ここのところやることすべてが裏目に出ている(らしい)TBSが、起死回生の一打?として日曜劇場に投入した「官僚たちの夏」。
何かと暗い話題が多い今の日本では、懐古趣味的な作品の受けが妙に良いのは確かで、2年前の「華麗なる一族」に続いて、まぁいい線突いてきたんじゃないの?というのが率直な印象だ。
路面電車に街頭テレビ、初期の電化製品etc...
こういうアイテムを何となく懐かしく感じる人々が世の中にいる限り、この手の作品は受ける、というのは「Always三丁目の夕日」の爆発的ヒット以来、日本のエンタメ界における定説のようだから、さすがに今回は手堅く数字を取ってくるだろうし、これで外すようだと、本格的に屋台骨が揺らぐんじゃないの・・・、といらぬ心配もしたくなる。
もっとも、率直にいえば、今の時代に、“懐メロ”的な意味を超えて、このドラマの原作に込められたメッセージを改めて人々に知らしめることに、どれだけの意味があるのだろう・・・? という思いはある。
自分は、ちょうど就職を考えていた頃に、この原作に触れたことがあるのだが、その当時ですらもはや“時代錯誤的な感”を強く受けたわけで、あれから十数年たった今となってはなおさらだろう。
行政+政治がリーダーシップを取って国を動かしていかねばならない環境や社会情勢、というのは確かに存在するわけで、敗戦直後の数十年、「極度の貧困」から「豊かな暮らし」に向けて国家全体が血眼になって進んで行くことができた時代、というのはまさにその意味で政治家にとっても官僚機構にとっても幸福な時代だった、ということになるのだと思う。
だが、今はどうか。
国家的基盤がある程度出来上がって、複数の座標軸の下で、様々な国のあり方、人々の生き方が志向される世の中において、バランスよく物事を進める・・・という作業は、伝統的に我が国の立法・行政機構が最も苦手とする作業なわけで、政治家や役人が口を出せば出すほどおかしくなっていく、というのが、最近の傾向のように思えてならないだけに・・・。
“懐メロ”は所詮“懐メロ”でしかない。
ということを忘れるべきではない、と、個人的には思っている。