言葉の使い方としては間違っているかもしれないが、柔道の北京五輪代表選考を見ていて思い浮かんだのが冒頭のフレーズ。
ご存知のとおり、五輪4連覇がかかっていた野村忠宏選手を落選させてでも、「選考試合の結果を優先させた(ようにみえる)」男子の選考と、選考試合で優勝した選手をことごとく落選させ、「過去の実績や格を重視した(ようにみえる)」女子の選考のギャップが話題になっている。
いかにアマチュアアスリートとはいえ、五輪となれば4年に一度の“コクミンテキギョウジ(@成田童夢)”。出られるか否かがその選手の人生に大きな影響を与えかねないだけに、選考結果でもめるのは様々な競技で良くある話だ。
今回の柔道の場合、元々体重別選手権だけが選考試合になるわけではなく、昨年の世界選手権をはじめとする国際試合の結果や試合内容が総合考慮される、ということがあらかじめ決まっていたようだし(というかこれは昔から同じで、それは選手側も百も承知なはずだから、ある意味手続的正義も達成されているといえなくもない)、「実質的審査」に際して適用される基準が、「五輪で金メダルが取れること」という明確かつ極めて高いハードルだけに*1、落選した選手もおいそれと「CASに提訴してやる」という話はできないだろうと思うのであるが、それでも素人目から見れば分かりにくさがあるのは否めない*2。
手続の妥当性と実質的妥当性のいずれを重視すべきか。
オリンピックの選手選考、といった次元に限って言えば、結局は誰が出ても、いざ五輪が始まってしまえば、メディアはこぞって日の丸を付けた選手を応援するわけで、それで良い結果が出れば選考のときのいざこざなどどこかに忘れ去られてしまうのが常なのであるが、現実には、そんな分かりやすい「結果」を提示できないものごとも世の中には多い。
ゆえに、一般論としてはいろいろと考えさせられるところが多いのである・・・。