与謝野馨官房長官が、インド洋での自衛隊給油活動継続のための新法案が参院で否定された場合の対応に関し、
「日本国憲法の起草者は衆参の議決が二分されることを十分予測して規定を書いた。普通のこととして使っていい憲法上の規定だ。」
と、衆議院での再議決を示唆したことが物議を醸しているらしい。
だが、憲法上認められた規定である以上、衆議院がその権能を行使し得ない、という解釈を採ろうとすること自体、そもそも失当というべきだろう。
今の衆議院の構成は、2005年の総選挙における「民意」を反映したものに他ならず、その「数の力」を否定するのは、事実上、「民意」そのものを否定するに等しい。
恐らく反対論者の反論としては、現在の衆議院の構成は、あくまで当時の小泉首相が示した“郵政民営化”の是非に対する「民意」であって、現時点での政権、そしてその政権が目指す政策に対する国民の意思は、先の参議院選挙に現れているのだから、その意義(ひいては二院制の意義)を否定するような暴挙をなすべきではない、というものになるのだろうか。
しかし、解散されない限り、その選挙で選ばれる衆議院議員は4年間その席にい続ける、ということは憲法の条文にちゃんと書かれていることなのであって、あの時点で自民党に投票した選挙民とて、当然そんなことは知っていたはずだ。
それでも、あえて国民の多くがあのような極端な投票行動に走った以上、それによって形成された事実状態としての「数」は、やはり尊重されなければならないと思う。
メディアは政権交代に向けた煽りに日々余念がないが、ここまできて細々した好感度稼ぎに走っても無意味なのだから、政権としては、参院で否決されたなら衆院で淡々と再議決すればよい。
そして、「辞める」なんて軽々しく言わずに、2009年まで今の内閣で引っ張れば、野党の方が勝手に自滅してくれるはずである・・・。
筆者は、元々自民党が嫌いだ。
安倍晋三みたいなバ●ボンボンはもっと大嫌いだ。
それにもかかわらず、筆者がここまで言うのは、何でも政局に絡めてしまう「哲学なき政治家」小沢一郎が、崇めたてまつられている今の風潮が許せないから。