「労働審判」の威力?

2006年4月の導入以降、ジワジワと浸透しつつあった「労働審判」制度。


新しい労使紛争解決制度として、同時期に導入された「知財高裁」なんかよりは遥かに大きなインパクトを与えうる制度であるにもかかわらず、これまでは専門誌を除けば、さほどメディア等にも取り上げられることもなく地味な存在に留まっていた*1


だが、23日付日経朝刊に掲載された記事を見ると、「労働審判」の威力がジワジワと浸透しつつあることが窺える。

「紳士服販売のコナカ(横浜市)の元店長の男性が二年分の未払い残業代約690万円の支払いを求めて横浜地裁労働審判を申し立て、同社が解決金600万円を支払う協定を男性側と結んでいたことが22日、分かった。」(日本経済新聞2008年1月23日付朝刊・第42面)

「二年分の未払い残業代」として、600万円という金額が安いか高いか、は議論のあるところだろうが、普通のサラリーマンにとっては決して小さくない数字である。


そして、注目すべきは、このような会社側の“譲歩”が「労働審判」というツールを使ってもたらされた、と思われる点にある。


労働審判」というのは企業側にとって決して楽な制度ではない。


元々、労働事件というものは、ひとたび訴訟に持ち込まれれば、書証という名の多量の紙束が行きかい、多くの人証(業界では「ひとばしら」と読む(嘘))を立てて、やっとこさ「第一審の」結審、判決にいたる、という極めて環境と心臓に悪い紛争類型である。


裏返せば、解決を急ぐ必要がない企業側としては、展開を見ながらじっくり構えて、原告側のモチベーションが落ちて来るのを待ち構えていればよいし、提出する証拠探しにしても、人証にしても、何度かの打ち合わせを経て、あらゆる矛盾を消し去ってから法廷に持ち込むだけの余裕が与えられるということにもなる。


だが、「労働審判」となるとそうはいかない。


代理人と打ち合わせる暇もないまま初回期日を迎え、“見学”のつもりで付いてきた会社側同行者に容赦なく審判員の突っ込みが入り、気がつけば「審決」を書かれて終わってしまう*2


訴訟に強い、と思われている大きな企業ほど、あちこちの部署の調整に追われて反論書面一つ作るにも時間がかかる、というのは周知の事実だから、申し立てる労働者側がしっかりと準備しておけば、先手必勝で有利な展開に持ち込むことも不可能ではない。


そして、そんな“嫌な展開”を免れるために、企業側が(最初から訴訟で争っていればやらなかったような)譲歩する、ということも十分に考えられることである。


本件では、あくまで会社と元店長が任意に「協定」を結ぶことで紛争を解決しており、審判制度そのものに立脚した和解調停ではないのだが、こういう場外での妥協を促すことも労働審判制度の一つの目的であることを考えると、上記のようなニュースは、まさに望まれた結果、ということができるように思う。


本件では、コナカが

「横浜西労働基準監督署の是正指導を受け、昨年10月、300-400人の店長全員を管理職から外した」(同上)

という事情があって、仮に和解で解決しても現在の運用に大きな影響が出ることはない、という読みがあったのかもしれないし、知名度が高いとはいえ、同族経営で中小企業の延長線上にあるような会社だったがために(といっても上場企業ではあるのだが)、思い切った判断ができた、ということもあるだろう。


しかし、サービス残業の嵐にただひたすら世を恨み、天を仰いでため息を付くだけでなく、こういう形で企業から譲歩を引き出す可能性が残されている、ということを明らかにした意味で、本件の影響は大きいように思われる。



景気が良くても悪くても常にくすぶっている労働者の“不満”が正当に拾い上げられるきっかけになるのか、今後が注目されるところである。

*1:本ブログでhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070501/1178073169#tbのような紹介記事を書いたこともあったが、さほど反応はなかった。

*2:しかも審決を下すのは法律の専門家だけではない(労使双方の審判員が合議体に必ず入っている)から、高名な弁護士が緻密な法律論を組み立てても、それが結論に反映されるかどうかは保証に限りではない。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html