最高裁法廷意見の分析(第17回)〜一票の格差論の新たな潮流

今回検討の俎上に載せるのは,最大判平成19年6月13日(H18(行ツ)第176号、H17衆議院選挙無効事件)*1である。


選挙のたびに起こされるこの種の訴訟だが、今回も結論としては上告棄却であり、結論を導く筋自体も、これまでの「公選法規定合憲論」から大きく踏み出したものではない。


ただ、選挙区割りを巡る論点、選挙活動を巡る論点のいずれについても、今後違憲方向に向けて舵が切られるのではないか、という新しい兆しが感じられる点で、これが全く無意味な判決ということにはならないと思う。

多数意見の論旨

多数意見は、

「代表民主制の下における選挙制度は,選挙された代表者を通じて,国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とし,他方,政治における安定の要請をも考慮しながら,それぞれの国において,その国の実情に即して具体的に決定されるべきものであり,そこに論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけではない。我が憲法もまた,上記の理由から,国会の両議院の議員の選挙について,およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で,議員の定数,選挙区,投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(43条,47条),両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのである。このように,国会は,その裁量により,衆議院議員及び参議院議員それぞれについて公正かつ効果的な代表を選出するという目標を実現するために適切な選挙制度の仕組みを決定することができるのであるから,国会が新たな選挙制度の仕組みを採用した場合には,その具体的に定めたところが,上記の制約や法の下の平等などの憲法上の要請に反するため国会の上記のような裁量権を考慮してもなおその限界を超えており,これを是認することができない場合に,初めてこれが憲法に違反することになるものと解すべきである。」(4頁)

という一般論を述べたうえで,公選法の区割り規定の合憲性について,従来の大法廷判決の判旨を引用し,

憲法は,選挙権の内容の平等,換言すれば,議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等,すなわち投票価値の平等を要求していると解される。しかしながら,投票価値の平等は,選挙制度の仕組みを決定する唯一,絶対の基準となるものではなく,国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものである。それゆえ,国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り,それによって投票価値の平等が損なわれることになっても,やむを得ないものと解すべきである。そして,憲法は,国会が衆議院議員の選挙につき全国を多数の選挙区に分けて実施する制度を採用する場合には,選挙制度の仕組みのうち選挙区割りや議員定数の配分を決定するについて,議員1人当たりの選挙人数又は人口ができる限り平等に保たれることを最も重要かつ基本的な基準とすることを求めているというべきであるが,それ以外にも国会において考慮することができる要素は少なくない。とりわけ都道府県は,これまで我が国の政治及び行政の実際において相当の役割を果たしてきたことや,国民生活及び国民感情においてかなりの比重を占めていることなどにかんがみれば,選挙区割りをするに際して無視することのできない基礎的な要素の一つというべきである。また,都道府県を更に細分するに当たっては,従来の選挙の実績,選挙区としてのまとまり具合,市町村その他の行政区画,面積の大小,人口密度,住民構成,交通事情,地理的状況等諸般の事情が考慮されるものと考えられる。さらに,人口の都市集中化の現象等の社会情勢の変化を選挙区割りや議員定数の配分にどのように反映させるかという点も,国会が政策的観点から考慮することができる要素の一つである。このように,選挙区割りや議員定数の配分の具体的決定に当たっては,種々の政策的及び技術的考慮要素があり,これらをどのように考慮して具体的決定に反映させるかについて一定の客観的基準が存在するものでもないから,選挙区割りや議員定数の配分を定める規定の合憲性は,結局は,国会が具体的に定めたところがその裁量権の合理的行使として是認されるかどうかによって決するほかはない。そして,具体的に決定された選挙区割りや議員定数の配分の下における選挙人の有する投票価値に不平等が存在し,それが国会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしゃくしてもなお,一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達しているときは,上記のような不平等は,もはや国会の合理的裁量の限界を超えていると推定され,これを正当化すべき特別の理由が示されない限り,憲法違反と判断されざるを得ないというべきである。以上は,前掲各大法廷判決の趣旨とするところでもあって,これを変更する必要は認められない。」(5-7頁)

