ある経営者の訃報に接して思うこと。

新聞の片隅にひっそりと掲載されていた訃報。


特に故人に関する情報等が付されることもなく、お亡くなりになった日付と死因、年齢及び葬儀に関する情報だけが淡々と記されている、よほど注意力のある方でなければ見過ごしてしまいそうな記事。


だが、自分には7年前の記憶がなぜか蘇ってきてしまった。

高野義雄氏(たかの・よしお=東京スタイル社長)
8月30日、食道がんのため死去、75歳。(以下略)


2002年に「村上ファンド」が仕掛けた、日本初の本格的プロキシー・ファイト(当時の表現)は、「村上ファンド」と村上世彰知名度を爆発的に高めるとともに、守る側の会社への注目度も格段に高めた。


その会社が、一アパレルメーカーに過ぎなかった東京スタイル


そして「守る側」を代表して、メディアに自らの正当性を訴えていたのが、同社の高野社長である。


どちらかといえば、世間では「改革者」としての村上世彰に比して、ヒール的な取り上げられ方をすることが多かった東京スタイルと高野社長だが、委任状争奪戦では完全に勝負に勝った格好になったし、その後の総会決議取消訴訟等でも状況が変わることはなかった。


あれから7年。


一方の主役が半ば強制的に土俵から排除される形になってしまったことと、サブプライム・ショックの影響で、議論自体尻切れトンボに終わってしまっている感があるが、潤沢な内部留保を大胆に株主に還元する方向に舵を切るのか、それとも、会社の安定的持続のために内部留保をキープするのか、という議論は、今でも、そしてこれからも全ての会社に共通して問題になることだと思うし、その意味で「東京スタイル」事件が果たした意義は大きかったと思う*1


今のような不況下では、「内部留保を削って・・・」なんて言い出すこと自体憚られるが、いずれ陽が戻れば同じような議論は、またどこかで出てくることだろう。


一方の主役の死去、という重大時においても、政権交代の後追いに追われてか、この話題に言及しているメディアが見られないのが残念でならないのだが*2、歴史の一ページが閉じられた今こそ、あらためて議論を深めるべきではないかと思うのである*3

*1:当時、自分はちょうど仕事を離れて好き勝手に議論できる立場にいたから、散々言いたい放題言っていたような気もする。

*2:自分が単に知らないだけかもしれないが、少なくとも日曜日までの日経本紙と他紙も含めたネットニュース上では確認できていない。

*3:なお、東京スタイル村上ファンドの要求を撥ねつけた直後は、一部の無責任な“評論家”が、「だから業績が良くならないんだ・・・」的な論評を東京スタイルに対してしていたこともあったが、決算の数字を見る限り、同社の業績は、今の不況に差し掛かる以前までは堅調に推移していたし(少なくとも08年2月期までは)、配当に至っては、最終赤字に陥った2009年2月期ですら減配せずに乗り切る手堅さを見せている。調子に乗って成長&株主還元政策を描いていた多くの会社が、前期ゼロ配当に転落したことを考えるとこの手堅さは称賛されてしかるべきだろう。

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