セカンド・オピニオン問題

ボツネタで紹介されていた「弁護方針にも、セカンドオピニオン制度を」というオーマイニュースの記事*1


仮に、ここで紹介されているエピソードが真実だったとしても、たった1件のレアケースで、

「法律の解釈は、弁護士によって違う。だから、弁護方針も、方法もそれぞれだと思う。しかし、医療の世界では一般的になった「セカンドオピニオン」を、弁護士の世界では聞くことができないのだ。」

などと断言してしまうのでは、軽率との謗りを免れないだろう。
そして、この辺りが「市民記者」の限界といってしまえばそれまでの話だ。


少なくとも企業法務の世界では、「セカンド・オピニオン」、「サード・オピニオン」を取ることが常態化しているし、近年の流れからして、クライアントに「セカンド・オピニオンを取るな」と露骨に言うような弁護士がそうそういるとも考えにくい。


もっとも、「理念」と「現実」は別。


上記記事の中では「一般的になった」とされている医療の世界においてすら、現実にセカンド・オピニオンを求める患者の数がそんなに多いとは思えないし、ましてや、「他の先生にも聞いていいですか?」と言われて素直に受け入れる医者ばかりだとは到底思えない。


会社の中で仕事をしていれば、自分の意見が別のところ(上司だったり他部署だったり、とケースによって区々ではあるが)で引っくり返されて、そのままおじゃん、になってしまうことは良くある話で*2、そんなことにイチイチ腹を立てていたらキリがないのだが、そういう経験のない“誇り高き専門家”であれば、「自分の領域を冒された!」と憤る可能性もあることは十分想像が付くのである*3


結局、これは専門家としての「プライド」*4とクライアントにとっての「満足度向上」という、必ずしも相容れない二つの要素にいかに折り合いをつけるか、という問題であり、そのバランスが崩れた時にどういうことがおきるか、ということを如実に表した好例、として読むならば、上記記事にも一定の意義は認められるように思われる*5


相手を納得させるだけの情報を徹底的に与えて、それで不満を抱くようなら、そっちに行ってもらえばいい、と割り切るのが一番の合理的な解決策だろうが、言うは易し、行なうは難し・・・。



なお、付言するに、いかに合理的な行動を旨とする企業といえども、ひとたび訴訟を委任したら、審級が一つ片付くまで途中降板はさせない、のみならず、訴訟の進め方について他の弁護士にセカンド・オピニオンを求めることすら躊躇することが多い*6


それがいいことなのか、悪いことなのか、今すぐに答えを出すことはできないが、「法曹倫理」とやらをじっくり考えるには良い素材であるように思われる。

*1:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071122-00000007-omn-soci

*2:少なくとも「自分が何を言ったか」ということだけしっかり残しておけば、それで相手が失敗しても、後々こっちに火の粉が降りかかってくることはないからいいや、と達観できるくらいでないと、会社の仕事は務まらないだろう。

*3:しかも、クライアントが他の専門家の意見に共感して、仕事ごとそちらに持っていってしまった日には、報酬まで失うことになりかねないから、なおさら切実であろう。

*4:「プライド」という言葉の響きは決して良くないかもしれないが、以前のエントリーでも述べたように、何事も易きに流れがちな人間の本質を鑑みれば、専門家としてのある程度の「プライド」がなければ良質なサービスの提供も望めない、というのが現実であり、専門家がプライドを持って仕事をすることを一概に批判することはできない。

*5:逆に、クライアントの満足度向上を重視しすぎると、結局は「都合のいい見解を漁る」行動をもたらすことにもなりかねず、結果としてクライアントの不利益につながる可能性が出てくる(例えば、明らかに無理筋の事案で訴訟提起を諫めていたにもかかわらず、着手金報酬目当ての弁護士の意見をクライアントが鵜呑みにしてしまったような場合を考えればよい)。

*6:もちろん、第一審の大詰めになってくれば、リスクヘッジのためにリリーフ事務所にスタンバイしてもらうこともあるのだが。

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