裁き裁かれて生きるのさ。

数日前のエントリーへのブクマに、「酒井法子で世間はそれどころではなさそうですね」と付けていただいた時は、まぁ次元の違う話だから・・・と思っていたのだが、こんなところでつながっていたとは、火曜サスペンス劇場もびっくりなどんでん返し。

最高裁は7日、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状が出た酒井法子容疑者が主婦役で主演した裁判員制度の広報用映画「審理」の使用を自粛すると発表した。裁判員制度への関心が高まるなか、イメージ低下を懸念したとみられる。」(日本経済新聞2009年8月8日付朝刊・第39面)

この1週間の報道によって裁判員制度は最大限周知されたはずだから、元々どれだけの人間が見ていたのか怪しかったような広報用映画なんて、もはや用なしになっていたともいえるのだが、それにしても・・・と、やりきれない思いは残る。


まぁ、「酒井法子容疑者」関係の報道がヒートアップすればするほど、関連映像として「審理」のワンシーンが流れる機会も増えるわけで、押尾学とともに連日の裁判員裁判報道に水を差した落とし前はきっちり付けている、ということになるのかもしれないけれど・・・。



ついでに言えば、これまで、「裁判員」として“人を裁く”心構えを持つことを説く宣伝素材は世の中にたくさん流布されているが、「裁判員によって裁かれる」ことへの心構えを持つことを、被疑者、被告人(及び将来そうなる可能性のある人=日本国民全員)に対して説くような宣伝素材は皆無と言ってよい状況だっただけに、これを機に役を裁判員役から被告人役に替えて、「審理2」でも作ってみたら面白いような気が(笑)*1

*1:ちなみに、実際には、被疑事実が覚せい剤取締法違反にとどまるのであれば、営利目的輸出入・製造罪にでもならない限り、裁判員法廷に被告人として登場することはない。念のため。

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