経済事件における「反社会性」

前日のエントリーに引き続き、日経新聞の『経済教室』コーナーから。


「経済事件と司法」というテーマの下、「下」として、清水剛・東大准教授が「反社会性を判断の中心に」というタイトルを付された論稿を寄稿されている*1


日経のこのコーナーで、「上」(中)「下」、と連続して同一テーマが組まれる場合には異なる意見が並列的に連載されることが多いのであるが、今回は珍しく、前日の郷原教授の論稿と比較的似たようなニュアンスの結論が導かれている結果となっている*2のが興味深い。


清水准教授は、「ライブドア事件」と「日興コーディアルグループNCC)事件」とを対比して、いずれも粉飾決算が問題になった事件であるにもかかわらず、前者においては50億円程度の粉飾に対して実刑判決が言い渡され、後者においては約150億円の粉飾について関係者の起訴にすら至らなかった、というアンバランスさを指摘されている。


そしてこのような結果に至った背景に、

「そこで使われているやり方(略)が形式的に法令違反だと判断される可能性の高さ」

に違いがあることを指摘する一方で、

「こうした両事件の差は、必ずしも両事件の反社会性の程度の差を意味しているわけではない」

とし、

「それゆえに反社会的であっても形式的に法令違反とされる可能性の低い、この意味で「巧妙な」やり方については制裁が機能しないことになる」

という問題を指摘しているのである。



清水准教授が問題にしているのは、「ライブドア」よりも粉飾金額が大きく、かつ「実現していない評価益」を計上した日興コーディアルグループが、そのやり口の巧妙さゆえに刑事処罰を受けなかった、という点であり、ライブドア事件に対して有罪判決を言い渡したことそれ自体を問題視しているわけではない。


だが、「ライブドア事件」における“粉飾”スキーム(投資事業組合を通じた親会社株売却益を利益として計上したこと)が「買収対象会社の株主が株式交換ではなく現金での買収を望んだために考えられたものであること」及び「売却益が確実に発生しており、架空の売り上げを計上したわけではないこと」から、

NCC事件に比べ反社会的だとはいいがたい」

と述べられているあたりは、前日の郷原教授の論稿と同じく、同事件を“凶悪な経済事犯”として片付けようとする世の論調に一矢報いるものといえるし、結論として、

「このような役割を果たすためには、まず適用すべきルールやそこで守ろうとしているもの、あるいは何が問題のある行為であるのかを明確にした上で、例えば・・・のような行政処分を一層活用し、また事後的に迅速な法改正を行っていく必要があるだろう。」

とまとめている点なども、郷原教授のご見解に近いものがある。


筆者自身は、両事件における結論の差は、単に「巧妙なやり方」を知っていたかいなかったかだけで理由付けられるものではないと思っているが*3、実際の取引内容に関する法的、事実的観点からの吟味を十分に行わないままペナルティを課そうとしている(ように見える)当局及び裁判所の姿勢には元々疑問を感じていたところだったので、単なる形式的な構成要件該当性判断だけではなく、実質的な「反社会性」(≒違法性)の程度によって結論を出すべき、という清水准教授の提案には、自然と納得させられる面があるといえるだろう。



寄稿をお願いすれば“郷原教授とは正反対の論調”で反論されたであろうW大の某教授などではなく、経済学・経営学者をあえて執筆者としたあたりに、日経新聞にも何らかの意図がある、というべきなのかもしれない。


だが、そういった点を差し引いても、モヤモヤしていた一連の件について、本稿は(最低でも)頭を整理するための有意義な素材になるうるのではないか?


前日の郷原論文ともども、一連の論稿に対する論者の評価は様々であろうが、自分としては、今後の高裁判決に向けてより一層議論が深まることを願い、上記論稿を紹介した次第である。

*1:日本経済新聞2007年10月26日付朝刊・第31面

*2:前日の郷原教授の論稿が専ら法学的視点で書かれているのに対し、この論文は経済学・経営学的観点から書かれている、という点で違いはあるのだが。

*3:筆者自身は、両事件で結論を異にした原因は、当事者企業の産業界におけるプレゼンスの差にあったのではないかと思っている。

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