法務担当者にとっての格好の教材

昨日の朝刊に大きく取り上げられた講談社の件。

奈良県の医師宅放火殺人事件で逮捕された少年の供述調書を引用した本の出版を巡り、調書を漏洩(ろうえい)した精神科医(50)が秘密漏示罪で逮捕・起訴された問題で、出版元の講談社は9日、取材や出版の経緯について第三者委員会の調査報告書を発表した。報告書は「取材源秘匿の認識が甘く、公権力の介入を招いた責任は大きい」と同社の対応を厳しく批判した。」(日本経済新聞2008年4月10日付朝刊・第35面)

記事の中でダイジェストで紹介されていた報告書の要旨の中に、講談社社内の「法務部」の動きに言及した部分があったので、原文に当たってみることにした。

『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会報告書(2008年4月7日付)

さすがに出版社の調査委員会、だけあって、前半(「出版に至る経緯」)は専ら“物語”のような体裁で問題の概要に関する叙述が進んでいく。


そんな中、同社の法務部が登場するのは、経緯も終盤に差し掛かったところ、22頁である。

「局長が部長やB編集者に指示したことが、もうひとつあった。原稿を編集総務局内にある法務部に見せ、法律的な観点から、本書が引き起こすかもしれない問題を指摘してもらうことである。しかし、このとき局長は、いつ見せるか、いつまでに見せるかの期日を明言しなかった。」
「B編集者は、もう少し先にしよう、と考えたという。いま見せたら、供述調書の引用や少年審判の非公開原則等の問題点を必ず指摘され、大幅な書き直しを求められるかもしれない。せっかくここまで仕上げた作品を変えることはしたくないし、できないだろう。部長もこれに賛同した。」
「結局、法務部が本書のゲラを手にするのは5月14日、発売の1週間前だった。」
(報告書22頁)

少年犯罪、という微妙な取材対象を抱えながらも、

「情報源が秘密漏示罪で逮捕される、刑事事件として捜査が行なわれるということは、まったく想定していませんでした。」
(報告書21頁)

というコメントを残してしまうB編集者の愚かさや、あの「週刊現代」の編集長*1にすらダメ出しをされてしまったにもかかわらず、黙殺して出版した講談社の体質を笑うのは簡単だが、法務部への相談のタイミングに関して講談社社内で起こった、上記のような出来事は多くの企業においても、日常的に発生しているはずであり、これを笑える人は決して多くはないはずだ。

「法務部長が、B編集者の持ってきたゲラを読み始めたのは、この日である。2日後、見本が出来上がり、法務部と顧問弁護士に届けられた。発売は4日後である。目を通す時間もない。こんなぎりぎりになって持ち込まれるのは、異例のことだった。」
「発売2日前の18日、法務部は弁護士をまじえ、午前と午後の2回、会議を開いた。そのほかに出席したのは、学芸局長、学芸図書出版部の部長、B編集者らである。」
「議論の中心は、本書を出すか、出さないか――ではなかった。書店の店頭に並んだあとの対応をどうするか、だった。」
(略)
「法務部長の当時のノートには「版元、公務員、医師の機密漏洩→刑法違反に問われる可能性あり」というメモが残されている。おそらく顧問弁護士の解説にあった指摘だろう。だが、情報源の保護をどうするのかという問題が、具体的に検討された形跡はない。」
(24頁)

「いわば確信犯的に法規範を犯す行動をとられた上に、事後収拾策を求められる法務部長、法務部員の気持ち」に配慮できる人間が講談社の社内に少しでもいたならば、情報提供者の逮捕・処罰、という悲惨な事態は生じなかっただろう。上記の経緯からは、実務現場レベルの人間の“ありがちな”行動パターンが、ここまで事態を深刻化させることになった、ということが良く分かる。


一方、前半に比べると、通常の「報告書」としてのカラーが色濃い後半部分(「なぜ問題が生じたか−法・倫理上の問題点」)においても、法務部に関するコメントがより掘り下げた形で述べられている。


長文になるがそのまま引用すると、

「法務部および法律顧問としての弁護士の存在が、効果的に機能しなかったことも深刻な欠点として指摘する必要がある。そこには、チェック機能が働くタイミングの問題と制度的な位置づけの問題がある。」
「前者についていえば、法務部局によるリーガルチェックを実質的に骨抜きにしたり、もしくは軽視する風潮が一般に編集現場にみられる。本書刊行の場合でも、法務部において内容上のチェックを受け、刊行の是非を確認することが目的ではなく、あくまでも形式的に見せることで現場にとっての言い訳に利用したに過ぎない面が窺われる。」
「単行本編集者には、局長や部長からは少なくとも原稿段階において、法務部のチェックを受けるように指示されたが、編集者は法務部から表現内容の変更を求められることをおそれ、法務部に回すことを先延ばしにした経緯がある。そしてまた、こうした先延ばし状況を部長も了解していた。」
「すなわち、法務部には本書発売1週間前に「校了済みのゲラ」が回されており、原稿やゲラによる内容チェックとはまったく違う意味合いがあった。すなわち、法務部が関与した段階では、すでに印刷が始まっている段階であって、出版社として事実上、刊行を止めることが極めて難しい状況にあった。」
「もちろん、刷り上がっていても出荷を見合わせ、刊行をストップすることは理論的には可能で、実際にそうした例も存在する。しかしながら、本件刊行においてそうであったように、現場の編集部が刊行に強い意欲を示し、法務部の表現上に問題ありとの指摘と平行線をたどるような場合に、法務部のなし得る選択肢は、刊行をやめさせることよりもむしろ、出版後のトラブルをいかに小さくするかに努力を傾注せざるをえない側面が窺われた。」
「そしてもう一つの制度上の側面として、次のことがある。出版社の法務部というものは、編集現場にダメ出しをして出版を諦めさせるための機関ではなく、あくまでも問題を回避して滞りなく出版をするためのサポートと、問題が生じた後はその対策・処理を行う機関に過ぎないと、一般にみなされていることと関係する。おそらく、同様のことは顧問弁護士にも当てはまる。出版側が刊行遂行を譲らざる前提で相談をしてきた場合には、その検討は当初から刊行後のトラブルをいかに回避するかという対応策を立てることになるという。」
「しかも本件刊行にあたっては、法務省の勧告や民事訴訟が起こされる可能性を想定し、その対応策を検討していながらも、過去に例がなかった刑事事件の発展可能性についてはまったく想像が及ばず、それがゆえに出版倫理として重要な取材源の秘匿という面では対応がまったくなされることがなかった点は、結果論ではあるが甚大な失策であったといえる。」
「したがって、社内の法務部および法律専門家による内容チェックが、編集過程において十分に発揮され、内容の変更につながる仕組みとしては十分に機能していなかった。」
(40-41頁)

