日本航空の再建をめぐって、激しい綱引きが繰り広げられている今日この頃。
今の社長が就任した頃から「経営的に危うい危うい・・・」と言われていた会社だし、今さら慌てるような話でもないと思うのだが、“ナショナル・フラッグ”にこだわりを持つ人々にとっては、やはり深刻な問題ということなのだろう。
「法的整理」といったところで、破産手続きや特別清算のスキームに載せるわけではなく、あくまで再建型手続きで、という話なのだから、日航という会社が直ちに消滅する、というわけではない。しかも、最近の再建型手続きはかつてのような硬直的なものではないし、報道によると減資すら回避される可能性があるとのこと。
逆に、いくら「私的整理」といっても、巨額の債権放棄を取引金融機関に求めなければならなくなった時点で会社としては死んだも同じで、与信がしっかりしている会社なら、ここと大きな取引を新たに始めることには躊躇せざるを得ない。
結局、現在検討されている案による限り、どちらの道を取ったとしても、実質的にはほとんど変わらないのであって、後は、上っ面のイメージの問題に過ぎない。そして、そのイメージにしても、メディアの伝え方如何でどうにでも変わる。
傍から見ている分には、何のためにこせこせした議論をしているのかサッパリわからないのである*1。
極論を言うなら、かつての国鉄改革の時のように、高コスト体質と歪んだ労使関係、そして悪しき政治介入を断ち切るための新しい受け皿会社でも作って、旧来のしがらみをきれいさっぱり流して再出発できるなら、それに越したことはないと思う。
そして、そこまでは期待できないとしても、これだけ引っ張ったからにはせめて、「公益性・公共性」という美名に隠された内向きの論理に毒され、胡坐をかいて座っている人々に強烈なインパクトを与えられるくらいの解決策は出てきてほしいものだ*2。
「法的整理」とか「私的整理」とかいったフレーズはこの際どうでもよいわけで、問題は中身、それも過去の清算をどうするか、という話ではなく、これからの会社の中身をどうするか、という話の方だと思うのであるが・・・。