歴史の始まり

いろいろとバッシングを受けながらも、蓋を開けてみれば順調なスタートを切った感がある裁判員裁判


日本中の注目を集めた第1号事件は、求刑懲役16年に対し、懲役15年の実刑判決という結果で幕を閉じた。


中には今回の判決における量刑が“重過ぎる”といった意見もあるようだが、「検察官の求刑とほとんど変わらない」とか、「遺族側代理人の意見の約8掛けになっている」といった見かけ上の数字の議論だけで、今回の評議の良しあしを語るのは、いくら何でも強引に過ぎるというべきだろう。


刑罰が「犯した犯罪行為」を単位として課されるものではなく、あくまで、被告人という個々の人間(その背景には、その人物が犯した社会的事実としての「事件」が存在する)に対して課されるものである以上、“量刑相場”などといったところで、所詮はフィクションに過ぎない*1


そして、今回、一番記録に接し、集中して審理を聞き、事件に関して議論を行ったのは、評議に加わった裁判員だけなのだから、その裁判員が決めた“結果”だけを取り上げてあれこれと制度批判のターゲットにするのは、あまり賢明な議論のようには思われないのである*2


なお、個人的には、検察官も被害者遺族も求める量刑水準を数字で打ち出してきている中で、弁護人だけが、ただただ「寛大な・・・」などと言っても始まらないように思うので、情状面だけを争うような事件であれば、弁護人側も積極的に希望の量刑を述べるような運用にしていった方が、被告人の利益には叶うように思うところ。


今後もあちこちで実務が積み重ねられていくことになるだろうから、その辺は、弁護人側の“知恵”にちょっと期待しつつ、見守っていくことにしたい。

*1:同じような類型の殺人行為(例えば別れた恋人を逆恨みして刃渡り15?のナイフで腹部を10数回メッタ刺しにして失血死させた、といったような・・・)をサンプリングすることは可能かもしれないが、被告人・被害者等の属性、両者の関係、反省の程度、遺族感情といった諸々の社会的事実を加味したうえで、なお「同種の類型」なるものを抽出し、“相場”を形成するのは、不可能に近い。

*2:もちろん、量刑判断の前提となる認定(今回の裁判でいえば「殺意の強弱」あたりの争点判断がこれに当たるのだろうか)に明らかにおかしな点がある、というのであれば話は別だが、そういった観点からの分析・検討は、なかなか聞こえてこない。単に、その辺をロジカルに分析できるだけの“コメンテーター”が傍聴席にいなかっただけなのかもしれないが・・・。

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