溜飲が下がった論稿

日本経済新聞の『経済教室』というコーナーに、郷原信郎桐蔭横浜大教授が、「刑事罰 制裁機能適正化を」というタイトルで寄稿されているのだが*1、この内容が実に興味深い。


最近では“コンプライアンス”の唱道者としてご活躍の郷原教授のこと、おそらく上記論稿で述べられているような中身についても、あちこちでお話しになられていたのだろうが、自分がまとまった形で拝見したのはこれが初めてであるので、ここでご紹介することにしたい。


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「経済事件と司法」という大テーマの下で郷原教授が素材としているのは、近年世の中をにぎわせた「ライブドア事件」と「村上ファンド事件」なのだが、郷原教授は冒頭から、

「世間の耳目を集めたライブドア村上ファンド事件に関し、最近相次いで出された一審判決は、刑事司法の制裁システムとしての欠陥を露呈するものだった。」

とセンセーショナルに問題の指摘を行い、「村上ファンド事件」に関しては、同事件における村上ファンドの取引が「全体としてはインサイダー取引の構造ではな」く、「核心はむしろ、ライブドアによる大量買いが村上ファンド側に仕組まれたものだったという点」にあったこと、にもかかわらず、検察側が証取法157条1項(包括条項)を適用せず、「インサイダー取引で無理に犯罪事実を構成した」ために、地裁判決によって企業に悪影響を与えるような“一般論”が示される結果になってしまったこと、に批判の目を向けている。


また、「ライブドア事件」に関しては、「最終的に起訴された事件と比較し、検察の強制捜査による社会的経済的影響があまりに大きかった」ことを指摘した上で、一審判決は起訴事実を過大視している、とし、

「この事件に関し検察が市場を混乱させてまで突然の強制捜査という手法を用いたことの是非という重要な問題から目をそらすことになりかねない。」

と痛烈に批判している。



郷原教授が問題の解決策として、

「行政庁内部に、適正な証拠収集・事実認定に基づく悪質性・重大性に応じた制裁を行い得る司法的なスキルを持つ人材を確保する必要がある」

という提案を行っている(しかもそれと法曹資格者増員の問題を結び付けている)あたりには、大学関係者ならではの我田引水的香りを感じるし*2村上ファンド事件に関するコメント等、検察の姿勢を批判しつつも“検察ストーリー(&それにただ乗りした裁判所の判決)”から逃れられていないように見えてしまう部分もあったりするのは若干引っかかる*3


だが、ライブドア事件の起訴事実に対する評価や、両事件判決に対する問題点の指摘、そして、

「経済社会のルールの実効性を担保するための制裁を刑事処罰によって行うのなら、そこで示される判断は、個別の事件についての適切さだけではなく、経済活動に対して広く適用されるルールとして普遍性を備えたものでなければならない。」

と述べられている点などは、本ブログにおいてかねてから指摘してきた内容とかなりの部分共通するものであり、自分としても「溜飲が下がる」感を抱いたところである。


多くのメディアが、表面的な印象論だけで首謀者たちの「逮捕−起訴−有罪」といった一連のプロセスに喝采を上げ*4、それを受けた世論が支配的になっている現在、上記のような論稿を大衆メディアで公表することは、それ自体勇気のいることだろう。


だが、そういう状況下であるがゆえに、あえて世の支配的風潮に挑まれた郷原教授の論稿には大きな意味がある。


今後、高裁、最高裁と続いていく過程の中で流れは変わるのか?
引き続き注目していかねばなるまい。

*1:日本経済新聞2007年10月25日付朝刊・第29面

*2:そもそもこういった強引な捜査・起訴が行われるのは、東京地検に司法的スキルを持つ人間がいないからではなく、自らの存在意義を示すために“世論”に一定程度迎合せざるを得ない(メディアが叩いているターゲットは何としてもやっつけないといけない)宿命を負っているから、であるように思われるから、そういった呪縛から検察官が解放されない限り、問題は解決されないのではないかと思う。

*3:郷原教授は、裁判所が「悪質な情状」として認定している事実を元に、村上ファンドの取引の「真の構図」を指摘して論じているのだが、インサイダー取引の構成要件該当性が争われている同事件においては主要な争点とはなっていない「仕組まれたTOB疑惑」について、判決で示された事実を所与の前提として論じるのは、若干行き過ぎであるように思えてならない。

*4:それでも村上ファンドの第一審判決の頃には、だいぶ落ち着いてきていたように思われるが。

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