昨シーズン、予定調和的に最下位、そしてJ2転落の憂き目をみたジェフユナイテッド市原・千葉。
降格が決まった時は、もうこのまま二度と浮き上がってこれないんじゃないか、という不安を抱いていた筆者だが、江尻篤彦監督の留任、そして、先日行われた新体制会見で、
「1年でのJ1への昇格を必ず勝ち取ります」
という力強いメッセージが発せられたことで、胸をなでおろしつつある*1。
これに続く、
常に、「その先」である来シーズン以降を見据えることを忘れず、チーム成長をさせるために全力を注ぐとともに、全てにおいてより高い要求水準を設定し、活動してまいります。
というメッセージも良い。
そして、長年のファンにとって何よりも嬉しかったのが、ジェフの歴史を作ってきた中堅、ベテランの選手たちが、次々と千葉の地に戻ってきたことである。
市立船橋高校での全国優勝を引っ提げて1995年にジェフ入団。その後、2004年シーズンまで10年にわたってレギュラーとして活躍し、暗黒時代からオシム体制初期までを経験した33歳。背番号4と「センターバック」という表現が良く似合った名DF*2。Jリーグ通算350試合出場。元日本代表。
経験を評価されてか、昨季は名門ジュビロで主将まで務めた。
双子の弟・寿人(現・広島)とともにジュニアユースから育った生粋のジェフ生え抜き選手で、2000年にトップチームの選手としてリーグ戦にデビュー。2003年のオシム監督就任後、豊富な運動量を評価されてレギュラーに定着し、以後、ボランチという地味なポジションながら2007年までの5シーズンで26ゴールを挙げた。2007年には阿部の後を受けて主将にも就任。Jリーグ通算220試合出場。元日本代表。
アマル解任騒動など、チーム内のゴタゴタに嫌気がさしたのか翌シーズンには京都に行ってしまったが、京都で2季目の昨シーズンは主将を務めるなど、リーダーシップあふれるスタイルは依然として健在である。
こちらもジュニアユースから上がってきた生粋の生え抜き選手。1998年にトップ昇格し、2001年ベルデニック体制下でレギュラーに定着。左サイドからのピンポイントクロスはある種の芸術で、彼の脚から蹴りだされたボールがチェ・ヨンスや巻誠一郎に通った瞬間に、スタンドのサポーターは甘美なゴールシーンが生まれることを確信したものだ。
全盛期だった2004年のオフに、茶野と共にジュビロへ移籍。日本代表に選出され、ドイツW杯を目前に控えた時に重傷を負うなど、移籍後は山あり谷あり、といった感もあったが、晴れて地元・千葉に帰ってきてくれたのは嬉しい限りである。Jリーグ通算228試合出場。
高校選手権得点王の看板を引っ提げ、滝川二高から1999年にジェフ入団。当時暗黒期だったチームにとっては、阿部や佐藤兄弟と並ぶ数少ない希望の星であった。
相手DFの裏に抜け出す一瞬のスピードの速さゆえ、試合終盤の「切り札」として重宝されており、特にオシム監督就任後は、3季で13ゴール。
結局、2005年シーズン終了後、レギュラーとして出場する機会を求めて京都に移籍することになったが、今回久々に“スピードスター”として、層の薄くなったジェフFW陣の戦列に加わることになった。Jリーグ通算235試合出場、28得点。
佐藤勇人選手以外は、既に30歳前後になっている選手たちであり、元所属チームでも「戦力外」扱いされて帰ってきた選手たちであることは事実だが、ジェフでプロ選手としてのキャリアをスタートさせ、低迷期から黄金期(その草創期)までチームの浮き沈みを経験し、そして、他のチームで主将なりACLなり、といった様々な経験を積んだ選手たちが、この苦しい状況の中で、チームに戻ってきたことは非常に大きいと思う。
もちろん、宿敵レイソルも1季での復帰を狙ってくるだろうし*3、昨年激しい昇格争いを繰り広げたヴァンフォーレ、サガン、そして石崎監督率いるコンサドーレなどライバルは多いのだけれど、かつてのベルマーレのように、降格と同時にチームが空中分解するような事態は避けられるんじゃないだろうか。
まだ開幕カードが発表されたばかりだが*4、今年の夏は、うまい具合にアウェー戦が続いて、四国・九州ツアー(北海道でも良し)が組めれば良いなぁ、と今から楽しみにしているところである*5。