イタイ判決(その2)

だいぶ日が空いてしまったが、東京アウトサイダーズ事件の控訴審についてコメントしてみる。


請求認容額が原審の45万円から85万円へと増額されたこの判決には、いろいろと教訓にすべき点があるのだが、中でも一番大きいのは、

「訴訟で裁判所の心証を害するとエライことになる」

ということだろうか(苦笑)。

知財高判平成19年5月31日(H19(ネ)第10003号)*1

本件は、角川書店が出版した書籍に所収されていたスナップ肖像写真を撮影した、と主張する原告が、出版社と執筆者を訴えたものであった。


何の変哲もない家族のスナップ写真だから、通常人であれば、何らかの利用行為をしようとするときに「被写体の許可をとらないと」と思うことはあっても、「著作者(撮影者)の許可をとらないと」ということにまでは、なかなか思いが至らないだろう。


しかも、問題になった書籍は被写体となっている人間を“ヤミ社会の人間”として描いたノンフィクションであるところ、原告は自分の元夫(?)がそういう取り上げられ方をすること自体に反発を覚えていたのではないか、と思わせる節がある。


つまり、本件は著作権侵害訴訟に名を借りた一種の名誉毀損訴訟、ともいうべき背景事情があるように見受けられ、その意味でも出版社に気の毒な事例のように思える*2


だが、そういった背景を一切捨象して考えれば、本件は明確に複製権侵害、同一性保持権侵害が認められる事案、といわざるを得ない。


それゆえ、原審で敗れた後の被告(控訴人)側の対応が注目されたのであるが、控訴人側(訴訟代理人前田哲男、中川達也弁護士)は果敢に勝負に挑んだ。


以下、控訴審での控訴人側のアグレッシブな主張を並べてみる。

(1) 著作権の帰属について
ア一般人が日常生活のなかで特段の芸術的配慮なく人物を撮影するスナップ肖像写真は,たとえ著作物であるとしても薄い著作権(thin copyright)しか認められず,その著作権は,肖像本人に譲渡されていると理解すべきである。
誰でも写真アルバムには,乳幼児期の写真,自分が写っている小学校の遠足の写真,運動会の写真,友人のお父さんに友人宅の玄関先で撮ってもらった写真,友人同士で撮り合った写真,旅行先で通りがかりの人にシャッターを押してもらった写真などが貼られていることであろう。それらの写真を撮影したのは第三者である。しかし,ある人物が自叙伝を執筆して出版するに当たり,その人のアルバムに貼られたそのようなスナップ写真を口絵として掲載するのに,躊躇を覚える人はいないだろう。
原判決の判旨によれば,自分だけが写っているスナップ写真等についても,それを自叙伝に掲載するには撮影者を捜し出して掲載の許諾を得る必要があることになる。さらにいえば,原判決の判旨によれば,亡くなった父親が撮影したと思われる自分の幼児期の写真を掲載するには,他の相続人(例えば兄弟)の同意を得ることが必要となる。しかし,同意を求められた兄弟は,何のことなのか理解できないであろう。自分だけが写っているスナップ写真を書籍等に掲載するのに撮影者の許諾が必要であるというのは,一般の法感情からあまりにもかけ離れている。
(以上4-5頁)

