責任を問われるべきは誰か?

新銀行東京の経営責任を巡る問題で、同銀行が公表した「調査報告書」が何ともひどい内容になっているようだ。


伝えられるように、三顧の礼で迎え入れた仁司泰正元代表執行役に対して、

「独善的な業務運営を展開した」
「他の執行役以上に損害に対する相応の責任を求めることが適当」
日本経済新聞2008年3月10日付夕刊・第1面)

と激しい非難を浴びせる一方で、景気回復期に“弱者救済”のムシロ旗を掲げて、金融戦争の荒波の中、イカダ舟で漕ぎ出した無謀な政策の誤りには全く言及していないのだとすれば、初めから結論ありきの“魔女狩り裁判”といわざるを得ないだろう。


実際のところ、当時の経営者の経営方針が「独善的」だったかどうかなど、筆者には知る由もないし、逆に、石原都知事サイドの意向がどの程度新銀行の政策に反映されていたのか、という点についても憶測と反対勢力のネガティブキャンペーンの域を出ていないのではないか、というのが率直な感想だ*1


冷静に考えると一番いけなかったのは、未曾有の不況期、自身の経営を守るために、貸倒れリスクの極小化や融資残高の圧縮に奔走していた銀行経営者に対して、「貸しはがし」だの何だのと罵声を浴びせていたメディアと、そんな論調に喝采をあげていた一般市民だったのかもしれない、と思ったりもするのだが、“魔女狩り”の最中に、そんな声が届くとも思えないわけで、これから多くの血が流れるであろうことを想像すると、何ともいたたまれない気持ちになる。

*1:これまで政治手法の面では批判できても、これといった「失政」がなく、石原都政への追及が鈍りがちだったメディアや野党勢力にとっては格好の好機が訪れたわけだから、はしゃぐのも無理はないが・・・。

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