個人発信情報の「価値」

「個人ホームページ上での記載によって名誉毀損罪が成立するか」というテーマについて、一昨日東京地裁が下した判決が物議を醸している。

「インターネットのホームページ(HP)にラーメンチェーン店を中傷する記載をしたとして、名誉毀損罪に問われた会社員、橋爪研吾被告(36)の判決公判で、東京地裁の波床昌則裁判長は29日、「記載内容は真実とはいえないが、インターネットの個人利用者が求められる水準の調査は行っていた」と指摘し、同被告を無罪(求刑罰金30万円)とした。」
日本経済新聞2008年3月1日付朝刊・第38面)

原文を確認したわけではないが、記事では、東京地裁が、

(個人がHPやブログなどに意見や批判を書く際に)「マスコミと同じ基準で名誉毀損罪に問うのは相当でない」
「故意に事実でないことを発信したり、真実かどうか確かめないで発信した場合に初めて名誉毀損罪に問うべき」
「ネット上の発言に確実な資料や根拠を求めると、自己検閲で萎縮し、憲法の保障する思想や表現の自由が確保できないおそれがある」

といった趣旨のことを述べた上で上記のような結論を導いたと伝えられており、近年いろいろと問題になっている「個人による(インターネット上での)表現行為」の限界を考える上で、有益な示唆を与えてくれる判決であることは間違いない。


一連の報道の中で、本判決が「インターネット上の発言であること」を過度に強調しているかのように取り上げられていることについては、少し気をつけて見たほうが良いところもある。


記事によると、

「判決はネットの特性について言及し、(1)誰でも簡単にアクセスできる、(2)意見や批判に容易に反論できる、(3)個人が発信する情報の信頼性は低いと受け止められている−ことなどを例示。」

したとのことであるが、論者の指摘を待つまでもなく、(2)や(3)が突っ込みどころ満載の理屈であることは誰しも気が付くことだろう。


(2)については、記事の中で、「簡単に反論できるというのは非現実的」という岡村久道弁護士のコメントが取り上げられているほか、小倉秀夫弁護士がご自身のブログで、

「実際には存在しない事実を存在するかのように書き立てられた場合,書き立てられた側がこれに反論をするのは,実は容易ではありません。それは,その書き込みがなされた場所と関連する場所に「反論」を物理的に掲載できるというネットの特性を加味しても,変わるところはありません。 」

という至極もっともな批判を展開されている*1


また、本件が「表現の自由」をめぐる紛争と位置付けるのであれば、(3)「個人が発信する情報の信頼性は低いと受け止められている」という点が正面に出てくるのは、表現者の側にとって見れば決して歓迎される話ではない。


小倉秀夫弁護士は、このような考え方は、「個人によるネット上での情報発信の価値を貶めていかなければならないことに繋が」る、と指摘した上で、

(本判決は)「個人によるネット上での情報発信の価値を高めていこうという立場からは大いに非難されるべきものではないかという気がします。」

と手厳しい批判を加えられているが、この点についても全く同感である。



本件で問題にされる点は、「マスコミが情報発信者である場合」と「個人が情報を発信している場合」とでは、情報発信者の取材能力や情報収集能力に大きな違いがある(それゆえ、十分な資料や根拠を得られなかった個人に「刑事罰」を課すのは酷な状況がある)、ということに尽きるのであって、「インターネット上の発言」かどうか、ということや、両者の「信頼性」に違いがある、ということについて、あえて言及する必要はなかったのではないかと思う*2


岡村久道弁護士のコメントにあるような、

「ネットの特殊性を強調した判決について「『内容が真実だと信じるだけの資料や根拠があれば名誉毀損罪にはあたらない』とする従来の基準はマスメディアを前提とし、ネット上での個人の発言は想定していなかった」

という前提が成り立つとすれば、

「表現行為が萎縮する」こと

を避けるために、従来の名誉毀損罪の違法性阻却要件を緩和することは考えられて良いはずだから、「公益目的」で行った自己の発言について当該個人が「真実性」を少々安易に誤信してしまったのだとしても、(少なくとも刑事責任の観点からは)不問に付す、という判断をすることも理解できるところではあり、本件判決はこのような文脈の中で理解されるべきと言えるのではないだろうか*3


なお、インターネットに造詣の深い先生方の間でも評価が分かれていることから明らかなように、本判決を積極的に評価すべきかどうか、というのは悩ましいところで、

「チェーン店を運営する会社の登記簿を調べたり、加盟店の一人とメールでやり取りしたりするなど一定の調査をし」

たことでどのような情報が得られたのか、また、それらの情報に基づく発言を行う際の前提として、当該「ラーメン店」に対する世の中の評価がどのようなものだったのか*4、といったところまで見ないことには、最終的な評価は下しようがないのではないかと思う。


そして、そうである以上は、多くの論者が指摘するように、本件判決の結論だけが一人歩きすること(さらにその理由付けとしての「個人が発信する情報の信頼性」云々のくだりが一人歩きすること)は避けられねばならないのは言うまでもあるまい。



検察官側の上訴が確実に見込まれる本件。これまでの傾向(最近では「ビラまき立ち入り事件」などが記憶に新しい)からすれば、本判決の“命”は高裁判決まで、という予想も出てくるところだろうが果たしてどうなるか、今後の動きが注目されるところである。

*1:「la_causette」3月1日付エントリー、http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/03/post_7de5.html

*2:後者に関しては、あまりにどうでもいいような内容の発言であれば「被害者」側に実質的な法益侵害が生じていない→ゆえに処罰に値しない、という理屈で取り上げる手はあったのかもしれないが。

*3:その意味で、個人の発言について「基準そのものを変える」というアプローチよりも、「『真実だと信じるだけの資料や根拠』の存在が認められるためのハードルを下げる」というアプローチの方が適切ではないかと思う。

*4:ロス疑惑」当時の三浦和義氏のように、世の中のメディアが「怪しい」と連呼している状況下で、個人がそれに追従するかのような虚偽事実の適示や批判を行ったとした場合に、当該メディアに名誉毀損罪が成立したとしても、個人に対して同様の処罰を行うのが酷なのは言うまでもないことである。