パブリシティ権侵害判断基準の落ち着きどころ

昨年、第一審判決において、

「芸能人等の氏名,肖像の使用行為がそのパブリシティ権を侵害する不法行為を構成するか否かは,その使用行為の目的,方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して,その使用行為が当該芸能人等の顧客吸引力に着目し,専らその利用を目的とするものであるといえるか否かによって判断すべきである。」

という基準により、権利侵害が否定された「ピンク・レディーパブリシティ権侵害事件。


この基準及びあてはめについては、当時の記事*1の中で疑問を呈していたところであるが、やはり、知財高裁まで争われ、(結論こそ同じだが)微妙にトーンの異なる判決が出されることになった。


以下では、その控訴審判決を見ていくことにしたい。

知財高判平成21年8月27日(H20(ネ)第10063号)*2

控訴人:X1、X2
被控訴人:株式会社光文社


本件で控訴人側は、原審の判断基準を「余りに抽象的すぎて不十分」と指摘したうえで、以下のような主張を行った。

「原判決が行ったように,記事の体裁等の形式面のみにとらわれ,「専らその利用を目的とするもの」との要件を余りに限定して解釈すると,芸能人の肖像等を紹介記事等に相当多数使用したとしても,使用者が「記事の一部として必要な範囲である」などと言い逃れしさえすれば,パブリシティ権侵害は成立しないこととなり,実質的に紹介記事等を装った脱法的な肖像等の無断使用の道を開くこととなってしまう。」
パブリシティ権侵害の判断基準としては,「当該出版物と表現の自由の保障の関係を顧慮しながら,当該著名な芸能人の名声,社会的評価,知名度等,そしてその肖像等が出版物の販売促進のために用いられたか否か,その肖像等の利用が無断の商業的利用に該当するかどうかを検討することによりパブリシティ権侵害の不法行為の正否を判断する」(東京高裁平成16年(ネ)第4076号平成18年4月26日判決・判例時報1954号47頁,判例タイムズ1214号91頁)との基準によるべきである。そして,その具体的基準としては,(1)写真がその記事に必要な範囲を超えるものかどうか,(2)写真の掲載方法が通常モデル料が支払われるべき週刊誌等におけるグラビア写真としての利用と同視できるか否か,を基本的な判断基準としながらも,写真の大きさや記事の内容自体が出版物の販売促進のために用いられたか,つまり,当該芸能人の顧客吸引力に着目して雑誌販売による利益を得る目的でそれらの写真を利用したものといえるか否かをも加味して判断されるべきである。
「そもそも,著名人がその肖像等が有する顧客吸引力を経済的な利益ないし価値として把握し,このような経済的価値を独占的に享受することができる財産的地位を有するとされるのは,その著名人の名声・社会的評価・知名度等が世の中に知れ渡るまでには,天賦の才能等に加え,相当の精神的,肉体的な修練とその修練を積み重ねるにつき必要不可欠な出費に耐える労苦とを要し,そのような著名性を得るに至った際には,その著名人がその固有の名声・社会的評価・知名度等を表現する機能がある肖像等が具有する顧客吸引力に係る経済的価値を独占的に享受することは,当該著名人が努力した上記のような修練,労苦等のもたらす当然の帰結であるからである。ところが,当該著名人の顧客吸引力を利用することに伴う多大な経済的効果に目を奪われて,当該著名人の肖像等を無断で利用する者が現れるのであって,このような無断の商業的利用から上記の著名人の財産的地位を保護するためにパブリシティ権の概念が発達し,判例の積み重ねにより,その権利性が明確に認められるようになってきたものであって,このようなパブリシティ権の趣旨からすれば,雑誌の記事において著名人の肖像等が無断使用された事案においては,記事や写真の内容が当該著名人の肖像等を無断で商業的に利用しているといえるかどうかについて判断することが最も重要であると考えられる。」

「商業的な利用」かどうか、というのがパブリシティ権侵害のキモであるのは、控訴人の上記主張のとおりであり、原審判決に対する批判及び補充主張としては、上記主張は“満点答案“に近いものだといえるだろう。