とこれを支持する見解を示している。


そして,上告人が問題としている,小選挙区制における(各都道府県の)「1人別枠方式」等の問題について,

「区画審設置法3条は,1項において,選挙区の改定案の作成につき,選挙区間の人口の最大較差が2倍未満になるように区割りをすることを基本とすべきことを基準として定めており,投票価値の平等に十分な配慮をしていると認められる。その上で,同条は,2項において1人別枠方式を採用したものであるが,この方式は,過疎地域に対する配慮などから,人口の多寡にかかわらず各都道府県にあらかじめ定数1を配分することによって,相対的に人口の少ない県に定数を多めに配分し,人口の少ない県に居住する国民の意見をも十分に国政に反映させることができるようにすることを目的とするものであると解される。前記のとおり,選挙区割りを決定するに当たっては,議員1人当たりの選挙人数又は人口ができる限り平等に保たれることが,最も重要かつ基本的な基準であるが,国会はそれ以外の諸般の要素をも考慮することができるのであって,都道府県は選挙区割りをするに際して無視することができない基礎的な要素の一つであり,人口密度や地理的状況等のほか,人口の都市集中化及びこれに伴う人口流出地域の過疎化の現象等にどのような配慮をし,選挙区割りや議員定数の配分にこれらをどのように反映させるかという点も,国会において考慮することができる要素というべきである。1人別枠方式を含む同条所定の選挙区割りの基準は,国会が以上のような要素を総合的に考慮して定めたものと評価することができるのであって,これをもって投票価値の平等との関係において国会の裁量の範囲を逸脱するものということはできないから,上記基準が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできない。このことは,前掲平成11年11月10日各大法廷判決の判示するところであって,これを変更する必要は認められない。」(7-8頁)

と基準自体の合憲性を肯定したうえで、

「前記事実関係等によれば,本件区割規定は,区画審が平成12年国勢調査の結果に基づき作成した改定案のとおり小選挙区選挙の選挙区割りが改定されたものであるところ,平成12年国勢調査による人口を基にすると,本件区割規定の下における選挙区間の人口の最大較差は1対2.064であり,9選挙区において人口が最も少ない選挙区と比較して人口較差が2倍以上となっていたというのである。区画審設置法3条1項は,区画審が作成する選挙区の改定案について,選挙区間の人口の最大較差が2倍以上とならないようにすることを基本としなければならない旨規定しているが,上記の基準は,選挙区間の人口の最大較差が2倍以上となることを一切許さない趣旨のものではなく,同条2項が定める1人別枠方式による各都道府県への定数の配分を前提とした上で,行政区画,地勢,交通等の事情を総合的に考慮して合理的に区割りを行い,選挙区間の人口の最大較差ができるだけ2倍未満に収まるように区割りが行われるべきことを定めたものと解される。同条の趣旨は上記のとおりであり,結果的に見ても,平成12年国勢調査による人口を基にした本件区割規定の下での選挙区間の人口の最大較差は1対2.064と1対2を極めてわずかに超えるものにすぎず,最も人口の少ない選挙区と比較した人口較差が2倍以上となった選挙区は9選挙区にとどまるものであったというのであるから,区画審が作成した上記の改定案が直ちに同条所定の基準に違反するものであるということはできない。そして,同条所定の基準自体に憲法に違反するところがないことは前記のとおりであるから,国会が上記の改定案のとおり選挙区割りを改定して本件区割規定を定めたことが投票価値の平等との関係において国会の裁量の範囲を逸脱するものであるということはできない。また,前記事実関係等によれば,本件選挙当日における選挙区間の選挙人数の最大較差は1対2.171であったというのであるから,本件選挙施行時における選挙区間の投票価値の不平等が,一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達し,憲法の投票価値の平等の要求に反する程度に至っていたということもできない。」
「そうすると,本件区割規定は,それが定められた当時においても,本件選挙施行時においても,憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできない。」(8-9頁)

