グーグルの書籍検索サービスをめぐるクラス・アクションの和解案の件。
先日のエントリーでは軽く触れただけだったつもりなのだが*1、読者の皆様の反応は想像以上で、この問題に対する関心の大きさをうかがわせる。
で、続報としては、5月5日の回答期限が目前に迫る中で、グーグルら訴訟関係者が告知期間の60日間の延期許可を裁判所に求めた、というニュースが一つ*2。
そして、もうひとつ、我が国の権利者側の動きとして29日の朝刊に掲載されたのが、以下のような情報である。
「米インターネット検索大手グーグルの書籍検索サービスについて日本文芸家協会(坂上弘理事長)は28日、同協会に著作権管理を委託する作家ら約2200人がデータベースからの著作物の削除を希望していることを明らかにした。」
「約5%に相当する149人はデジタル化は認めるが、ネットなどでの表示は拒む方針」
「1割強の293人はデジタル化と表示を容認し、収益の分配を受けるという。」
(日本経済新聞2009年4月29日付朝刊・第34面)
厳密にソースにあたっているわけではないので、ややもすると正確さを欠くかもしれないが、これまでの情報を総合すると、
「和解案に乗った上でデータベースからの著作物の削除を申し入れた」
場合には、無断でデジタル化された部分に関して一定の和解金を受け取った上で、以後の利用を禁じることができる、ということになるから、これが権利者にとっては一番安心できるパターン、と言えるのは間違いないように思われる。
したがって、上の記事にあるように、文芸家協会に著作権管理を委託している作家のほとんどがこのパターンで処理したいと言ってきたとしても、それはそれで合理的な対応として理解することができる*3。
むしろ驚かされたのは、「1割強の293人」がデジタル化とネット上での表示を認容していることの方だと言えるだろう。
ここで、認容 or 拒絶のいずれのスタンスを取るのが権利者側のメリットになるのか、ということは、蓋を開けてみないと分からない。
経済的“損得”だけを考えても、損するか得をするかは、権利者、出版社の事情によって異なってくるだろうし、権利者にとってみれば、それ以外の要素も当然考慮に入れなければならないから、真剣に考えていくとなかなか難しい(&面白い)ところではあるのだが・・・。
なお、前回のエントリーに関するブックマークコメントの中でも既に議論されているように、本件で「和解案そのもののスキーム」に背を向けるのは、あまり得策とは言えないように思う。
元々ガチンコで米国法を準拠法に米国内の裁判所で訴訟をしたら、フェア・ユースの抗弁が認められる可能性も否定できないのであって、それでもあえて「和解案のスキーム」に乗っからずわが道を行く(=もしグーグルによる無断複製が行われた場合には、別途独自に米国で訴訟提起する)ことは、コスト的にも、戦略的にも、ちょっとどうなのかなぁ・・・?というのが自分の率直な思いなわけで、仮に、米国で訴訟を提起して請求が認めさせるくらい力のある権利者がいたとしても、それを積極的に“理想形”として持ち上げるのは、ちょっとどうなんだろう・・・と思わなくもない。
いずれにせよ、このような事態に直面して、権利者側がどのように動くか、という点を見届けるだけでも意味がある今回の一件。
今後の帰趨が気になるところである。
*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090425/1240702604
*2:詳しくは、http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/04/28/23313.html
*3:元々、我が国の権利者団体等がこの方向に持っていこう、というスタンスで動いているからそれに合わせた、という方がほとんどなのかもしれないが。