そして、控訴人は、原審の事実認定の誤り*3も指摘し、本件写真の使用について控訴人の承諾がないことを念押しして、逆転に賭けた。


これに対し、裁判所が下した判断は以下のようなものである。


まず、裁判所は、パブリシティを、

「氏名は,人が個人として尊重される基礎で,その個人の人格の象徴であり,人格権の一内容を構成するものであって,個人は,氏名を他人に冒用されない権利・利益を有し(最高裁昭和58年(オ)第1311号昭和63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照),これは,個人の通称,雅号,芸名についても同様であり,また,個人の私生活上の自由の1つとして,何人も,その承諾なしに,みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有するもの(最高裁昭和40年(あ)第1187号昭和44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)であって,肖像も,個人の属性で,人格権の一内容を構成するものである(以下,これらの氏名等や肖像を併せて「氏名・肖像」という。)ということができ,氏名・肖像の無断の使用は当該個人の人格的価値を侵害することになる。したがって,芸能人やスポーツ選手等の著名人も,人格権に基づき,正当な理由なく,その氏名・肖像を第三者に使用されない権利を有するということができるが,著名人については,その氏名・肖像を,商品の広告に使用し,商品に付し,更に肖像自体を商品化するなどした場合には,著名人が社会的に著名な存在であって,また,あこがれの対象となっていることなどによる顧客吸引力を有することから,当該商品の売上げに結び付くなど,経済的利益・価値を生み出すことになるところ,このような経済的利益・価値もまた,人格権に由来する権利として,当該著名人が排他的に支配する権利(以下,この意味での権利を「パブリシティ権」という。)であるということができる。」(11頁)

と定義した。


そして、そのうえで、

「もっとも,著名人は,自らが社会的に著名な存在となった結果として,必然的に一般人に比してより社会の正当な関心事の対象となりやすいものであって,正当な報道,評論,社会事象の紹介等のためにその氏名・肖像が利用される必要もあり,言論,出版,報道等の表現の自由の保障という憲法上の要請からして,また,そうといわないまでも,自らの氏名・肖像を第三者が喧伝などすることでその著名の程度が増幅してその社会的な存在が確立されていくという社会的に著名な存在に至る過程からして,著名人がその氏名・肖像を排他的に支配する権利も制限され,あるいは,第三者による利用を許容しなければならない場合があることはやむを得ないということができ,結局のところ,著名人の氏名・肖像の使用が違法性を有するか否かは,著名人が自らの氏名・肖像を排他的に支配する権利と,表現の自由の保障ないしその社会的に著名な存在に至る過程で許容することが予定されていた負担との利益較量の問題として相関関係的にとらえる必要があるのであって,その氏名・肖像を使用する目的,方法,態様,肖像写真についてはその入手方法,著名人の属性,その著名性の程度,当該著名人の自らの氏名・肖像に対する使用・管理の態様等を総合的に観察して判断されるべきものということができる。そして,一般に,著名人の肖像写真をグラビア写真やカレンダーに無断で使用する場合には,肖像自体を商品化するものであり,その使用は違法性を帯びるものといわなければならない。一方,著名人の肖像写真が当該著名人の承諾の下に頒布されたものであった場合には,その頒布を受けた肖像写真を利用するに際して,著名人の承諾を改めて得なかったとして,その意味では無断の使用に当たるといえるときであっても,なおパブリシティ権の侵害の有無といった見地からは,その侵害が否定される場合もあるというべきである。」(11-12頁)

と、侵害判断に際しては、表現の自由や「許容することが予定されていた負担」との相関関係的判断を行うべきであること、肖像写真の無断使用の問題とパブリシティ権の侵害判断は別異に判断すべきである旨を述べた。


従来から議論されていた「表現の自由」に加え、後者の「社会的に著名な存在に至る過程で許容することが予定されていた負担」をも比較衡量に挙げているのが、本判決の注目すべき点だといえるだろう。