書籍出版社における特殊事象、として捉えられがちな本件だが、「編集部」「編集現場」を「事業部」「営業現場」に、「出版」「刊行」を何らかの「プロジェクト」や「商品」に置き換えれば、これがいかに普遍的な問題か、が良く分かることだろう。


校了済み」の段階でも、力づくで止めようと思えば止められたではないか、と法務部門を非難することはたやすいのだが、自分がこの会社の法務部門の人間や顧問弁護士だったとしても、「なんとしても本を出す」という社内の大きな流れの中で、止めることができた自信は全くない。

法務部が「離れ小島」にならないために。

以前、筆者が法務部本隊から離れて仕事をしていたときに、

「法務部に相談すべきかどうか」

という相談を受けて*2

「この段階で持っていくのはやめたほうが良いのでは? 確実に止められるから」

というアドバイスをしたことが何度かある。


自分なりに、形式的に法規範に違反することによるリスクの大きさと、そのプロジェクトを進めることによるメリットの大きさを比較勘案した上でのコメントで、実際問題が表面化することはなかったわけだが、会社の“あるべき体制”という観点からは疑問の残る対応、と非難されても仕方なかっただろう。


もちろん、法務部門が“触らぬ神”になってしまう原因は、法務部門自身にもある。


事業を最前線で引っ張っている人間にしてみれば、それまで何晩も徹夜してようやく実現しようとしている施策を

「法律に違反しているのでダメです。やめてください」

の一言で片付けられたのでは、たまったものではないわけで、それゆえに法務の担当者や決定権を持つ役職者には、その施策を実行した場合にいかに重大な影響が出るか、をリアルに説明する能力や、相手が受け入れられるような代替案を提示するための(事業に対する)想像力が求められるわけだが*3、担当者の能力不足や抱えている案件の多さゆえの余裕のなさゆえ、そこまで配慮が至らないことも多い。


そういったことの繰り返しが、社内の人々の足を法務部署から遠ざける。



模範解答をいえば、「法務部門の人間としては、一種の「アリバイ」づくりのために利用されたり、ことがらを動かしようがないような段階で話を持ってこられて後始末のために奔走させられたり、という、組織の中での“浮いた”役割に甘んじることなく、日頃から前線の人々と密にコミュニケーションをとって、「Yes/No」だけではない適切な解決策を提示できるように努めて、少しは早い段階で話を回してもらえるようになるべき」ということになるのだが、規模に比して決して十分とはいえない体制の下で、組織の隅々にまで満遍なく目を行き届かせるのは容易い作業ではない。


また、「アリバイ」作りや「後始末」をするだけでも、部署の中ではそれなりの評価は得られるし、(法務職制が確立されていない会社では)自分のフィールドに戻ったときの仕事もやりやすくなる*4。それゆえ、言葉では「役割」を理解していても、それを実践する気にはなれない、という者が出てきても全く不思議ではない。


その意味で、上記報告書が行っている問題提起は、全ての法務担当者が、わがこととして、自戒をもって受け止めるべき内容だといえるだろう。


人の心の機微に思いを遣りつつも、過度に空気を読み過ぎず必要なところでは体を張って重大なリスクを防ぐ。そのために必要なのは、確かな知識と自信と情熱だ。


全部足りない自分が言っても、全く説得力がないのだが、せめて、これから法務の道に足を踏み入れようとしている方々には、それくらい高い志を抱いてほしい、と願っている。

おわりに

委員会報告書は、ヒアリングの際に鑑定人(秘密漏示罪で逮捕・立件された)が述べた、という以下の言葉を紹介している。

「私は、いまでも供述調書を見せたことは後悔していません。しかし、見せる相手を間違えたことは、後悔しています」(24頁)

(捜査当局のやり方には議論もあるところとはいえ)講談社が行った出版行為によって、多くの人々がダメージを受けたのは事実であり、これによって失われた信頼が、こと関係者との間でたやすく回復するとは考えにくい。

「取引(提携)する相手を間違えた」

と言わしめないために、企業の法務部門が果たすべき役割は大きく責任は重いのである・・・。

*1:この雑誌、名誉毀損をめぐる訴訟件数では1,2を争っているはずだ。最近では大相撲八百長問題などが記憶に新しい。

*2:一見奇妙な相談のように思えるが、形式的な法律の条文と実務の運用が乖離している分野では、そもそも厳格なリーガルチェックを受けるかどうか、それ自体が問題となることも多い。

*3:この点、単に違法です、といえば事足りる社外の弁護士以上に求められるものは多い。

*4:途中で余計な口出しをして事業部門のおエラ方の機嫌を損ねようものなら、すわ一大事である。

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