と合憲の結論を導いたのである。


また,選挙運動における「既成政党所属候補者優遇」問題についても,

「前記のとおり,衆議院議員選挙制度の仕組みの具体的決定は,国会の裁量にゆだねられているところ,憲法は,政党について規定するところがないが,その存在を当然に予定しているものであり,政党は,議会制民主主義を支える不可欠の要素であって,国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから,国会が,衆議院議員選挙制度の仕組みを決定するに当たり,政党の上記のような重要な国政上の役割にかんがみて,選挙制度を政策本位,政党本位のものとすることは,その裁量の範囲に属するものであることが明らかである。そして,選挙運動をいかなる者にいかなる態様で認めるかは,選挙制度の仕組みの一部を成すものとして,国会がその裁量により決定することができるものというべきである。憲法は,各候補者が選挙運動の上で平等に取り扱われるべきことを要求しているというべきであるが,合理的理由に基づくと認められる差異を設けることまで禁止しているものではないから,国会が正当に考慮することのできる政策的目的ないし理由を考慮して選挙運動に関する規定を定めた結果,選挙運動の上で候補者間に一定の取扱いの差異が生じたとしても,そのことによって直ちに違憲の問題が生ずるものではなく,国会の具体的に決定したところが,その裁量権の行使として合理性を是認し得ない程度にまで候補者間の平等を害するというべき場合に,初めて憲法の要求に反することになると解すべきである。」(9-10頁)

と,一般的な規範を示したうえで,

公職選挙法の規定によれば,小選挙区選挙においては,候補者のほかに候補者届出政党にも選挙運動を認めることとされているのであるが,政党その他の政治団体にも選挙運動を認めること自体は,選挙制度を政策本位,政党本位のものとするという国会が正当に考慮することのできる政策的目的ないし理由に合致するものであって,十分合理性を是認し得るものである。もっとも,同法86条1項1号,2号が,候補者届出政党になり得る政党等を国会議員を5人以上有するもの又は直近のいずれかの国政選挙における得票率が2%以上であったものに限定し,このような実績を有しない政党等は候補者届出政党になることができないものとしている結果,選挙運動の上でも,政党等の間に一定の取扱い上の差異が生ずることは否めない。しかしながら,このような候補者届出政党の要件は,国民の政治的意思を集約するための組織を有し,継続的に相当な活動を行い,国民の支持を受けていると認められる政党等が,小選挙区選挙において政策を掲げて争うにふさわしいものであるとの認識の下に,政策本位,政党本位の選挙制度をより実効あらしめるために設けられたと解されるのであり,そのような立法政策を採ることには相応の合理性が認められ,これが国会の裁量権の限界を超えるものとは解されない。」
「そして,候補者と並んで候補者届出政党にも選挙運動を認めることが是認される以上,候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に選挙運動の上で差異を生ずることは避け難いところであるから,その差異が合理性を有するとは考えられない程度に達している場合に,初めてそのような差異を設けることが国会の裁量の範囲を逸脱するというべきである。自動車,拡声機,文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告,演説会等についてみられる選挙運動上の差異は,候補者届出政党にも選挙運動を認めたことに伴って不可避的に生ずるということができる程度のものであり,候補者届出政党に所属しない候補者も,自ら自動車,拡声機,文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告,演説会等を行うことができるのであって,それ自体が選挙人に政見等を訴えるのに不十分であるとは認められないことにかんがみれば,上記のような選挙運動上の差異を生ずることをもって,国会の裁量の範囲を超え,憲法に違反するとは認め難い。もっとも,公職選挙法150条1項によれば,政見放送については,候補者届出政党にのみ認められているものである。ラジオ放送又はテレビジョン放送を利用しての政見放送は,他の選挙運動の手段と比較して,はるかに多くの有権者に対しその政見を伝達することができるものであり,しかも,その政見放送においては候補者の紹介をすることもできることを考えると,政見放送を候補者届出政党にのみ認めることは,候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に単なる程度の違いを超える差異をもたらすものといわざるを得ない。しかしながら,同項が小選挙区選挙における政見放送を候補者届出政党にのみ認めることとしたのは,候補者届出政党の選挙運動に関する他の規定と同様に,選挙制度を政策本位,政党本位のものとするという合理性を有する立法目的によるものであり,また,政見放送は選挙運動の一部を成すにすぎず,その余の選挙運動については候補者届出政党に所属しない候補者も十分に行うことができるのであって,その政見等を選挙人に訴えるのに不十分とはいえないこと,小選挙区選挙に立候補したすべての候補者に政見放送の機会を均等に与えることには実際上多くの困難を伴うことは否定し難いことなどにかんがみれば,小選挙区選挙における政見放送を候補者届出政党にのみ認めていることの一事をもって,選挙運動に関する規定における候補者間の差異が合理性を有するとは考えられない程度に達しているとまで断ずることはできず,これをもって国会の合理的裁量の限界を超えているものということはできない。」
「したがって,小選挙区選挙の選挙運動に関する公職選挙法の規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するとはいえない。このことは,前掲最高裁平成11年(行ツ)第35号大法廷判決の判示するところであって,これを変更する必要は認められない。」(10-12頁)

