人のふり見てわがふり直せ。

「緊急提言」を公表して以来、逆風に曝されている日弁連


各メディアの論調は、“業界の自己防衛的主張”に対して、牙をむいて襲い掛かるが如きだし、追い討ちをかけるように、中教審*1までもが批判的な見解を浴びせかける。


それなりに政治力のある組織だから、どこかで巻き返しを図るのかもしれないが、“自分達の役得を守るために筋を曲げた”という印象は、長く人々の脳裏に刻まれ、業界そのものへの不信感へとつながっていくことだろう。


興味深いことに、今、声高に“法曹増員の悪弊”を唱えている業界関係者には、これまで時流に乗って、他の業界を攻撃していた方々が多いように見受けられる。


消費者金融」しかり、「偽装請負」しかり、「ホリエモン」しかり、「社会保険庁」しかり、「産地偽装」しかり、「医療ミス」しかり・・・。


メディアを尻車に乗せている人もいれば、単に乗っているだけの人もいるが、いずれにせよ、こういう人々の発想というのが、概して、至って純朴で単純な“正義感(笑)”に根ざしているように見受けられることに変わりはない*2


そういう人々から見たら、企業の側の盾となって、時に“善良な市民”に立ち向かう筆者のような人間などは、“汚れた人間”以外のなにものでもない、ということになるのだろう。


だが、皮肉なことに、純朴かつ単純な“正義感”に則って今回の一連の法曹増員騒動を見ると、日弁連は悪役以外の何ものでもなくなる。


弁護士の数が増えれば、司法へのアクセスは今よりは確実に改善されるし、競争が激しくなればコストが下がる、というのも自明の理だ。


その結果として弁護士の生活の質が下がるかどうか、なんてことは、その業界にかかわりを持たない多くの国民には何ら関係のない話だし、「仕事の質が下がる」と言われても、“コストがかかりすぎることを恐れてアクセスすることすら躊躇っている”多くの人々にはとっては、“ないよりはマシ”の一言で片付けられてしまう可能性が高い。


そんな“いいこと尽くめの改革”をなぜ阻むのか、というのが、純朴かつ善良な市民の率直な感想だろうし、それゆえ天下の朝日新聞でさえ日弁連を批判する。


土建業界の人間に向かって“談合体質の悪弊”を説こうものなら、

「純粋な価格競争に走れば、工事の質が下がるだけだ!」

とムキになって反論するのは目に見えているが、少なくとも今のメディアでそのような反論を支持してくれるところはないだろう。


端から見る限り、日弁連の反論もそういった主張と何ら変わりはないように見えてしまうのだ。



いつもメディアの批判に曝されている側の人間にしてみれば、メディアなんて、所詮は読者を喜ばせる生贄を見つけて嵩にかかって叩くだけの価値のない存在じゃないか、と嫌味の一つもいいたくなるところだし、それゆえ、この機に、「それみたことか」と業界を批判するのは相当気がひける。


だが、普段メディアの尻馬に乗っている人が、こういったときだけメディアに抗しようとするのはいかにも格好悪い。


「人のふり見て・・・」などと、大上段に構えたことをいうつもりはないが、これを機に、“壮大な観念論”でいつも叩かれる側の少数者の声に耳を傾けるような法曹人が、ほんのちょっとでも増えてくれれば、と自分は願う。


「司法制度改革」の真の目的は、案外そんなところにもあったりするのかもしれないから・・・(笑)。

*1:これはこれで、「学校」サイドの自己防衛に過ぎないのかもしれないが。

*2:もちろん、確信犯的に世論を誘導している人もいるのだろうが、時に狂信的になる議論を見ていると、そういう冷静な人がそんなに多いとは思えない。

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