保護期間延長に関する実証的議論

日経新聞で『著作権攻防・新ルールを探して』という3回シリーズ(上・中・下)のコラムが掲載されていたのであるが、その最終回が「保護延長是か非か」というテーマであった*1


2005年に著作権保護期間が切れた「星の王子さま」の新訳本が2年間で12社計約115万部を出版することになった、という著作権保護期間満了による「新たな需要喚起」の例を上げ、

「延長は利益をもたらし創作者の意欲を高める」

という権利者側の主張の是非を、延長反対派、賛成派双方の立場を紹介しつつ論じている。


双方の立場、といっても、メインに据えられているのは、田中辰雄慶応大学准教授が示した、“衝撃的な”実証的データ*2であり、映画の保護期間が95年にまで延びてしまった米国におけるおぞましい現実*3であるから、どちらかと言えば、延長に懐疑的な見方が背景には流れている、といってよいだろう。


賛成派のコメントといえば、

「損得だけの論が世界標準なら認めざるを得ないが、欧米では70年への延長が実現。日本だけが50年では『実証的』議論といえど応じられない」

という脱力するような三田誠広氏のコメントだけ。


これではいかにも分が悪すぎる(笑)。


記事の中では、実証的データなき“神学論争”が続いてきたこの問題について、

「権利者と利用者の対立解消は簡単ではないが、実証的議論の始まりには文化庁でも「問題解決の一つの手法では」の声が聞かれる。脱・神学論争の試みが注目される。」

と、あたかも中立的な議論が可能であるかのように、期待を持たせる書き方をしているが、出版業界にしても音楽業界にしても、出ては一瞬で消えていく作品が非常に多い現代において、「実証的」発想で数字を出していけば、延長反対派に有利なデータしか出てこないのは当たり前の話。


つまりは、「実証的」という発想を持ち出した時点で、保護期間延長反対にバイアスがかかってしまうことは否めないのである。


筆者自身はこのような方向に何ら異を唱えるものではないが、元々「権利が生み出す経済的価値」よりも「権利そのものの存在」を重視している権利者の側が、そういった土俵に簡単に乗ってくれるとは考えにくいのであり、「実証的」手法に過度の期待を抱くのは禁物だといえるだろう*4


使用料が合理的な範囲内に留められ、許諾を取り付けるのに余分な手間がかからないシステムが整っていれば、権利が残っていようがいまいが、著作物の経済的利用を促進することは可能だし、フェア・ユースが広く認められれば、自由利用を阻害することもない。


ゆえに、保護期間の延長の是非といった不毛な論争に終始するのではなく、むしろ延長と引換えに、権利制限領域の拡大、といった実利を取りに行くような発想がユーザー側にあっても良いのではないか、というのが筆者の意見であり、混迷を深める近時の議論を目にするにつけ、なおさらその意を強くしている次第である。

*1:日本経済新聞2007年11月29日付朝刊・第9面。

*2:死後40年-50年の間の重版回数は約1000回どまりで、そこから更に延長したとしても、経済的価値に換算した実利増は1-2%に過ぎない、というもの。

*3:使用料負担の高額さや訴訟リスクゆえフェア・ユース保険までできる始末

*4:そういった現実を突きつけることでかえって溝が深まる可能性すらある。

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