と一応悩みを見せつつも、最終的にはここでも合憲の判断を導いたのである。

補足意見

以上見てきたのが、試験対策に必要な(苦笑)本判決の多数意見なのだが、実質的にはこれと全く同じ意見の裁判官は、5人しかおらず*2、それ以外の裁判官は補足なり反対なり、と、何らかの独自の見解を公表されている。


そこで、まずは補足意見から,順に見ていくことにしたい。

才口千晴判事の補足意見

弁護士出身の才口判事は,平成16年施行の参議院選挙をめぐる大法廷判決(最大判平成18年10月4日)において反対意見を書かれていた*3


しかし,今回の判決では,「1対2.064」という格差を「規定が求める数値の許容範囲内であって,憲法が要求する投票価値の平等の原則に反する程度に至っているものではない」(13頁)という判断の下,多数意見側に回っている。


才口判事は,このように立場を変えた理由についても言及されており,

「私は,最高裁判所大法廷が平成18年10月4日に言い渡した参議院議員選挙無効事件(平成17年(行ツ)第247,249,250号事件)の判決において,同選挙における定数配分規定は違憲であるとして反対意見を述べた。その論拠は,本件と同様に投票価値の平等の原則に求めるものであるが,同選挙における選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の最大較差は1対5.13であり,かつ,2倍を超える不平等が,程度の差はあれ,半数以上の選挙区に生じていた。選挙区割りや議員定数の配分の具体的決定には,種々の政策的及び技術的な考慮要素があるからこれを国会の決定にゆだねるものの,5.13倍もの最大較差があり,2倍を超える不平等が半数以上の選挙区に生じているとあっては,具体的に決定された定数配分規定は,憲法が保障する投票価値の平等の原則に大きく違背し,憲法に違反することが明らかであるから,同選挙が違法である旨の宣言をするのが相当であるとしたものである。したがって,同選挙における選挙区間の人口較差は,本件区割規定における最大較差が区画審設置法が基準とする2倍をごく微量上回る1対2.064であるのとは比べものにならない程度に至っていたものであり,両者は,事実と評価が基本的に異なるものである。」(13-14頁)

と,「2倍を大きく超えるかどうか」が判断を分けた理由である,という趣旨の説明を行っている。

那須弘平判事,津野修判事,古田佑紀判事の補足意見

従来的発想に則ったうえで,格差の「数字」を判断基準とした才口判事の補足意見に対し,他の補足意見は,「投票価値の平等」を判断する際の物差しに新しい発想を導入したうえで、合憲という結論を導いているように読める。


例えば,那須弘平判事(弁護士出身),津野修判事(行政官出身)は,平成18年大法廷判決の補足意見で述べたのと同様に,

「同一の選挙の機会に実施される小選挙区選挙と比例代表選挙を一体のものとして総合的に観察するべきである。」(19頁)

という方針を示したうえで,

衆議院議員選挙の比例代表については,全国を11の比例区に分けた上で人口に比例して選出議員数が配分される程度であるから,選挙人がどこに居住するかでほとんど差が生じない。このため,小選挙区選挙と比例代表選挙を併せて総合的に見ると,小選挙区選挙を単独で見た場合よりも相当程度較差が中和される結果になる。」(20頁)

