時代の終わり。

北京五輪最後の切符を賭けた、名古屋国際女子マラソン


ある程度予想はされたことではあったが、やはり高橋尚子選手の“失速”は、レースの結果を吹き飛ばしてしまうくらい痛々しかった。


本人がどんなに前向きなコメントを残そうと、端から見ている限り、もはや表舞台から消えていく姿しか想像できないような惨敗。


負傷明け、という事情があったとはいえ、スポンサーに対する印象も決して芳しいものではないだろうし、現在の形で競技活動を続けていくことを期待するのは相当難しい状況に追い込まれてしまったのではなかろうか・・・。




彼女が同じ名古屋のコースで初めての輝きを見せてからちょうど10年になる。


ゴールに向かって驚異的なラップで疾走する彼女の姿を初めて見たのは、確か、WINS水道橋付近の飲食店のテレビ画面の中ではなかったかと思うが、あの頃、就職を控えて鬱々とした日々を過ごしていた自分にとって、彼女の潔い走りがとても眩しく映ったものだ。


パリの世界選手権を負傷で欠場。だがシドニーの切符をかけた2000年の名古屋で、再び驚異的な疾走。


シドニー五輪での金メダル、翌年のベルリンでの世界最高記録(当時)あたりが、Qちゃんの“全盛期”だったということになるのだろうか。


あれから7年近く、度重なる負傷に泣かされ、十分な輝きを取り戻せずにいた彼女。この日までは、それでも最後は何かやってくれるだろう・・・という期待を持たせてくれるだけの何かがあったが、そのオーラもいまや消えてしまったかのように思われる。



小出監督の下を離れ、自分のチームを立ち上げて独自のトレーニングで再びの五輪を目指した彼女の行動を批判するのは容易い。だが、一度頂点を極めた人間が、同じ環境でモチベーションを保ち続けることがどれだけ難しいかは、おそらく本人にしか分からない。


前人未到の偉業を成し遂げた後にどんな道を選ぶのか、過去になぞるような先人(強いて言えば有森裕子選手だが、高橋選手の場合、頂点を極めたときに、選手としての余力がまだ十分に残っていた)もいなかった状況で、選んだ彼女の選択を一概に責めるのは酷というべきだろう。


実業団でコーチ・監督の庇護の下にあれば、もう少し効率的なプロセスを踏めたのかもしれないし、逆に、半年ちょっと前にこっそり手術して、十分なトレーニングを積めないような状況で無理にレースに出ることもなかったかもしれない(チームがどっかで花道を用意してくれるような環境だったら、ここまで追い詰められる前に一線を退いてしまうことだって考えられる)。


だが、それでも彼女は、リスクを冒してでも壁に挑んだ。そのこと自体は称賛せずにはいられないことであるし、どんなに惨めな負け方をしても、彼女がこれまでに残してきた足跡が霞むわけではない(本人にとっては何の慰めにもならないことかもしれないが、この先何人女子マラソンで金メダルを取るアスリートが現れようと、パイオニアとしての偉業が消えることはない)。


8年ぶりの晴れ舞台でQちゃんの軽やかな走りを見届けられないのは至極残念であるが、日本の陸上界にとっては、「若手を試す1枠」を確保できたわけで*1、これを好機と思うのが正しいファンの在り方、なのではないかと勝手に思っている。


表舞台から去っていく人を惜しむのは、その後でいい。

*1:仮に高橋選手が五輪切符を手に入れていたら、前回五輪から時計の針が一歩も進んでいない状態(むしろ戻った状態)になるところであった。