(3) 適法引用について
本件書籍は,第二次世界大戦後の東京の一般に知られざる社会で活動をしていた外国人たちの姿を描いたノンフィクションであるところ,Aは,その外国人のなかでも本件書籍において15頁以上にわたり描かれている人物である。そして,ノンフィクションにおいて描かれている人物の風貌を読者に伝えるために,その人物の写真を掲載することには合理的な必要性があり,本件においては,そのために本件写真を掲載するほか適切な手段がなかった(引用の必要性ないし必然性)。
本件書籍においては,15頁以上にわたりAの活動を描いた一審被告X執筆の文章が「主」である。他方,本件写真は,本件書籍の口絵部分の1頁のごく一部に小さく,Aの風貌を読者に伝えるために掲載されているにすぎず,一審被告X執筆の文章に対して「従」である(主従関係)。
本件写真は口絵部分に掲載されており,「写真は60年代末のスナップショット」との説明が付されていることから,写真部分が一審被告Xの著作部分ではなくて引用部分であることが明白であり,その区別は明瞭である(明瞭区別性)。
そして本件書籍において本件写真は,ノンフィクションに描かれている人物の風貌を読者に伝えるために,それに必要な限度で掲載されているにすぎず,その掲載は,写真の美的特性を鑑賞・感得させる態様のものでなく,そのような効果も生じさせていない。
以上のように,本件書籍における本件写真の引用利用は,引用の目的,態様・方法及び効果に照らし,公正な慣行に合致するものであり,かつ,引用の目的上正当な範囲内で行われたものであるから,著作権法32条1項により適法である。
なお,本件書籍において著作者名等を示した出所の明示はないが,一般人が芸術的配慮なく日常生活のなかで撮影したスナップ写真についてまで出所の明示をすることは通常ではないから,「スナップ写真」であることを記載しておけば出所の明示として十分であるし,仮にそうでないとしても,出所の明示がないことから公正な慣行に合致しなくなるわけではない。
また,本件写真が公表されたものでなくても,本件写真は少なくとも著作者の手元にのみあったものではなく,Aの活動を描いたノンフィクションにおいて本件写真を利用する必要性の高さに照らせば,著作権法32条1項が適用ないし類推適用されるというべきである。(6-8頁)

(7) 権利の濫用について
仮に本件書籍への本件写真の掲載が著作権及び著作者人格権侵害となるとしても,本件書籍の印刷,頒布の差止め及び廃棄を請求するのは,権利の濫用として許されない。
ア一審被告らの表現の自由との関係
? 表現の自由は最大限尊重されるべき価値であるところ,一審被告らが本件書籍を出版する自由もまた最大限尊重されなければならない。
? 本件書籍で描かれているAの風貌を読者に伝える写真を掲載する必要性が高く,また一審被告らにとってその目的の実現のために本件写真を掲載するほかに適当な手段がない。
? 上記?の状況のもとで本件写真を掲載した本件書籍の印刷,頒布が差し止められるとすれば,一審被告らの表現の自由が大幅に制約される結果となる。
? 一般人が日常生活のなかで特段の芸術的配慮なく人物を撮影するスナップ肖像写真については,著作者を捜索することが極めて困難であり,事前に本件写真の著作者,著作権者から許諾を得るのは事実上難しい。
イ一審原告の財産権に与える影響が極めて稀薄である。
? もともと本件写真の著作物性が極めて稀薄である。
? 本件写真の本件書籍への掲載は,Aの風貌を読者に伝えることにあり,本件写真の著作物性がある部分を感得させることはなく,現実の掲載態様もその目的を超えるものではないから,本件写真の著作物としての創作性を基礎づける部分の利用が仮にあったとしても,それは極めて軽微である。
? 本件写真の利用は本件書籍の口絵の1頁の,そのまたごく一部に小さく行われたにすぎない。
? 本件写真は経済的に利用されてこなかったものであり,本件書籍への掲載があったからといって本件著作物に対する顕在的又は潜在的市場が浸食されたという事情は全くなく,一審原告に経済的損失は発生していない。
ウ一審原告の人格的利益に対する影響が極めて稀薄である。
? 本件写真はAの風貌を伝えるために利用されており,撮影者が一審原告であることを示していないから,一審原告に対して何ら精神的苦痛を与えるものではない。
? 氏名表示権及び同一性保持権に関して,芸術的作品についてならともかく,そうではない本件写真については,氏名表示がないこと又は切除を受けたことによる著作物の「創作者」としての精神的苦痛の存在は考えにくい。
エ以上に照らすと,本件写真の著作権著作者人格権侵害を理由として本件書籍の印刷,頒布の差止め及び廃棄を求めることは,一審被告らの表現の自由を強く制約することになり,他方,一審原告側においては,そのような表現の自由を制約することを正当化するに足りる財産的利益及び人格的利益がないから,権利の濫用として許されないというべきである。
(11-12頁)