と述べ,本件では最大較差は「1.613倍」にとどまっている,として「本件区割規定が憲法違反であるとまではいえないことが明らかである。」と結論付けている*4


また,検察官出身の古田佑紀判事は,

「いわゆる「1票の較差」の問題について,選挙権が個人の権利として付与されていることからして,選挙区間における相対的な最大較差の問題の重要性を否定するものではない。しかしながら,代表民主制における選挙が相対的に多数の得票を獲得した者を代表として選出するものであり,1人の選挙権の行使が直ちに特定の代表の選出の結果を導くものではなく,他の選挙権者の選挙権の行使とあいまって初めて特定の代表の選出という効果を生じさせるものであることはいうまでもない。この点において,普通選挙による代表民主制における選挙権は,等しく個人の権利とはいっても,自由権その他それ自体で個々に完結的な効果が予定される権利とは異なる面がある。「1票の較差」の問題はこの面に関する問題であって,「1票の較差」という見地から選挙制度憲法適合性を考える上では,その選挙権者を含めて何人の者が1人の代表を持つことができるかが重要な問題といわなければならない。この観点からすると,ある選挙区における議員1人当たりの人口(選挙人数を基準とすることも考えられるが,区割りが国勢調査による人口数を基準としているので,人口数を基準とすることとし,以下「選挙区人員数」という。)が全国の議員1人当たりの平均人員数(全国の人口数を選挙区選出議員の総数で除したもの。以下「基準人員数」という。)とどの程度かい離しているか,すなわち選挙区人員数の基準人員数からの偏差(以下単に「偏差」という。)が,選挙区間における相対的な較差と,少なくとも同程度に重要な問題といえ,区画審が平成12年国勢調査の結果に基づき区割りの改定案を作成するに当たって定めた「区割りの改定案の作成方針」においても,偏差を一定範囲にとどめることが基本とされている。」
「このような観点から考察すると,小選挙区制度においてある選挙区の偏差が著しく大きく,1個の選挙区とすることが比例原則の要請に反する場合には,相対較差のいかんにかかわらず,それ自体で憲法に適合しないというべきである。」(16-17頁)

と,「偏差」を用いた新しい判断基準を提唱したうえで,

「本件選挙当時,その選挙区割りの前提とされる平成12年国勢調査の結果によれば,偏差が最大の選挙区は高知県第1区であって,その選挙区人員数は基準人員数の約0.64であり,一方,選挙区人員数が基準人員数より多い選挙区についてみると,偏差が最大のところは兵庫県第6区であって,選挙区人員数は基準人員数の約1.32であり,いずれも,1個の選挙区とすることが許容されない程度の人員数には至っておらず,それ自体で比例原則に著しく反するとまではいえないと考える。また,選挙区人員数が基準人員数の0.6台の選挙区は上記の高知県第1区など19選挙区,1.3台のそれは上記の兵庫県第6区など4選挙区であり,それぞれ全体を一つの母集団と見て,その人口を合計した上,これを基準人員数で除して,その母集団に配分されるべき議員数を計算すると,前者は約6人のプラスが生じていることになり,後者は約1人のマイナスが生じていることになるが,多数意見も指摘するように都道府県を単位として定数を配分することには合理性があること,衆議院においても議会の構成に可能な限り広く国民の意思が反映されるようにすることが相当であること,その属する都道府県単位で見れば,マイナスになる選挙区については割当てが多数のところであることに加え,実際の区割りにおいては不自然な分割を避けるなどの技術的要請があることからすれば,このような差を生じているとしても,本件区割規定が国会の立法裁量として合理性を著しく欠くとはいえず,また,比例原則に著しく反するとまではいえないと考える。」(18-19頁)

という論旨により,多数意見と同様の判断を導いている。


これらの判断基準は,あくまで合憲との結論を後押しするために用いられる結果になっているから,「単に違憲のハードルを上げただけ」という批判も当然に予想されるところではあるが*5,呪文のようにこれまでと同じ判旨を繰り返すだけの伝統的な多数意見に比べれば,新しい発想を取り込んで議論を発展させようという野心が込められている分,肯定的に評価する余地はあるように思う。

選挙区割りの合憲性をめぐる反対意見

一方,選挙区割りの合憲性という論点に関しては,以上ご紹介した,純粋多数意見に与する5名の裁判官と,補足意見を書かれた4名の裁判官を除く6名の裁判官が,実質的に「反対意見」に分類しうる意見を書かれている。


これまでの大法廷判決での反対意見と同様に,本件区割規定が憲法に違反する,と明確に述べられているのが横尾和子(行政官出身),泉徳治(裁判官出身)の両裁判官であり,特に泉徳治判事は,1人別枠方式について,

