日本で唯一の聖火リレーが予定されていた長野で、出発点に予定されていた善光寺が辞退を申し出たことで、結構な騒ぎになっている。
降って沸いたような騒動に怯えているかの土地の人々のことを思うと、筆者も胸が痛むのだが、ここは我が国の、そして由緒ある信濃の国の威信にかけて、是非とも聖火リレーを無事成功させてほしいものだと思う。
筆者とて、ことあるごとに日本を敵視するかのような言動を見せてきた隣国がそんなに好きなわけではないし、チベットでの事件に関して、伝えられている報道が全て真実なら、それは批判されて然るべきだと思う*1。
だが、自分は、「人権弾圧」を行っている中国政府以上に、それを批判する欧米の人権活動家たちを許せない。
自分達の国がやってきたこと、そして今、自分達の国・地域の中で起きていることを棚に上げて、彼らが行っていることに何の理があるのか。
ことあるごとに中国を批判する彼らの思想の背景には、いわゆる「黄禍」的発想(黄色人種に対する差別的発想)さえ垣間見えている。
シー・シェパードの暴挙に対してはあれだけ痛烈な批判報道を展開する我が国のメディアが、今回の聖火妨害騒動において、中国側に極めて冷淡な姿勢をとっているのは理解し難いものがあるし、それを鵜呑みにして、活動家に共感するような態度を同じ東アジアの人間がとるのもいかがなものかと思う。
いずれにせよ、聖火を止めていい理由など、何一つないのだ。
スタート地点の変更こそ余儀なくされたが、今回の聖火リレーは、日本という国の国民の冷静さと、平和を愛する心を世界にアピールするまたとない機会だけに、正々堂々と灯をつないでほしい、と思っている。
中国のためでもなく、チベットのためでもなく、この「美しい国ニッポン」(もはや死語だがここはあえて使う。)自身の将来のために。