平板なモノの見方

イチイチ声を大にして指摘するようなことではないと思うが、最近気にしていたトピックについて、典型的な金太郎飴的表現を見つけたので、晒してみることにしたい。


日本経済新聞1面に掲載されている、「連合は非正規対策の実行を」をいうタイトルの社説。


内容は、労働組合の全国組織である連合の「非正規雇用者の組織化」が見るべき成果を挙げていない、と指弾し、「労使関係の基盤」の安定化のために、積極的な取り組みを求める、といういかにも日経らしいものなのだが、引っかかるのは以下のくだり。

「終身雇用の外にある非正規労働者の多くは職業能力の向上があまり期待できず、長い目で見て経済全体の発展にも支障が出かねない。」
日本経済新聞2007年10月14日付朝刊・第2面)

これを“金太郎飴”といわずして何と言おう(苦笑)。


書いた記者を責めるのは酷だ。


同じことは世の労働族の先生方や実務家がキャッチフレーズのように言っているし、「社説」欄の限られた字数の中で、コンパクトにまとめるにはこういった表現を取らざるを得なかったのだろう、と推察する。


だが、ここで一言問いたい。

「職業能力」

って、何なのか?と。


契約社員派遣社員などは、「終身雇用」の外にある人々として、ここでいう「非正規雇用」の代表例にあたるものと考えられるが、今の職場の中で、こういった人々がいないと仕事が回らないという職場がどれだけあるか、普通に仕事をしていれば、容易に気付きそうなものだ。


これは、単に人手が足りない、という問題ばかりではない。


正社員の異動サイクルが早い会社の場合、担当者が十分に経験を蓄積する前に、人が次から次へと入れ替わってしまうから、時に、同じ職場に長くいる派遣社員契約社員の方が、知識・経験ともに豊富になる、ということも稀ではないのだ。


そうなると「正社員」が優越しているはずの「職業能力」って何なのだ?という話になってくる。


冷静に分析してみれば、企業で「正社員」がやっている仕事の中で、“何らかの特別な能力”が求められる業務などたかが知れている。


いわゆる事務・庶務業務は、そもそも「正社員」がやっていた仕事を非正規労働者に置き換えているのだから、そんなに差が出るものではないのは明らかだし、現場の製造ラインだって、高度な技術を要するような部分は限られている。


税務、法務といったスペシャリスト業務ならともかく*1、通常のライン業務であれば、通常のコミュニケーション能力と、最低限のITスキルと、その会社や業界特有の知識が一定程度あれば勤まるのであって、それは大抵の会社で、入社1,2年の人間でも(経験によるレベルの差はあるとはいえ)、中堅社員がこなすような仕事を一応は回している(これは自分自身も経験したことだけに良く分かる)ことからも明らかだ。


両者の間に差があるとしたら、酒席で上司を立てる術、とか、役員にゴマをする術、とか、休日に付き合わされるゴルフの腕前、とか、そんなものくらいだと思うが、そんなものは「経済全体の発展」には何ら関係のないことである*2


非正規労働者だろうが、正規労働者だろうが、似たような仕事を長くやっていれば、自ずから必要なスキルは身に付くのであって、「職業能力」云々を取りざたすのは失礼というものだろう。


問題の本質は、「同じような仕事をやっているにもかかわらず、賃金等が不当に安い」という処遇差別や、「慣れてきた頃に職場を変えられてしまう」(そしてそれを後押しするような法制度が存在している)といった運用上の不備にあるのであって、「非正規雇用であること」それ自体にあるわけではない。


それがあたかも、

非正規労働者である」
    ↓
「職業能力が向上しない」
    ↓
「ゆえに問題だ」

として、非正規労働者の正規労働者への取り込みを図るのは、単なる問題のすり替えに過ぎないし、そういった発想は「職業能力が低いから賃金も安くていいんだ」という発想にもつながりかねない危険な思想といえよう*3


最初にもことわったとおり、社説のちょっとしたワンフレーズを取り立てて非難するのは気の毒な気もするが、こういうちょっとしたところから、世の中の偏見というのは増幅されていくものだから、些細なところの表現にも気を遣ってほしい、という思いを込めて書いてみた。


なお、当の社説の本題である、「非正規労働者の組織化」について言えば、少なくとも今の連合が中心になって進めようとする限りは無理だろうし、仮に進めたところで、それは連合にとってはプラスでも(上納金が増えるから)、当の非正規労働者にとっては決してプラスにはならないだろう、と思う。


本ブログで何度も書いてきたとおり、「組合」を通じた集団的労使関係調整スキームは、もはや、個々の労働者のニーズを満たすにはあまりにも迂遠で鈍重なものになってしまっているし、仮に機能するとしても、「ロッカーが足りない」とか、「福利厚生を何とかしろ」といった問題を解決するところまでが限界だろう。


個々の労働者が抱えている問題は、個々の労働者自身が法の助力の元に解決すべきだし、本当に必要なのは、それに応えるための環境整備なのだ*4


その観点からすれば、当の社説の結論自体にも、難癖をつけるべきところは多々あるのだが、今日はこの辺にしておこう・・・*5

*1:この辺の仕事だって、他人の要望を汲み取って知識のある者につなぐことさえできれば、一応は務まる。

*2:大体、自分は10年会社にいても、これらのスキルは何ら持ち合わせていない(笑)。

*3:さらに言えば、「非正規雇用者」と「正規雇用者」との間に、あたかも「職業能力」という何ら根拠のない「壁」があるかのようなことを訳知り顔の論者が囁いているがゆえに、それを真に受けた「非正規雇用」組が「正規雇用」への転換を躊躇い、採用する企業側でも一種の偏見をもって「非正規雇用」組を眺めている実態も存在する。筆者としては見るに堪えない。

*4:現時点で、紛争解決のスキームは整いつつあるし、個々人が容易にアクセスできる程度の数の法曹数も今後は確保できるだろうから、後は受任する側の意識と、相対峙する会社側労務屋の意識をどこまで変えられるか、が鍵になると思う。「会社の中のことを裁判所に持ち込みやがって」などというアサッテのグチを溢すような輩は、化石として放逐すべき時に来ている。

*5:「「我が社第一」が本音の組合が少なくないからだ」のくだりなどは、実際その通りだし、こと政策立案過程への関与という点に関しては、労働組合の役割も未だ侮れないから、連合自体が従来の正規雇用偏重主義から政策転換を図ることにはそれなりの意義があると思っている(もっとも、今の連合が真の意味での“転換”を図れるとはとても思えないのだが。

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