ウ原判決は,著作権侵害に基づく損害賠償として5万円と認める一方,著作者人格権侵害に基づく慰謝料を30万円と認めている。
しかし,著作権侵害に基づく損害賠償額が5万円程度にすぎない軽微な利用について,著作者人格権侵害の慰謝料としてその6倍もの30万円を認めることは,あまりにも均衡を失する。
慰謝料額の算定については裁判所の裁量的判断が不可避であるものの,合理的な裁量の範囲を逸脱した高額の慰謝料認定であるといわなければならない。
(14頁)

筆者としてはいずれの主張も、もっともなものだと思うし、主張したい気持ちも十分理解できる。


だが、そうしたいと思うことと実際にそうすることには大きな違いがある。


控訴人の上記のような主張に、裁判所が好感を持っていないことは、以下のような冷徹な説示からも明らかだ。

(1)著作権の帰属について
「一審被告ら及び角川グループ訴訟引受人は,一般人が日常生活のなかで特段の芸術的配慮なく人物を撮影するスナップ肖像写真の著作権は,肖像本人に譲渡されていると理解すべきであると主張する。しかし,そのように解すべき法的根拠はなく,上記主張は,独自の見解であるというほかないから,採用することができない。」(16頁)

この間わずか5行。

(3) 適法引用について
著作権法32条1項は,「公表された著作物は,引用して利用することができる。」と規定しているところ,本件写真が公表されたものであることについての主張立証はないから,本件写真は「公表された著作物」であるとは認められない。したがって,著作権法32条1項の適用により本件写真の本件書籍への掲載が適法となることはない。」
「本件写真を利用する必要性が高いということはできないし,仮に,本件写真が著作者の手元にのみあったものではなくAの活動を描いたノンフィクションにおいて本件写真を利用する必要性があるからといって,著作権法32条1項を類推適用すべきであるということにはならない。したがって,著作権法32条1項の類推適用により本件写真の本件書籍への掲載が適法となることもない。」
(17頁)

ここでも裁判所の姿勢は、ほとんど取り付くシマがない状況である。


また、権利濫用については、

「既に述べたとおり,本件写真の本件書籍への掲載は,本件写真の複製に当たり,一審原告の著作財産権を侵害するものであるし,著作者人格権をも侵害するものであって,本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても,本件写真が掲載された本件書籍の印刷,頒布の差止め及び廃棄を求めることが権利の濫用に当たるというべき事情は認められない。」(19頁)

とあっさり退けているし、損害額算定についても、

「著作財産権侵害に基づく損害賠償請求と著作者人格権侵害に基づく損害賠償請求は,別個の請求であり,それぞれについて相応の損害賠償額を算定すべきであるところ,上記のとおり認定することができるのであるから,その結果は何ら不合理ではない。」(24頁)

と切り捨てた。


裁判所がいうような、

「出版物に写真を使用する際に著作権処理をすることなくこれを使用することは考え難いところである。そして,撮影者が誰であるかが分からなければ,著作権者は判明せず,著作権処理をすることは困難であると考えられるから,本件のような場合に撮影者は誰であるかを詮索しないのが通常であるとは認められない。」
(20頁)

という理屈が、「被写体の人物に近い取材協力者の承諾を得ていた」(この事実自体には争いがあるが)という本件の事情の下でもあてはまるか、疑問がないわけではないし、一般的な写真の使用料金を1点1万5000円〜2万5000円と認定しておきながら、

「本件写真は、・・・他の写真で容易に代替できるものではない」(21頁)

ことから、書籍掲載につき10万円〜15万円、という高額の損害賠償額(複製権侵害に基づく損害賠償)を認めたことについても、首を傾げたくなるのは確かだ。


だが、法的には相当ムリな主張をして原審判決を論難したがために、かえって不利な結果を招く、ということは通常の事件でも良くあること。


結果として、控訴人側にとっては“玉砕戦”となってしまった本件から、我々が学び取るべきことは多いように思われるのである・・・。


今後、本判決が出版界にどの程度のインパクトを与えるのか*3、注目されるところである。

*1:第2部・中野哲弘裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070606151958.pdf

*2:本件原告が故人たる被写体を名誉毀損で訴えうる地位になかったか、あるいは主張立証の困難さゆえ、著作権侵害訴訟という形式の訴訟を選択したのではないか、ということが推察される。

*3:口絵のスナップ写真に撮影者の氏名表示が徹底されるようになるのか、等。

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