戦うならちゃんとやれ!

と思わずカツを入れたくなるような著作権事件二題。


いずれも論点としては十分興味深い争いになる要素を秘めつつも、当事者の主張立証の甘さゆえにあっけない決着となった事件である。

東京地判平成19年11月16日(H19(ワ)第4822号)*1

原告:A
被告:株式会社スタジオダンク、株式会社泉書房


これは「頭がよくなるおりがみあそび」という書籍に動物のイラストを提供した原告が、被告側による「使用許諾範囲の逸脱」を主張して著作権著作者人格権侵害に基づく差し止め、損害賠償請求を行ったものであるが、経緯を見ると、

(1)被告スタジオダンクは、平成18年7月5日、原告に対し、本件書籍に用いるイラストの作成を、1点につき1000円ないし2000円で注文し、原告は、これを受注した。
(2)原告は、平成18年7月14日、上記契約に基づき、本件各イラストを含むイラスト合計57点を、被告スタジオダンクに交付した。これに対し、被告スタジオダンクは、同年12月20日、イラストの原稿料として、合計8万6000円を原告に支払った。

となっており、そもそも本件で争われている挿絵が、「僅か9日で57点のイラストを作成する」という“やっつけ仕事”の産物であったことは明白であるように思われる。


判決に明記されている原稿料の額の“相場”が分からないだけに、原告と被告スタジオダンク間の契約の実質を明確に断定することはできないのだが、少なくとも

「前記1で認定した事実によれば、原告は、被告スタジオダンクとの間で、原告が本件書籍のイラストの原画を作成する請負契約及び原告の作成したイラストの原画の使用を被告スタジオダンクに許諾する使用許諾契約を締結したものということができる。」(10頁)

という判断については、争いようによっては否定することもできたはずだ。


残念ながら、本件では被告側が代理人弁護士を立てていないようで、判決に登場する被告側の主張を見る限り、そのツケが若干回っているように思えてならない。


裁判所は、

「一般に書籍の表紙部分は書籍の第一印象を決める本の顔ともいえる重要な部分であるといえるから、表紙に用いられるイラストについては、作者において表紙にふさわしいものとするよう配慮するのが一般的であると考えられることに鑑みると、原告において、その作成に係る57点の本件全イラストの中から、被告スタジオダンクが任意のものを選んで表紙に使用することを許諾していたとはにわかに考え難い。」
「また、本件全証拠によっても、出版業界において使用を規制する明確な合意のない限り、本文中のイラストを表紙に使用することが許容されるとの慣行等があると認めることはできない」(以上11頁)

とするが、出版社から見れば、“この程度の著作権(イラスト)”であれば、通常の買い取り、ないし無制限の利用許諾と解して主張する余地も十分にあったはずで、そこできちんと争えなかったがために、その後の著作権侵害著作者人格権侵害成立、という結果を招いてしまったことを考えると、被告側にとっては何とも痛恨事だったといえるだろう。


なお、主文では書籍頒布の差し止めも認容されているが、仮執行が付されているのは、33万円の損害賠償請求に関する部分のみであり、未だに書籍自体もAmazonで売られていた(当の表紙の絵を合わせて確認できる貴重な資料である)。


頭がよくなるおりがみあそび―日に日に伸びる発育、目に見える知能

頭がよくなるおりがみあそび―日に日に伸びる発育、目に見える知能



東京地判平成19年11月28日(H19(ワ)第7380号)*2

もう一つは百貨店向け筆耕用アプリケーションプログラムをめぐる事案で、元々原告(A)と取引のあった被告(株式会社日本アドレス・システム)とが争ったものである。


こちらについては、契約終了後の被告会社による「黙示の合意」の存在が争いになるなど(結論としては合意の成立を否定)、どことなく場外乱闘的な雰囲気も伺いしることができるのであるが、こと著作権侵害に関して、次のような判断がなされてしまったあたりは、何だかなぁ・・・とも思う。

著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであり(著作権法2条1項1号),著作物性を肯定するためには,表現それ自体において創作性が発現されること,すなわち,表現上の創作性を有することが必要とされるものであるから,著作物性は,当該表現物の具体的な表現に即して,その創作性の有無を検討することにより判断されるべきものであり,具体的な表現を離れて論ずることは相当ではない。そして,複製権の侵害が問題とされる場合には,当該表現物と複製物と主張されている対象物のうち,同一性を有する部分の創作性の有無が検討されるのであるから,プログラムを複製されたと主張する場合には,自己のプログラムの表現上の創作性を有する部分と,対象プログラムの表現との同一性が認められることを主張する必要がある。すなわち,複製物であると主張する対象において,アイディアなどの表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,同一性を有するにすぎない場合には,既存の著作物の複製に当たらない(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
「原告は、本件プログラムについて、機能面での特徴を指摘するのみで、被告らが使用するプログラムとの対比及びその同一性についての具体的な表現上の創作性について何ら主張するものではないから、本件プログラムについての複製権侵害を基礎付ける、本件プログラムの著作物性、被告らが使用するプログラムとの同一性の有無についての主張・立証がないものといわざるを得ない。」
(以上、14-15頁)

こちらについては、被告側にちゃんと代理人氏も付いていたことだし、単に主張するのを忘れたのではなく、主張するネタがなかった、という可能性も考えなければいけないのだろうが、それにしても・・・という感は残る。


著作権侵害を主張として立てるからには、せめて同一・類似性を基礎付けるだけの主張をしてくれ、と思ってしまうのは筆者だけだろうか。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html