意味がないなと考えたんです。」

「法務部門には、「私が独占している」と言われたくらい(笑)。私の話をよく聞いてくれた人がいたんです。会社にしてみれば、「せっかく法務部門があるのだから、法務部門のスタッフをもっとうまく使いこなせばいいのに」と思っていたはずですよ。でも、法務部門に行って頼み事をする社員は、私以外にいませんでした。今から思えば、だからこそ、頼みを聞いてもらうことができて、私にとっては都合がよかったことになりますね(笑)」

「ただ、そうは言っても最初は法務部門の人も私のことを怪訝(けげん)に思っていたと思いますよ。私は、入社後3年目くらいから、どんどん自分から動き始めました。時間がたつうちに、協力してもらえるようになりました。」
「例えば、施設建設のための許可書を取るとします。建設の一般的なフォーマットを手に入れて、書ける部分は自分で全部書き込んでしまう。そして、どうしても分からない部分だけ確認してもらう状態をつくって、「どうでしょう?」と添削してもらうわけです。そうやって付き合っていけば、お互いに有効に仕事ができる関係が出来上がるんです。」

折口氏が日商岩井に入社したのは1985年だから、上の話が本当だとしたら、いかに伝統的に法務部門が強い総合商社とはいえ、彼の行動は時代を先取りしていた、ということになる。


「企業法務」という言葉がビジネス界で認知されてきた今ですら“厄介もの”程度にしか思われていないことが多い法務部門を、“使いこなせる”人間は、実はそんなには多くない。


上に紹介されているエピソードは、別にたいした話ではない(法務にいる人間の側から見れば半ば常識的な話に過ぎない)が、「どうしても分からないところだけを整理して持っていく」というシンプルな作業さえできないベテラン社員は、身の回りにたくさんいるから、入社後間もない時期の社員がそこまでやってくれれば、日商岩井の法務でなくても、「親身に面倒を見てやろう」くらいのことは思うだろう。



「人間の真価が問われるのはその人が躓いた時だ」という古来からの格言に従うなら、最近テレビに出てくる折口氏の姿に、“経営者としてはいささか軽きに失す”といわざるを得ない一面があるのは否めない*2


また、一連の“処分逃れ”がなければここまで激しく叩かれることもなかっただろう、ということを考えれば、彼が若い頃の経験で学べたのは“表面的な法の使い方”だけで、法務の現場を長くやっている者には染み付いている、“使ったことによる効果(反響)を見極めることの重要性”にまで思いを至らすことはできなかったんだろうなぁ・・・と落胆せざるを得ないのも確かだ。


だが、一度でも“成功できる”人間には、他の者にはない何かがあるのもまた事実で、既述のエピソードにもその片鱗は現れているように思う。


そう考えると、一時の感情で、またしても将来性のある若手経営者を葬り去ってしまうことが、本当によいことなのかどうか、一度立ち止まって考えるべきではないのだろうか。


あいも変わらず、冷静さのカケラもなしに、“落ちた犬を叩きまくる”メディアを見るたび、そう思えてならない。

*1:http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/person/positive_worker/051019_origuchi2/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/person/positive_worker/051019_origuchi2/index1.html

*2:もちろん、スタジオのみならずブラウン管の向こう側からも)敵意に満ちた視線に囲まれている、という状況の下で、のことだけに同情の余地があるのも、また否めないのだが。

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