「各都道府県の議員数の減少を低く抑えるという目的で,人口比例原則の例外を設けるということは,何らの正当性を有しないばかりか,選挙権平等の憲法原理に対立するものであり,到底是認することができない。また,国会議員を地域の代表者ととらえることは,国会議員を全国民の代表者とする憲法理念に反するものである。」(36頁)

と厳しい批判を加えている*6


また,藤田宙靖裁判官(研究者出身),今井功裁判官(裁判官出身),中川了滋裁判官(弁護士出身),田原睦夫裁判官(弁護士出身)の4名の裁判官は,「本件区割規定を違憲と判断することはできない」という結論こそ多数意見と同じであるものの,

「定数の配分に当たり非人口的要素を考慮することが許容されるのは,それが投票価値の平等を損なうことを正当化するに足りる合理性を有する場合に限るといわなければならない」(56-57頁)

という規範を立てた上で,「1人別枠方式」の制定経緯,その後の状況等を詳細に検討し,

「1人別枠方式は,その目的及び手段において合理性の乏しい制度であって,投票価値の平等を損なうことを正当化する理由はないというべきである。」(61頁)

と断定したうえで,

「本件区割規定に基づく選挙区間の人口ないし選挙人数の較差をみると,それが2倍を超える選挙区が,改正直前の国勢調査における人口によれば9,本件選挙当時における選挙人数によれば33に達していたのであるが,このような結果を招来した原因として1人別枠方式の採用によるところが大きいこと,各選挙区間の議員1人当たりの人口較差及び基準人数からの各選挙区の人口の偏差が,1人別枠方式を採ることにより,人口比例原則を採る場合よりも大きくなったこと,1人別枠方式を採用すること自体に憲法上考慮することの合理性を認めることができないことにかんがみると,本件区割規定は,その内容において,憲法の趣旨に沿うものとはいい難い。」(61-62頁)

と明言しているのだから,実質的には反対意見に限りなく近いというべきだろう*7


次回選挙までに区割り規定に抜本的な修正が加えられないようであれば,一気に「違憲」派が増える(といってもまだ6人だが)ことを予感させるような興味深い状況だと言える。


ここでは,藤田宙靖判事が「意見」として示しておられる以下の部分を引用しておくことにしたい。

「代表民主制の下,第一院として衆議院が置かれていることの意義,そこにおいて民意を直接的に代表せしめることの必要性,参議院議員選挙におけるのとはまた異なった投票価値の平等の重要性,等々の,憲政上の重要事項につき,立法府において十分に思いを致され,「1人別枠方式」の合理性・存置必要性につき,絶えず再検討をされるべきである。」(27頁)

選挙運動規制の合憲性をめぐる反対意見

さて,こちらの論点については,明確に反対意見を述べられている横尾和子(行政官出身),泉徳治(裁判官出身),田原睦夫(弁護士出身)の3裁判官に加えて,藤田宙靖判事(研究者出身)も実質的な反対意見を述べられている。


立法目的の一応の合理性を認めつつも,

公職選挙法が政党届出候補者と本人届出候補者との間に設けた差別は,前記の立法目的の達成のため是非とも必要な最小限度のものということはできず,選挙人の候補者に関する情報の取得と,候補者に関する均等な情報に基づく適切な選挙権の行使を過度に妨げるものであり,議会制民主主義の原理に反し,国民の知る権利と選挙権の適切な行使を妨げるものとして,憲法に違反するものといわざるを得ない。」(41頁)

として,違憲との判断を下している泉徳治判事の反対意見や,「候補者届出政党に所属する候補者とそれに所属しない候補者間の選挙運動の差」を個々の活動の要件等に照らしながら検討したうえで,

「各選挙運動それぞれについて,単なる量的相違にとどまらず,量的な較差が生じていると評さざるを得ないのであり,それらの各選挙運動の総合結果は,各選挙運動の較差を加算したものにとどまらず,それらの較差を乗じたものとなるのである。」(53頁)

