異様な意見広告

8月24日付けの日本経済新聞の第36面に、1面を丸々使った「意見広告」が掲載されている。


題して、

「一人一票」の実現のために最高裁裁判官に対する国民審査権を行使しよう!

なる広告。


本ブログではもう何度も取り上げているから、読者の方にあらためて説明する必要はないと思うが、これこそが今回の国民審査に新たな旋風を巻き起こそうとしている“政治団体”(笑)、「一人一票実現国民会議」の意見広告である。


で、周知のとおり、この団体がターゲットにしているのは、「涌井紀夫」「那須弘平」の両裁判官。


この広告の中でも、わざわざ対象となる最高裁裁判官9名の氏名を列挙した表を掲載し、その氏名欄の下に、

「2007年最高裁判決の中での「一票の不平等」についての意見」

の欄を設けた上で、上記両裁判官のところに

「一票の不平等を容認」

というコメントを付けて、「×」印を付す方向へ誘導しようとしている(しかも、投票所まで持っていけるように、という温かい心遣いからか、表の周りににはわざわざ切り取り線まで付いている)*1


“対談”の中で、株式会社イー・ウーマン社長の佐々木かをり*2

「合憲派の裁判官の個人名を挙げての運動は,個人の誹謗中傷になりませんか。」

という問いかけに対し、

那須判事と涌井判事が、一票の価値の不平等を、憲法に適合し公選法の規定は有効という意見であることを公表するのは個人の誹謗中傷ではありません。国民は判事の信任投票に当たり個々の裁判官が「一票の不平等」に賛成か反対かを知る権利があります。政党のマニフェストを知るのと同じです。この意見広告はその国民の知る権利に答えるものです」

と某弁護士が回答しているくだりなどは、正直、失笑を禁じ得なかった。


単に裁判官の意見がどういうものか,ということを知らせるだけなら、「一票の不平等を容認」などというバイアスのかかったコメントを付す必要はないのであって、その結論に至った理由を捨象し、出した結論だけで特定の裁判官をレッテル貼りするような行為は、「誹謗中傷」とまではいえないものの公平性の観点からは大いに問題があるものだといえるだろう。


しかも、この4年の間に出された何十件もある判決の中で、これだけを抽出して最高裁判事としての適格性を論じることにどこまで意味があるのだろうか?


政治の世界では、物事を単純化して二項対立で議論を進めることが日常茶飯事である。


先の総選挙での,郵政民営化賛成・反対=改革推進勢力or抵抗勢力論はまさにその典型例だし、遡れば、小選挙区制度導入の時の議論や、保守・革新といった色分けの議論の中でも似たような単純化は多分になされていたと思う。


だが、果たして、最高裁裁判官の国民審査は、そのような政治的色彩を帯びたイベントとして位置づけられるべきなのだろうか?


「司法の政治化」こそ、これまで多くの善良な法律家が怖れてきたことであり、憲法をはじめとする制度上も極力回避されるよう努められてきたことではなかったのか?


門外漢の経営者や学者ならともかく、曲がりなりにも法の世界で実務家として経験を積んでこられた方々が、上記のような運動になぜ肩入れされるのか、自分には全く理解できない。


国民審査制度が機能していない、だから、ある程度インパクトのある情報提供を誰かがしなければならない、という指摘には確かに一理あると思うが、だとすれば、他にいろいろな方法はあると思う。


例えば、前回の総選挙時に引き続き、「国民審査判断資料」を提供している長嶺超輝氏のサイト(http://miso.txt-nifty.com/shinsa/xxx.html)などを見れば、司法の分野に精通した人間が、どういう情報提供をすればよいか、というのは明らかなわけで*3、筆者としては、こんな「意見広告」が堂々と出されているのを見ると、「バッジを付けた人たちがいい年こいて何しとんねん」という思いを禁じ得ないのである*4


まぁ、人生いろいろ、裁判官もいろいろ、法律家もいろいろ・・・ではあるのだが。


世の中には起きなくていい風もある。


補足

なお,「国民会議」が問題としている平成19年6月13日の最高裁大法廷判決について,当ブログでも解説を補充したので,ご関心ある方がいらっしゃれば,http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070717/1187493770まで。

*1:さすがに全国紙での広告で裁判官の個人攻撃を露骨に行うことは躊躇したのか、「×を付けるべき」という主張は、あくまで“対談”に出てくる久保利、升永両弁護士の“意見”として紹介されているに過ぎないが、それでも普通の読解力のある人なら、この広告の意図は明確に理解できるといえるだろう。

*2:中立なインタビュアーを装っているが、この方もあくまで発起人の一人に過ぎない。この種の広告にはよくあることだが。

*3:専ら出した結論の当否に着目して色分けがされている点では上記意見広告と大差ないし、指摘されている内容の適切さについても議論の余地はあろうが、多様な視点を提供しているという点では、ずっとクオリティは高いと思う。

*4:こういうのを見ると、バッジの有りナシなんて関係ないんだろうと思う。長嶺氏のセンスと見識に常日頃から敬服している筆者としてはなおさら・・・・。

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