「挑戦」することの難しさ

日経新聞が1面のコラムで「ルールの誤算・追い抜かれる法」という連続シリーズを掲載しているのだが、その中で「ネット検索(サービス)」に関する著作権法の「ルール作り」の遅れが、

「挑戦者が、ポリープのような既得権益をひきはがす「権利のための闘争」に尻込みしてルール作りが遅れると、国の競争力をそぐこともある。」(日本経済新聞2008年7月8日付朝刊)

事例として紹介されている。


記事の中では、日本国内の現状が、

「検索サービスの提供にはネット上にあふれる膨大な他人の著作物をコピーしデータベースにする必要がある。日本の著作権法では原則、複製には事前許諾が必要だが、すべての許諾は不可能。サービス提供のための機器を国内に設置すると違反の疑いが強い。「法改正は不可能だと考え、要望もしなかった」と国内通信会社の幹部。同社は数年前まで自社技術によるサービス提供を目指していたが今では断念、米社のデータベースなどの活用に切り替えた。」

といったものであることを説明した上で、

「もっとも、米企業の検索サービス事業などが「合法だという法律は米国にはない」と中山信弘東京大学名誉教授は指摘する。実は、米企業は「公正な利用なら無断複製も適法」という米著作権法のあいまいな規定を根拠に事業展開している。」

という海の向こうの実態を“紹介”し、新しい「知的財産推進計画」で「公正利用」規定の導入を検討する方針が明記されたことを受けて、

「実現すれば、一定の範囲でコンテンツの二次利用の適法性を裁判所が判断することになる。「今後の社会に有益な新事業だから、裁判官を絶対に説得できる」。新たな規定は、こんな覚悟を胸にした企業家に活躍の舞台を与える仕組みだ。」

とまとめているのだが・・・。



インターネット上の検索サービスに限らず、今の国内事業者の「著作権法」に対する姿勢は、極めてディフェンシブなものであるのは確かだ。


毎年のように繰り返される著作権法の権利制限規定の“微修正”の議論などを見ていると、なんでこの程度のことがいちいち「法改正」を経なければできないのだ?と、思わず首を傾げたくなることもある*1


元々、保守的な発想が幅を利かす我が国の企業人マインドに加え、裁判所が長年権利制限規定を“限定列挙”的規定と捉え、著作権法上の「複製」概念を杓子定規的に適用してきた(少なくともフェア・ユースの抗弁などは一切認めてこなかった)、という歴史もそのような防御的姿勢に拍車をかけてきた、といえるだろう。


個人的には、インターネット上の検索用データベースを構築する事業者を訴えるような著作権者が出てきたとして、その請求がすんなりと認められるとは考え難い*2と思うのであるが、仮に自分が「国内通信会社」の法務担当だったとしたら、上記記事の幹部氏のような経営判断を行う方向に、議論を誘導する蓋然性は高いと思うので、そんな“弱気な”姿勢を責める気にもなかなかなれない。


こと法律の世界では、「できません」というのは簡単、でも、

「ここからは大丈夫。」と明言するのは極めて困難。

というのが現実なのは、筆者があえて申し上げるまでもなく、ビジネススキームのレビューやコンプライアンスを担当している多くの担当者の方々が実感されていることだろう。



・・・で、ここで気になるのは、仮に「公正利用(フェアユース)」規定が我が国に導入されたとして、上記の記事が思い描いているほど有効な仕組みとして機能するのだろうか?ということだ。


「公正利用」について著作権の効力が及ばない、という条文が著作権法上に設けられた場合、何が「公正利用」にあたるのか、ということは解釈に委ねられることになる*3


当然、どこが「公正利用」の限界か、ということについては、様々な立場の論者から激しい議論が展開されることになるだろうが、法整備がなされてから数年はそういった議論が収束するとは考えにくい。


そんな状況で、果たして法の限界に「挑戦」しようとする企業経営者がどれほどいるのか?



コンプライアンスに“倫理”を読み込み、違法とはいえないグレーゾーンにチャレンジした企業を“モラルを欠く”と批判してきたのが、これまでの我が国の企業社会であり、メディアだったわけで、ギリギリのビジネスに挑戦していたベンチャー経営者が、公権力の気まぐれで、塀の中に落ちないとも限らない*4


事前に審議会や国会で充実した議論をした上で制度を取り入れれば、法運用の予測可能性も少しは高まるのだが、議論をすればするほど混迷を極めていくのが最近の著作権法をめぐる実情*5


判例の蓄積を待つ、という手もあるが、それではいつまで経ってもビジネスは進まないし、かといって行政のガイドラインにひたすら期待するのも何か情けない話だ。


“法整備”による新しい時代の到来に期待する上記コラムの“ハッピーエンド”な展開に水を差すのはちょっと気が引けるのであるが、どんなにルールを整備しても、「挑戦」することが難しいことに変わりはない、ということは、実務に携わる人、それを見守る人、それぞれが心に留めておくべきことだと思う。

*1:携帯電話修理時のバックアップ複製なんかは、まさにその典型だったというべきだろう。

*2:黙示の許諾を認定したり、場合によっては権利濫用法理を用いることで、請求棄却に持ち込むことも不可能ではない。

*3:ここを細かく限定してしまった場合、従来の権利制限規定と何ら変わらないことになってしまうから、あくまで“抽象的に”権利制限事由として明記されることに「公正利用」規定の意味があるといえる。

*4:著作権法刑事罰、それも窃盗罪と同格の法定刑が課されていることのリスクは大きい。

*5:勢いだけで出てきたような“議員立法”が跋扈するのもこの辺に理由がある。

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