として違憲との判断を導いた田原睦夫判事の反対意見。


そして,結論としては定数配分問題と同様に,国会の裁量権の逸脱までは否定しつつも,「政党(又は政党に属する候補者)にのみそうでない者には許されない「政見放送」のような強力な武器を与えるということは,そのこと自体既に「公平・公正な選挙」(ないし「法の下の平等」)との要請とは本来相容れないものというべきである」(27頁)と述べた藤田宙靖判事の意見。


いずれも,この争点に関する問題意識が明快に整理されており,「政見放送」を「選挙運動の一部を成すに過ぎない」等と強引に片づけてしまう多数意見なんかに比べると,よほど説得力があるように思えてならない。


そして,問題となった平成17年総選挙の特殊性にかんがみ,極めて強烈なインパクトのある反対意見を書いたのが,以下で紹介する横尾和子判事である。

横尾和子判事の反対意見

横尾判事は,この争点を「政見放送」に関する問題に限定したうえで,

「この規定は,国会議員5人未満の政党等とその所属する候補者及び政党等に所属しない候補者の政見を表明する機会を制限することとなり,また,既存の政党間の政策論争では採り上げられなかった政策課題や直近の国政選挙時では争点とはならなかったが,にわかに浮上した政策課題について候補者届出政党に所属しない候補者が政見を表明する機会を著しく制限するものであり,また,国民は,そのような政策に関する政見に接する機会を制限されることにもなる。したがって,公職選挙法の上記規定は,政策本位,政党本位という立法目的にかえって反するものと解される」(31頁)

と当該規定の合理性を否定し,さらに,「テレビ局等の負担」という多数意見が言及した論拠もつぶした上で,最後にこう述べられる。

「なお,本件選挙においては,郵政民営化法案の是非が大きな争点となったが,33の選挙区で郵政民営化法案に反対する自民党議員に公認が行われなかった。公認されなかった議員のうち国民新党新党日本を結成し,候補者届出政党所属議員としての地位を確保した者もいたが,無所属議員が平成17年9月21日特別国会召集時点で17名であった。このように,特に,本件選挙においては,候補者届出政党に所属しない候補者に政見放送を認めないことが,国民が候補者間の政策の相異を理解し,政策本位の選挙を実施することの妨げになった可能性があったことを付言する。」(32頁)

今回無効が主張されていた選挙の最大の問題点が何だったか,というところに思いをはせた時,選挙を無効とする,ないし選挙の違法を宣言する根拠として,上記横尾判事反対意見の指摘部分に一番説得力を感じたのは自分だけだろうか?


引き続き宿題を残す形にはなったものの,争点を風化させないだけの視点を(多数意見,反対意見のいずれの立場からも)提示できたという意味で,それなりの意義は残した判決になったのではないか,と自分は思っている。

*1:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070613175229.pdf

*2:島田仁郎裁判長、上田豊三裁判官、甲斐中辰夫裁判官、堀籠幸男裁判官、涌井紀夫裁判官野5名。うち甲斐中裁判官(検察官出身)を除く4名が職業裁判官出身者である。

*3:平成18年大法廷判決については,http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20061208/1176601500参照。

*4:なお、那須弘平判事は,区画審設置法3条1項の規定を「国会が平等性確保の観点から参議院議員選挙より厳しい基準を設定し,国民にその遵守を宣明し,もって自らの裁量権を事実上限定したもの」と評価したうえで,同法4条2項が,人口の自然な変動によって若干の較差の増加が生じることについてはこれを想定内のこととして容認する趣旨を含んでいるとして,「本件選挙の区割りは,小選挙区に限って較差を見ても,立法裁量権を逸脱するまでの不平等な状態にはなっておらず,憲法に反するものとはいえない」と結論付けている。

*5:平成18年判決で那須・津野裁判官が同様の補足意見を書いた際にも同種の批判は出ていたと記憶している。

*6:もっとも,本判決におけるいずれの反対意見も,選挙そのものを無効とはせず,事情判決の法理による違法宣言を行うべき,とするのみにとどめているのではあるが。

*7:結論としては,これまで最高裁が平成11年,平成13年と合憲判決を出し続けていることから,「本件選挙当時まで1人別枠方式を是正することなく放置した国会の不作為をもって,許される裁量の枠を超えたもの評価することは困難である」として,「本件選挙を直ちに違憲違法であると断定することにはなお躊躇を覚える」というところに落ち着いているのだが・・・。

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