そして、上記基準を元に、控訴人の主張を、

「出版における正当な報道,評論,社会的事象の紹介のための著名人の氏名・肖像の利用も許されない結果となるおそれも生じることからしても,控訴人らの主張は一面的に過ぎ,採用し得ないというべきである。」(13頁)

と退ける一方で、被控訴人が依拠していた原審の判断基準(「専ら」基準)についても、

「その使用行為が「専ら」当該芸能人等の顧客吸引力の利用を目的とするか否かによるべきとする点は,出版等につき,顧客吸引力の利用以外の目的がわずかでもあれば,そのほとんどの目的が著名人の氏名・肖像による顧客吸引力を利用しようとするものであったとしても,「専ら」に当たらないとしてパブリシティ権侵害とされることがないという意味のものであるとすると,被控訴人の主張もまた,一面的に過ぎ,採用し得ないというべきである。」(13頁)

と字義通りには採用しないことを明確にした。


そして、本件への当てはめについては、

(1)本件雑誌記事の記載の内容
(2)本件写真は,通常の読者がグラビア写真として鑑賞の対象とするものとしては十分なものとは認め難く,本件写真が週刊誌等におけるグラビア写真の利用と同視できる程度のものということもできないこと
(3)本件記事を全体として見た構成において,必ずしも控訴人らの写真が本件記事の中心となっているとみることができるものではないこと

といった事実を認定し、

「本件写真の使用は,ピンク・レディーの楽曲に合わせて踊ってダイエットをするという本件記事に関心を持ってもら
い,あるいは,その振り付けの記憶喚起のために利用しているものということができる。」
「本件写真は,控訴人らの芸能事務所等の許可の下で,被控訴人側のカメラマンが撮影した写真であって,被控訴人において保管するなどしていたものを再利用したものではないかとうかがわれるが,その再利用に際して,控訴人らの承諾を得ていないとしても,前記したとおり,社会的に著名な存在であった控訴人らの振り付けを本件記事の読者に記憶喚起させる手段として利用されているにすぎない。」
「以上を総合して考慮すると,本件記事における本件写真の使用は,控訴人らが社会的に顕著な存在に至る過程で許容することが予定されていた負担を超えて,控訴人らが自らの氏名・肖像を排他的に支配する権利が害されているものということはできない。」
(15-16頁)

と本件判断基準の下でもパブリシティ権侵害にはあたらない、と判断したのである。


* * * *


個人的には、今回の判決を読んでもまだ腑に落ちないところはある。


「記憶喚起(目的)」というのは、侵害を否定する理由としては最も説得的なフレーズだとは思うが、

「ピンク・レディーが昭和50年代に子供から大人に至るまで幅広く支持を受け,その振り付けをまねることが社会的現象にさえなったことに照らし,本件雑誌の購入者中には,当時や現在においてピンク・レディーのファンであるなどで,本件記事にピンク・レディーの氏名・肖像が登場したことによって購買意欲を高められ,本件雑誌を購入した者が仮にいたとしても」(17頁)

と、判決でも仮定的に指摘されているように、単なる振り付けの図解のみならず、肖像写真そのものを掲載した行為に、購買意欲喚起の効果があったことは否定できないだろう*4


また、本件が「表現の自由の保障」を正面から持ち出すべき場面とは思えないし、本判決が挙げた「控訴人らが社会的に顕著な存在に至る過程で許容することが予定されていた負担」という点についても、今売出し中のアイドルならともかく、“既に栄光を極めた過去の大スター”の写真を現在使用している、という文脈で比較衡量が必要なのかどうか、という疑問は残る。


もちろん、原審の安直な基準が事実上否定され、相対的には緻密(に見える)判断基準が示されたことは、今後生じるであろう事案を適切に判断していくために有意義であるのは間違いないところで、控訴人にとっても決して“無駄骨”ではなかったと思うのであるが・・・。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080725/1217132551

*2:第4部・滝澤孝臣裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090828131843.pdf

*3:「専ら」基準によったとしても侵害を肯定できる。

*4:そもそも、写真を載せなければ「記憶喚起」ができなかったのかどうか、そのあたりの検討は乏しいように思われる。

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