「和歌山市毒物カレー事件」最高裁判決が暗示するもの。

「1998年に和歌山市で起きた毒物カレー事件で、殺人や殺人未遂などの罪に問われた林真須美被告(47)の上告審判決で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は21日、被告側の上告を棄却した。5人の裁判官全員一致の判決。4人が亡くなった夏祭りの「惨劇」から10年9ヶ月。林被告を死刑とした一、二審判決が確定する。」(日本経済新聞2009年4月22日付朝刊・第39面)

一日遅れで最高裁のHPにも判決がアップされている。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090422164118.pdf


「死刑」のインパクトに加え、証拠が「状況証拠(情況証拠)のみ」だったことや、近年被告人自身が公に「自分は無実だ」という声を上げるようになった事情等を考慮したのか、各メディアが最高裁判決を10年前とはまったく異なるトーンで伝えているのが興味深いところではあるが、最高裁判決が以下で述べている3つの情況証拠(特に(1)、(2))だけでも、被告人の犯人性は十分に推認できるように思われることからすれば*1、心の底から結論に疑問を抱く人は少ないと思うし、筆者自身も大きな違和感は抱いてない。

「被告人がその犯人であることは,(1)上記カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜砒酸が,被告人の自宅等から発見されていること,(2)被告人の頭髪からも高濃度の砒素が検出されており,その付着状況から被告人が亜砒酸等を取り扱っていたと推認できること,(3)上記夏祭り当日,被告人のみが上記カレーの入った鍋に亜砒酸をひそかに混入する機会を有しており,その際,被告人が調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な挙動をしていたことも目撃されていることなどを総合することによって,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されていると認められる」(1頁)


引っかかるとすれば、最高裁が( )書きの中で片付けた、以下のくだりだろう。

「なお,カレー毒物混入事件の犯行動機が解明されていないことは,被告人が同事件の犯人であるとの認定を左右するものではない。」


テレビドラマや小説の中では重要視されることが多い(笑)「動機の解明」だが、これまでも、我が国の刑事訴訟において「動機」が本当に重視されていたのか、と言われれば大いに疑問の余地があるわけで*2、プロの法律家であれば、最高裁が付したカッコ書きも素直に受け止めることができるのではないか、と思う。


そして、裁判員制度の導入を目前に控え、短期に公判審理を終結せよ、という要請が強まる中で、今後は「動機」のような曖昧かつ裁判員を無用に迷わす恐れのある事柄は、公判前の整理手続でそぎ落とす、という運用になっていったとしても不思議ではないわけで*3、今回の最高裁判決はそのような動きを先取りしたもの、とも評価できる。



だが、ここで、上記判決を伝える日経紙の記事の中で紹介されている、次のような被害者遺族のコメントにも耳を傾ける必要があるだろう。

「なぜ娘が死んだのかわからないまま、とても事件を受け入れることはできない」


これは、今年の年頭のジュリストの特集の座談会*4で酒巻匡・京都大学教授が指摘されていた、

裁判員となる一般の方々は、社会的事実として真相は何かということをより強く解明したいと思っているかもしれない。ところが、法律家のほうは、今述べたような限界がある刑事裁判という制度の範囲内での「事案の真相解明」で満足しようとしている場合に、それが一般国民の方の普通の感覚とずれてしまうかもしれない。そこが裁判員との評議の際に露呈してくることがあるのではないか。」(201-202頁)

という問題意識とも共通する話だと思う(評議を行うという立場の「一般国民」と、“被害者”という立場の「一般国民」というフェーズの違いはあるが)。



「事件の全体像」の解明を求める声が強いからといって、「動機」まで含めて立証できなければ犯罪の成立を認められない、という帰結を導くのは明らかに理不尽だと思うが、この先、刑事裁判制度が変容していく過程で確実に生じるであろう「ズレ」をどうするか、という問題も看過できない。


今回の最高裁判決が暗示している“未来予想図”をどのように受け止め、咀嚼していくべきか。


今回の判決は、PDFにしてわずか3頁程度のあっさりしたものではあるが、そこから導き出される課題は決してあっさりしたものではない・・・・。そんな気がしている。

*1:しかも、検察側は他にも膨大な情況証拠を積み上げている、というのだから・・・。

*2:元々、厳密に立証するのが困難なものである上、Aという動機があれば必ずBという行動に出る、といえるような場合は極めて稀なだけに(何かのきっかけで「○○をぶっ殺してやりたい」という感情を抱いたとしても、それで○○氏を実際に殺害する、という行動に出る人間は100人に1人もいないだろう・・・)、犯人性や故意の有無を判断する上で「動機」を立証することの意義は、決して大きいとはいえないように思う。

*3:本件のような大型否認事件の場合、他のより重要な立証事項を審理するだけでも多大な時間がかかることが予想されるのだから・・・。

*4:ジュリスト1370号・特集「刑事訴訟法60年・裁判員法元年」[座談会・総括と展望]

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