やっぱり民主党はやることが・・・(笑)

夏休み選挙モードに突入する中、民主党マニフェストに“会社法の実質的な改正案らしきもの”を盛り込むらしい、というニュースが登場している。


しかし、その中身ときたら・・・

民主党が次期衆院選マニフェスト政権公約)に盛り込む新法「公開会社法」案の概要が明らかになった。上場会社が対象で、監査役会や監査委員会に従業員代表を起用するほか、親会社の株主が子会社役員に対しても損害賠償を求める株主代表訴訟の提起権を認めることなどが柱。政権をとった場合には直ちに国会への提出準備に入る。」
「相次ぐ企業不祥事の背景に企業統治ルールの不十分さなどがあると判断、同党プロジェクトチームが2年以上にわたり検討を進めてきた。」
企業統治では従業員の声を経営に直接反映させるため、委員会設置会社では監査委員会に、そうでない大半の企業には監査役会に、企業ごとの組合や産業別組合、連合などから、「従業員代表」の登用を義務付ける。現場の声を吸い上げる仕組みを採用することで、経営者に従業員が働きやすい環境づくりを促す」
日本経済新聞2009年7月23日付朝刊・第5面)

親会社株主の子会社役員に対する代表訴訟提起権に関しては、元々現行法制度上の不備として議論されていたところであるし、本格的に検討すべき話だとも思う。


他に挙がっている、「親会社や大口取引先、株式の持ち合い関係にある企業の出身者、取締役の親族などを社外取締役として認めない」、「会計監査人の選任議案や監査報酬の決定権を現在の取締役会から、監査役会に移す」といった点についても、“公開会社を対象とする”という前提に立つならば、一考の余地はあるところだろう。


だが、「従業員代表」云々については、どうにもいただけない。


社内できちんとした労働組合が組織されている会社であれば、労使協議なり団交の場なりで、直接的・間接的に経営に意見を述べる場はいくらでもあるのだから、あえて監査役会メンバーに加える必要は感じられないし、逆に労働組合が形骸化している、とか、そもそも存在しない、といった場合であれば、「従業員代表」を選出したところで、「現場の声」が反映されるとは到底考えられないから、あえてコストをかけて選出する意味が感じられない。


また、「産業別組合、連合」といったオプションは、後者のような場合を想定しているのかもしれないが、社内の労働組合から選出される「従業者代表」と、産別、ナショナルユニオンのようなところから選出される「従業員代表」とでは、法的にも事実上も、まったく意味が異なるはずで*1、ごっちゃにして簡単に議論できる話でもないだろう。


何の正当化根拠もないのに、労組の代表が中途半端に経営に首を突っ込んで会社を傾けた例はいくらでもあるから*2、あえてそれを「監査役会」等の会社機関に組み込むことによって、発言力に相応しい責任を負わせる、という発想は一応ありうるだろうが、そこまでの気概を持ってことにあたれる労働組合がどれほどあるというのか*3


結局、他の論点とは異なり、十分な議論の積み重ねもないまま、支持母体のご機嫌を取るために突っ込んだ「案」なのが見え見えなのだ。


本来会社組織を構成する最も重要な要素であるにもかかわらず、会社法が「人」に対してあまりに冷淡で、単に「資本」(=株主)*4の都合しか考えない制度設計をしてきたことで、いろいろな歪みが生じていることは確かだろう*5


それゆえ、「従業員」や「従業員代表」を会社法における権利義務主体として位置付ける、という方向性には、筆者自身は魅力を感じている。


ただ、それが“選挙の目玉”として、深い議論もないままに導入されようとしているのであれば、やはり、そこには“No!”を突き付けざるをえない。


これから夏の終わりまで、こんなトンチンカンな“構想”が飛び交っていくのを眺めるのはいい加減うんざりなわけで、どこかで誰かがピシャっと締めてほしいものだと思うのであるが・・・。

*1:前者については現行の労働法的発想と会社法的発想を融合すれば一応理屈付けすることは可能だが、後者についてはあまりに現行法の発想とかけ離れていて、法で監査役会メンバーに加えることを義務付ける根拠の説明すらままならない。

*2:かつての日産なんかが典型例。

*3:仮に連合や産別労組から人材を送り込む、ということになれば、物理的な人材の確保も大きな問題になる。世の中には「上場企業」が数多存在するのだから。

*4:強いて言えば取引債権者も入るか。

*5:企業再編における労働者の地位の問題などはまさにその典型だし、労働者のポジションが一部の社員や組合員が自社の「株主」として株主総会で会社と対峙するなどという不健全な状況(かつ一般株主にとっては迷惑極まりない行為)が時に生じている、というのもこの歪みの一事例、ということができるだろう。これは会社法の制度設計上の問題というよりは、一私法に過ぎない「会社法」を、あたかも企業運営に関する絶対的な“憲法”のように扱っているが故の問題、というべきなのかもしれないが。