自由な意見を述べるのは悪いことではないが・・・

日経紙に、『「弁護士増員で質が下がった」同窓会サイトで高裁判事』というおどろおどろしい(笑)小見出しの記事が載っていた。


記事中で紹介されている「民事裁判はなぜ時間がかかるのか」というタイトルと、短い引用部分の結びつきが良く分からなかったので、ソース(函館ラ・サール高校の同窓会ホームページ)から該当記事の関係部分を引用すると、以下のようになる*1

民事訴訟における訴訟物、主張立証責任のルール等を簡潔に説明した後に・・・)
「このように説明すると、民事裁判は極めて簡単なように思われますが、実際には、そのようなわけにはいきません。なぜなら、弁護士のなかには訴訟物という法律用語すら知らない人や、訴訟物の存在を主張するための一定の事実(これを要件事実といいます。)を正確に理解していない人もいるのです。もちろん、本人が訴訟行為を行ういわゆる本人訴訟ならなおさらのことです。」

(貸金返還請求事件における実態を一例として取り上げたうえで・・・)
「もうお分かりでしょう。民事訴訟が遅延する一番大きな要因は、当事者が事実関係を十分に調査せず、したがって、主張すべきことを主張していないことによるのです。確かに、裁判所にも遅延要因がないわけではありません。一人の裁判官の手持ち事件数が多いことや、判決起案に時間が掛かり過ぎることも一因です。しかしながら、十分に事実を調査せずに、訴状を提出する当事者に多くの原因があるのです。」

ここまでであれば、巷でよく聞かれる実務家の嘆き、として、そんなに話題となることもなかっただろう。


さすがに「訴訟物という法律用語すら知らない」弁護士が今の世の中に早々いるとは思わないが*2、期日間の当事者代理人の準備の緩慢さが裁判上の解決の遅延を招いている事実は現に存在するわけで*3、裁判官席に長年座っている実務家のコメントとして、上記のような感想が出てくることは決しておかしなことではないと思う*4


だが、この後に続けて書かれた以下のくだりが物議を醸すことになった。

「このようなわけで、民事裁判が遅延しています。そして、我が国の裁判制度は、ある意味で、退化しているような気もしています。目下、小泉政権下における司法制度改革により、刑事裁判手続きにおいて裁判員制度が始まろうとしています。そして、この制度には賛否両論があり、いろいろと問題があるようですが、それよりも問題なのは、法曹資格者を毎年3000人程度に増員しようとしていることなのです。弁護士が増えるのは良いことでしょうが、良いことだけではないのです。先ずは、質の低下が危惧されますし、現に、私の法廷では、その傾向がはっきりと窺われます。法廷で、弁護士にいろいろと教示する必要がでてきているのです。その意味では、法廷がロースクールと化することもあります。さらに、法曹資格者の養成制度が変わり、今までは大学に在学しようが、卒業しようが、司法試験という試験にさえ合格すれば、司法修習生になることができ、それと同時に国家から給与が支給されるので、お金持ちの師弟でなくても、法曹となることが比較的に容易であったのに、今では、大学の法学部を卒業した上、法科大学院に入学し、多大な授業料を支払った上、司法修習生となっても国家からの給与は支給されないこととなり、すべて順調に行ったとしても、25歳にならなければ、自分で稼ぐことができず、その結果、裕福な家庭の子女でなければ、法曹となれないような制度ができあがってしまっているのです。また、弁護士が大増員された結果、弁護士としての収入が減り、弁護士という仕事の魅力が減殺されてきているのです。加えて、通常ならば、事件にならないものが、弁護士の報酬獲得のために、事件として裁判となることも容易に想像できます。日本は確実にアメリカ型のような裁判社会に一歩を踏み出そうとしています。そして、裕福な階層からしか法曹が生まれないことになりつつあるのです。」

確かに、現職の判事、しかも高裁の部総括、というポジションにおられる方のコメントとしては、思い切ったな、という印象を受けなくもないし、日経の記事の中でも、

「現職判事が司法制度をめぐり、半ば公然と批判するのは異例。」

とタイトルに負けず劣らずのおどろおどろしいコメントが付されている。


最後の数行や論述の分量などを見ると、末永部総括判事としては、上記引用部分後半の「裕福な家庭の子女でなければ・・・」というところに思いを込めて書かれたように読めるから(もちろん、ここにも突っ込みどころは満載なのであるが)、あくまで“添え物”でしかない「質の低下」議論の方を殊更に取り上げるのは正確な報道姿勢とはいえないように思えるし、「現職裁判官」だからといって、司法行政に対するあらゆる批判が許されないわけでは決してないはずで、“中の人もそう思ってたんだ”ということを知らせる意味で、上記のような「自由な発言」をされたこと自体は、肯定的に評価されるべきだと思う。


ただ、後半はともかく、前半部分については、“ご意見の中身”にクエスチョンマークを付けざるを得ないところがあるのは確かで、「定年を間近に控えた経験豊富な裁判官」の目から見た(相対的な)感覚にすぎない感想を*5、(客観的な)「質の低下」という結論に置き換えてしまっているあたりは、首をかしげざるを得ない。


国会答弁でもあるまいし、元々限られた範囲の読者を想定して書かれたに過ぎないであろう投稿の中身をもって、ドロドロしい話になることはないだろうとは思うけど、この先の反響がちょっと気になるところである。



なお、この「質の低下」問題については、以前から、筆者自身思うところがいろいろあるので*6、また別の機会に語ることにしたいと思っているのであるが、個人的には、自分が語る前にターゲットとされている「大増員時代の(若手)法曹」諸兄の反論にそろそろ期待したいなぁ・・・と思う次第。


別に挑発するわけじゃないけど(笑)、どんな世界でも“世代間闘争”は必ずあるわけだから「言われっぱなし」になる必要はないんじゃないか、と自分は思っている。

*1:既にあちこちのサイトで話題になっているようだが、念のため。以下、http://www.h-lasalle.com/alumnus/alumnus.php#1より引用。強調筆者。

*2:今の司法修習制度ができる以前に弁護士登録したような人でない限り、「用語」くらいは知っているんじゃないかと(苦笑)。

*3:もちろん、それが一つの作戦であったりすることもあるのだが、実際には当事者(会社)で頑張って資料を準備して期日に備えても、相手方の代理人から必要な書面が出てきていなかったり、時には「そんなに急がなくても大丈夫ですよ」と、自分たちの代理人にあしらわれたりして、イライラさせられることは多い。

*4:訴訟が多数係属している裁判所の場合、「確かに・・・」以降の問題も、当事者側の問題と同じくらい大きかったりするので、この辺は突っ込みが入っても不思議ではないが・・・。

*5:ベテランの域に達した裁判官が、若手法曹(そもそもこの投稿からは、教示した対象の弁護士が期の浅い“若手”なのかどうかもよく分からないのだが、一応そうだと仮定して。)の法廷での所作を見れば、相対的に頼りなく見えるのは当たり前の話なわけで、それは、同じ会社で長く仕事をしている人間の多くが、入りたての新入社員の能力を何だかんだ理由を付けて論難したがるのと何ら変わるところはないと思う(みんな「昔の自分」のことは都合よく忘れるものだから、そういう人々が非難の後に持ってくるフレーズは必然的に「昔は・・・」「俺たちの頃は・・・」になるものと、相場は決まっている(笑)。)

*6:本ブログで過去に書いたこともあると思うが、結論から言うと、自分の感覚は今の業界の多数説とは異なる。

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