『審理』について。

まずお詫びしなければならないことが一つ。


先日のエントリーで、酒井法子主演の『審理』を揶揄するようなコメントを書いてしまったのだが、読者の方からいただいた情報により、この映画が原田昌樹監督(2008年2月28日逝去)*1の遺作であることを知った。


惜しまれつつ早逝された監督が、命を削るようにして撮られた作品に対してコメントするにしては、あまりに礼を失した対応であったと、我が身の不勉強を恥じるばかりである。


先日のエントリーを読んで不快な思いをされた読者の皆様、及び故・原田監督のファンの皆様には心よりお詫び申し上げたい。


なお、これに関連して、切通理作氏が自らのブログで以下のようなアピールを発表されている。

私は批評家、ノンフィクションライターをしております。
最高裁酒井法子主演、故・原田昌樹監督の裁判員制度広報用映画『審理』の配信及び公共施設での貸し出し、および上映活動の中止を決定したというニュースを知りました。
私はただいま、ライターとして原田監督の遺された言葉を集め、関係者の証言をいただいた本を作っております。
その過程で、原田監督の遺作である『審理』は癌で余命を宣告されていた中で、命を刻むようにして作っていった作品であることを知りました。毎日撮影が終わると、監督は自宅で倒れていたといいます。それでも、撮影現場の誰一人重い病気だと気づかなかったぐらい、気力を限界まで振り絞って作られたのです。
出来上がりは壮絶さのかけらも見せず、裁判を描いて、ここまで心がやわらかくなる映画が他にあっただろうかというようなテイストで、酒井法子演じるごく普通の主婦の視点で、裁判員制度に臨む人たちに、人が人を裁くのではなく、罪を裁くのだということをわかりやすく説いていました。
原田監督が生きているときにはまだ行われていなかった裁判員制度における法廷、つまり「未来法廷」。そこを描くということは、監督からいまの時代に放たれたメッセージ。
それが、こんな形で「封印」されてしまうなんて。
裁判員制度の第一回法廷が開かれた直後という、ある意味一番タイムリーな時期に、こんな「未来」が待っていたなんて。
酒井法子さんは原田組最後の主演女優でした。
覚せい剤の有罪性について論議があるのは知っています。でも、もし容疑が本当なら、酒井さんには、こういう影響がある立場の仕事なのだということに、もっと自覚を持ってもらいたかった。少なくとも、そういう信頼があっての上でのキャスティングだったと私は聞いています。
でもその前に、容疑の段階でのこの措置は、公平な裁判について描く広報映画への措置として、他ならぬ最高裁が、性急に下していい判断だったのでしょうか。
そのことを、疑問に思います。
また、作品そのものと出演した役者、制作に携わったスタッフの私生活とは区別して考えるべきではないでしょうか。
そしてこの作品を、最高裁が制作した作品として、歴史から消してしまうようなことに、もしなったとしたら、とても悲しいことです。今回の公開中止はあくまで一時的な措置であることを祈ります。
http://d.hatena.ne.jp/PaPeRo/20090807より。)

このアピールに対しては、自分にも共感できるところはある。


特に、“映画”のように多くの人々が製作にかかわっているようなものになってくると、主演女優とはいえその中の“たった一人”に過ぎない人物の“不祥事(しかも捜査段階)”で、作品そのものをお蔵入りさせるのはいかがなものか、という声が出てきても不思議ではないところだろう。



「「広報」を行う上では中身よりもイメージの方が重要になる」ということは、ちょっとこの手の仕事にかかわったことのある人なら誰しもが思い知らされていることだから、今回の映画を単なる“広報素材“と捉えるのであれば、いかにクライアントが法の番人たる「最高裁」だったとしても、(ほとぼりが冷めるまで)お蔵入りさせる、という判断をせざるを得ないだろうとは思う*2


しかし、今回の映画を一つの「文化・芸術作品」として見たときには、同様の判断をすることが妥当とはいえないように思うし、それは、主演女優が犯した罪が、単なる容疑を超え、確定判決によって認められたような場合であっても同じことだ。


少なくとも、現時点では「広報用映画」として世に生を受けた形になっている作品である以上、今後の『審理』の行く末がどうなるか、は、製作に際して交わされた契約その他の事情によって左右されることにならざるを得ないだろうが、筆者としては、仮に今後「広報素材」としてこの映画が世に登場する場面がなくなるとしても、一つの「芸術作品」として日の目を見る機会が与えられることを願うのみである。

*1:「平成ウルトラシリーズ」などを手掛けられた、知る人ぞ知る名監督で熱狂的な支持者も多い、と聞く。

*2:いかに犯罪の嫌疑の強い人物であっても、有罪判決が確定するまでは犯罪者扱いされるべきではない、というのは確かにその通りなのだが、「イメージ」が何よりも重要な広報・パブリシティの世界では、何ら法に触れる行為を行っていなくても“素材”から排除されることはありうるのであって(例えば、離婚や親族の不祥事によりCM契約を打ち切られる、なんて話はよく聞くところである)、新しい制度の清新なイメージを傷つけるおそれがある、ということになれば、そのまま使い続けることはやはり困難だと言わざるを得ない。