「2000年問題」の対応に追われて年末年始スタンバイしていたり、「新世紀祝い」で静かに祝杯を上げていたりしたのはつい昨日のことだと思っていたのに、早いもので21世紀に突入してからはや10年目になる。
これまで、自分が過去の出来事を整理する時の年代カテゴリーは、「80年代以前」「80年代」「90年代」「それ以降」というふうに分かれていて、正直2000年以降(正確にいえばそのちょっと前に学校を卒業して以降)は、みんな“最近のこと”という分類に振り分けていたのだが、どうやらそうも言ってられそうにない*1。
昨今の政治・経済情勢などを見ている限り、これから先の10年間、新聞の年始特集に載っているようなスケジュール通りに世の中が進んでいくとは到底思えないのだが*2、それでも昨日までに起きたこととは違う、何らかの新しい出来事が、この先10年の間に猛スピードで自分に襲いかかってくるのは間違いないわけで。
昨年の大晦日に「歳をとるにつれ、(大晦日に)来年のことを考えるよりも、今年のことを振り返るようになってきた」と呟いておられた方がどこかにいたと思うが、自分の場合、まったく反対で、歳をとるたびに(特に30歳を過ぎてからは)年が代わる頃には、その年にあったことはほとんど頭からすっ飛んでいて、新しい年になった瞬間には、もう去年のことは忘れている・・・そんな状態である。
その理由の一つが、単に加齢により物忘れが激しくなった、という現実にあることは否定しないが(苦笑)、それ以上に、浅薄な人生経験の中でも、
「チャンスも(その裏にあるピンチも)必ず順繰りに巡ってくるのだから、一つひとつのエピソードをいちいち振り返って思い出し喜び(&憂い)をしても仕方ない」
ということを感じたことが、大きいのかなぁ・・・と。
心身のコンディションをきちんと保って*3、自分の目の前にある道を一歩一歩進んでいけば、望んだポストに昇進したり、ベストマッチングな転職ができたり、難関試験に合格したり、素敵な異性に出会ったり...etcといったチャンスは必ず巡ってくる(もちろん、チャンスと思った瞬間に陥る落とし穴にもじきに遭遇することになるのは間違いないが・・・)。
半信半疑ながらも、何となくそう思えるようになったがゆえに、20代の頃*4に比べれば、ずっと穏やかな気持ちで、新年を迎えられるようになったんだろうと思う*5。
本ブログの読者の方の中には、もしかしたら年を越しても、
「あの時、エージェントに頼んで大手電機メーカーの●社に職務経歴書送ってもらっておけばよかった・・・」
とか、
「論文試験の民法の第2問の小問1で、●●の要件についてもっと丁寧に書いておけばよかった・・・」
とか、
「前々から想いを抱いていた魅力的な●●氏に対して告白する時のセリフとシチュエーションとタイミングを、刑法の答案構成並みにもっと練り込んでおくべきだった・・・」
などと、旧年のグダグダを引きずっている人が少なからずいらっしゃるのかもしれないが、旧年までの能力なり魅力なりを維持していれば、いずれはリベンジないし、別のチャンスが巡ってくる類の話なわけで*6、引きずるより前に、「目の前のことを一歩一歩作戦」に転ずることをお勧めしたい。
以上、自戒も込めて。
まぁ、つい数年前まで、同じようなことで引っかかってた筆者如きに言われるのは癪なことこの上ないだろうけど、そこは一つ、新年のめでたさに免じて、お許しいただければ幸いである。
それでは、良い初夢を。
*1:かといって、「10年代」という言葉が定着するかどうかは怪しいけど(平成○○年代、という数字とごっちゃになりやすいので、メディアでもそれなりに気を使った表現を考えるだろうと思われる)。
*2:たとえば、2011年に「子ども手当を月額26000円に増額」がなされるとは到底思えないし、今の衆院議員の任期は2013年8月よりずっと早く終わる可能性が高い。2014年の「公明党結党50周年」とか、翌年の「自民党結党60周年」なんて、ほとんどブラックジョークに近いような気がする。オリンピックとW杯くらいは予定通り巡ってきてほしいというのが個人的な思いではあるのだが・・・(日本経済新聞2010年1月1日付朝刊・第14面〜15面参照。
*3:これが一番難しいことだったりするのだが。
*4:というか、つい数年前までそうだったな・・・。
*5:それゆえ、「新年の計」なるものを振りかぶって元旦に立てることについても、自分はかなり消極的である。状況は常に変化するし、それを見通す能力が自分にない以上、「計」を立てることに大した意味はないだろう、と。
*6:旧試験に関しては、試験の機会自体がなくなる寸前なので、このように言い切れるのか微妙なところはあるのだが・・・。