高部判事からの宿題(上)

だいぶ古いネタになるが、NBLの6月15日号(859号)、7月1日号(860号)に掲載された高部眞規子判事の論稿、「知的財産権訴訟 今後の課題(上)(下)」について*1


この論稿、

「平成6年以降13年間、東京地方裁判所知的財産権部および最高裁判所調査官室において知的財産権事件を担当してきた」

高部判事がこれまで判決文や諸論文を通じて訴え続けていた“知財に対する思い”の集大成ともいえるもので、所々に斬新な解釈や提言の披露も含まれており、現役裁判官が書かれたものにしては随分思い切ったもの、という印象を受ける。


おそらく、これから知財事件に携わる後輩判事や実務家に向けて「宿題」を出すつもりで書かれているであろうこの論稿。


筆者自身、夏休みの宿題のつもりでいろいろ考えたことを若干のコメントとして述べつつ、以下では個々の論点ごとに紹介していくことにしたい。

特許権侵害訴訟における無効の抗弁−キルビー判決の前後をふり返って*2

高部判事が本稿においてもっとも力を入れているのが、このテーマと次に挙げるクレーム解釈の問題であると思われる。


特にキルビー判決は、高部判事自身が調査官解説を書かれているはずで、特許法104条の3の導入にあたっても相当の思い入れをお持ちのはずだ。


いろいろと議論のある現在の特許法104条の3の解釈についても、

特許法104条の3にいう「無効にされるべきもの」という表現ぶりは、キルビー判決における「明らかである」という表現では直接的にはなくなったけれども、無効審判が請求された場合に無効審決が確定するような事態を想定していることになる。したがって、これは、判断齟齬ということができるだけないようにという意味での、すなわち、前記2で述べた第2の観点から導かれる意味における「明らかである」という要件と同義であると解される」(16頁)

と言い切っているのは非常に印象的といえるだろう。


そんな高部判事が、特許権侵害訴訟の現状に鑑み、課題としてあげているのは以下のような点である。

(1)侵害訴訟に平行して無効審判請求がなされることにより、迅速審理が妨げられ判断齟齬の危険が生じている。ダブルトラックの解消について再度議論すべき。

(2)キルビー判決および特許法104条の3の制定後、特許権侵害訴訟において特許無効が主張され現にそれが認められて請求が棄却された事案が多い。特許権を行使しようとする側が裁判による解決を手控えるような傾向は望ましくない。

(3)特許が無効と判断されることを恐れた権利者側が数多くの権利を持ち出してくる例があり、裁判所、当事者の負担が重くなっている。
(以上、18-19頁)

このうち、(1)については、確かに指摘のとおりだろうが、実際に訴えられた側としては、訴訟も審判も、と両方のルートで徹底的に争いたい、という思いがあるわけで、

「侵害訴訟が提起された後は、ワンチャンスとし、権利行使を受けた相手方としては、侵害訴訟の中で全力を尽くして、特許の無効理由を整理して主張し、侵害訴訟の裁判所もそれについて責任を持って判断するという、ダブルトラックでない形での審理判断」(18頁)

におとなしく承服できるかどうかには疑問がある。


(2)で、

「キルビー判決は、歪んだクレーム解釈を是正し、真に保護に値しない権利の行使を封じようとしたものであって、裁判上の権利行使をした事案の多くの場合に権利の行使が封じられるような事態を想定していたものではない。現状の特許権侵害訴訟の認容率の低さとこれによる訴訟回避の傾向は、ゆゆしき事態といえよう。」(18頁)

と「正当な権利に対する裁判上の救済」を説かれる高部判事としては、

「中小のベンチャー企業特許権者である場合に、審決取消訴訟にも対応し、侵害訴訟にも対応しなければならない」(18頁)

という事態は看過できないのであろうが、高部判事が自ら担当された一太郎事件をあえて持ち出すまでもなく、特許の有効性判断にギャンブル的要素があるのは否めないのであって、ルートを一本に絞ることで博打的リスクをさらに加速するおそれがあることも考慮する必要があるのではないだろうか*3


とはいえ、キルビー高裁判決以降、長きにわたって論じられてきた花形論点に対し、つい先日まで知財部にいた現役裁判官がコメントした意義は大きいといえるだろう。

クレーム解釈

花形論点といえば、大合議判決を控え、今後もっとも注目されることになると思われるのが、この「クレーム解釈」の問題。


ここでも高部判事はキルビー事件を契機としたクレーム解釈の変容に言及しつつ、自説を展開されている。


特に、侵害裁判所におけるクレーム解釈と、特許無効審判ルートにおけるクレーム解釈の関係について説かれるあたりは、今後の裁判例の動向を占う意味でもいろいろと興味深い。


高部判事は侵害訴訟における特許無効の抗弁と無効審判ルートによる結論に齟齬をきたさないためには、特許無効の抗弁を判断する上でも、最二小判平成3年3月8日(リパーゼ事件)の示した基準*4に従うべき、とする。


そして、「侵害訴訟の裁判所が同一の判決中で2つの場面について異なるクレーム解釈をすること(技術的範囲の確定の場面では特許法70条2項に基づき発明の詳細な説明等の記載や図面を考慮し、無効の抗弁を判断する際にはリパーゼ事件の基準による、というダブルスタンダードを用いること)」に「抵抗感を否めない」と述べた上で、キルビー判決の趣旨を

「技術的範囲の確定の場面におけるクレーム解釈と特許の有効性の判断におけるクレーム解釈の合致が志向されていたものと解される」(22頁)

と解し、両者の統合を示唆するあたりは、なかなか意欲的なコメントといえる。


高部判事は、

「現実の問題として、大多数の特許発明の特許請求の範囲の記載は、一義的に明確に理解することができないなど、上記特段の事情がある場合のように思われる」
「充足性の判断におけるクレーム解釈と無効の抗弁におけるクレーム解釈が、現実に齟齬する事態は少ないものと思われる」
(22頁)

と述べられるが、このような「現実の問題」だけで「統合」を果たしうるかは、議論の余地があるところだろう*5


だが、キルビー判決に端を発した一連の論争の終着点ともいうべき争点について発せされたこの問題提起を、我々がしっかり受け止めねばならない、というのは言うまでもないことであるように思われる。


(つづく)

*1:(上)NBL859号14頁(2007年)、(下)NBL860号40頁(2007年)

*2:NBL859号14頁-19頁

*3:高部判事は、侵害訴訟の確定後に無効審決が確定しても必ずしも再審事由にあたらない、という見解に好意的であるように思われる(19頁注10)が、この点についても侵害訴訟の被告側にとって酷な結果とならないか吟味する必要があるといえよう。

*4:特段の事情がない限り、特許請求の範囲の記載のみに基づいて発明の要旨認定を行うべき、という基準。

*5:どんな問題でも必ず例外的少数が存在するのもまた「現実」である。

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