“浮き世”の終焉を感じた日

朝、「阪神大震災から13年」というニュースを見て、もうそんなに経ったのか・・・と思う。


6,434名の死者を出した、1995年のあの大惨事のニュースを、寝ぼけた頭でラジオで聞いたのは、まだ10代の頃。


正月休みに最初の三連休(前日16日は成人の日の振替休日だった)、と、まだ休み気分が抜けきっていなかった火曜日の朝、最初は遠い国の出来事のように聞こえていた一連の報道を身近に感じたのは、その日昼過ぎのキャンパスで、当時身近な存在だったヒトが血の気の引いた顔で、部室のテレビにかじりついている姿を見たときだっただろうか。


自宅が罹災した人もいれば、地元の友人を亡くした人もいた。駆けつけたくてもうかつには駆けつけられないもどかしさに苦しんでいる奴らもいれば、成人の日の晴れやかな式典に出るために実家に帰ったまま、戻ってこられなくなったヤツもいた。


現地で人手を募っている、というニュースを見て、混乱の最中、授業もサークルもホッポリ出して現地に駆けつけたヤツもいれば、“追悼自主休講”と銘打って寮部屋に引きこもる輩もいたり、と、期末試験を控えた慌しい時間の流れの中で、悲しみや焦りや戸惑いといった様々な感情が飛び交っていたのが、あの当時の状況だったわけで・・・。


その後、自分を取り巻く環境も含め、いろいろと変わったことも多かったが、何が一番変わったかといえば、少なくとも前の年の暮れまではキャンパスにかすかに残っていた“バブル”の余韻が、あの日を境目にすっかり姿を消してしまったことだろうか・・・。


その2ヵ月後に地下鉄サリン事件があり、役所の不祥事、バブルの後始末、と暗いニュースには事欠かなかったあの時代。


「未来が今日より良くなる」なんて、思いたくても思えなかった時代。


身近な幸福を感じて笑みを浮かべることはできても、世の空気に浮かれて騒ぐなんて、到底できやしなかった。


格差社会だか何だか知らないけれど、あの頃に比べればどんだけましだろうか、と思う。なんだかんだ憂いても、10年以上世の中は変わらず続いているわけだし、そう考えると“楽なもんだ人生”という言葉が思わず口を突いて出る。



あの日、命を落とした人々、その一方で幸か不幸か生きながらえている自分。


時に複雑な気分に襲われることもあるが、それもまた一つの帰結だと、今になってみれば思うのである。