私的複製規定見直し論議の波紋

文化審議会著作権分科会・私的録音録画小委員会が中間報告案に盛り込んだとされる、「音楽や映画の違法コピーの複製は個人利用でも違法」にする、という改正案が日経新聞のコラムで取り上げられている。


同コラムでは、音楽業界(日本レコード教会・畑陽一郎法務部副部長)の期待の声と、懐疑的な声(ある著作権管理の専門家とIT・音楽ジャーナリストの津田大介氏)の双方を取り上げた上で、最後に

「法改正が実現すれば、多数の国民が“違法状態”となる可能性がある。にもかかわらず、音楽業界の活性化に直結するとは言い切れない点が気になる。」(日本経済新聞2007年10月2日付夕刊・第2面)

とまとめているのだが・・・。


普通に考えれば、こういった法規制はあくまでビジネスの素地を整えるための方策に過ぎないのであって、それによってビジネスそのものが「活性化」するなんてことは考えにくい。


ヴィトンやプラダが売れるのは、それらのブランド自体が強烈な顧客誘引力を維持し続けているからであって、その理由を「模造品防止策」の存在に求める人はそんなにはいないだろう*1


特殊な奢侈品である“ブランドもの”と、消費財としての“音楽・映画”を比較するのは失当だ、という意見も予想されるところではあるが、「商品」そのものに魅力があるからその「商品」が売れる、という原理自体には何ら変わりはないのであって、整えた素地の上に訴求力のある素材を揃えて並べられるようにならない限り、業界の「活性化」など望むべくもないだろう。


客観的に見て、明らかに全体的なコンテンツの魅力自体が失われつつある業界に限って、“昔の名前”で手に入れた政治力で法規制強化を求めがちな現状。


だが、コンテンツに魅力はないわ、ガチガチの法規制でユーザーにとっての使い勝手も悪いわ、ということになれば、その業界そのものが廃れてしまうのは自明の理であるように思われる。


停滞し切っていた邦楽の世界を甦らせたのが、レンタルショップからの又貸しで、細々とCDを聞いていた若者世代の「5年後、10年後の購買力」だったことを考えれば、何かと懐の厳しい中高生世代のために、黙認という名の寛容を示しても良かったんじゃないだろうか。


「違法コピー」にない付加価値や魅力が正規品に備わっていれば、法規制強化などに血道を挙げなくても「商品」は売れる。


商品の特性上、どうしてもそれが無理、というなら法規制強化に救いの道を求めるほかないのかもしれないが、今話題になっている業界で、本気でそういう取り組みが行われているとは、自分には到底思えないのである・・・。

*1:もちろん、ブランド保護を図る上で間接的な効果を発揮しているのは確かだろうが、それが売上に直結しているかといえば疑問である。

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