「権利制限一般規定ワーキングチーム報告書」に思うこと。

先週、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会に提出された「権利制限一般規定ワーキングチーム報告書」。
http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/housei/h21_shiho_07/pdf/shiryo_3_2.pdf


報告書の冒頭でも書かれているように、これはあくまで「議論のためのたたき台」に過ぎず、今後、行われるであろう小委員会での白熱した議論の、いわば“前振り”に過ぎないのではないかと自分は思っている。


だが、それでも、著作権法改正に直結する委員会のWTにおいて、このようなまとまった形の報告書が出された意味は大きいわけで、今後、“フェアユース”をめぐる議論の出発点として、この報告書が随所で活用されることは間違いないだろう*1


そこで、現時点で、自分が気になっている点を以下でいくつか挙げるとともに、今後の“フェアユース”をめぐる議論の行方について占ってみることにしたい。

裁判実務や立法府の機能の過大評価?

総論的には、いわゆる米国型の“フェアユース規定“に消極的なスタンスを示した、と評価されている今回の報告書。


確かに、この報告書には、これまで導入推進派が依拠してきた論拠に対する、冷ややかな姿勢が見え隠れしている。

「CCIA調査報告書の結果のみをもって、米国著作権法第107条のフェアユース規定による経済効果の根拠とすることはできず、この報告書のみをもって、権利制限の一般規定を導入することにより大きな経済的効果が産まれるか否かについては確認できないとの意見で一致した」(10頁)

というくだりなどは、まさにその典型だし*2、報告書の中でかなりの分量が割かれている「比較法的観点」からの評価も、“外国に倣え”的なキャッチフレーズの下で、“フェアユース推進“を訴えてきた人々にとっては、あまり芳しいものではないのだが*3、ここで取り上げる、

「個別権利制限規定の解釈論の限界」論や「個別権利制限規定の改正等による解決の限界」論

に対する報告書の冷ややかな姿勢もなかなかのものだ。


まず、本報告書は、前者(解釈論の限界)について、以下のように述べる。

「我が国の裁判実務においては、個別権利制限規定の解釈等において、解釈上の工夫や民法の一般規定の活用等により、各事案に応じた妥当な解決を図っている実態が認められるという点で意見の一致を見た。」(4頁)

そして、そのうえで、脚注1〜8記載の判決例(「参考資料3」に関係する判旨部分を引用したものが掲載されている)を「妥当な解決を図っている実例」として挙げている。


また、後者についても個別の権利制限規定の審議会上程時期から施行日までの期間(「参考資料4」)と、著作権関係民事訴訟における審理期間(「参考資料5」)を比較したうえで、

「少なくとも個別権利制限規定の改正による解決に限界があるという問題点をもって、権利制限の一般規定の必要性を導くことはできないとの意見で一致を見た。」(6頁)

という結論を導いている。


これまでの膨大な著作権判例の中で、ごく一部(しかも、必ずしも統一された規範としてのコンセンサスを得ていないような)の判決を取り上げて、「妥当な解決を図っている実態」と言ったところでどれだけ説得力があるか疑わしいし、ウォールストリート・ジャーナル事件や、ラストメッセージin最終号事件の判決で示されたような説示*4を見る限り、事案に応じた柔軟な解決の可能性を汲み取るのはかなり難しいのであるが*5、本報告書ではその点についてあまり深く掘り下げられることもなく、「既存の権利制限規定の下での裁判所の法解決による解決」に対して妙に前向きなスタンスが示されているのは、ちょっと気になるところである*6


また、後者については、法改正の要望を出しても直ちに審議会の議題として上程されるとは限らない、という状況の下で、「審議会上程時期からカウントした改正までの期間」と、「民事訴訟の審理期間」を単純比較する、というやり方に、ちょっと引っかかるところはある。


だが、これまで「常識」のように語られていた前記「限界」論に、懐疑的な目を向けた本報告書の意義はそれなりに大きいのは間違いないところである。

導入反対派の従来の主張に対する“肩すかし”?

先に挙げたような導入推進派の論拠に対する評価もさることながら、本報告書で非常に目立つのは、「導入反対派」の従来の主張(及びその論拠)に対して言及しているくだりである。


たとえば、

「権利制限の一般規定を導入することにより、いわゆる居直り侵害者が蔓延するという指摘」(7頁)

とか、

「権利制限の一般規定を導入することにより権利者側の負担を増大させ、実質的な公平性を欠く結果になる可能性がある」

といった指摘に対して、報告書で一応の回答が示されている。


もっとも、その回答の内容と言えば、

「かかる指摘を念頭に、規定振り等を検討する必要がある」

といったレベルのものにとどまっており、ワーキングチームとして、真正面から明確な判断・評価を下すには至っていない。


元々、仮定的、観念的な指摘に過ぎない代物だけに、議論して結論まで出すのは不可能だったのかもしれないが、このようなスタンスが、今後の具体的な規定の作成にどのような影響を与えるのかは、ちょっと気になるところである。

「営利要件」や「同一性保持権」の存在の軽視?


既に報道されているとおり、この報告書においては、もっぱら「「形式的権利侵害行為」及び「その態様等に照らし著作権者に特段の不利益を及ぼさないと考えられる利用」への対応」を中心に検討が進められている。


本報告書の表現をそのまま引用すると、

A「その著作物の利用を主たる目的としない他の行為に伴い付随的に生ずる当該著作物の利用であり、その利用が質的又は量的に社会通念上軽微であると評価できるもの」(31頁以下)
B「適法な著作物の利用を達成する過程において不可避的に生ずる当該著作物の利用であり、その利用が質的又は量的に社会通念上軽微であると評価できるもの」(35頁以下)
C「著作物の表現を知覚するための利用とは評価されない利用であり、当該著作物としての本来の利用とは評価されないもの」(36頁以下)

ということになる。


元々はより広いイメージでとらえられていた“フェアユース”による恩恵を、まずはこれらの態様の行為に限って与える、という方針が適切なのかどうかは、既にあちこちで議論され始めているし、今後審議会等でも議論を詰めていけばよいのではないかと思っているのだが、個人的には、議論の前提として、

「利用行為の非営利性」要件を独立して設ける必要はないか?」
著作者人格権のうち、同一性保持権を制限するために特別の規定を設ける必要はないか?」

という点には、注意が必要であるように思う。


まず、前者について、本報告書では、

「営利性の有無は上記アの要件(注:「著作権の種類、用途、利用の態様等に照らし社会通念上著作権者の利益を不当に害しない利用であること」)において考慮することが可能であるため、アに加えて非営利性を独立した要件として特に設ける必要はない。」(33頁など)

と述べられている。


だが、現行の個別権利制限規定(38条1項等)にも先例がある「営利か非営利か」という基準*7の方が、「・・・に照らし、社会通念上云々かんぬん」という予測を立てにくい規範よりも、一般人にとっては分かりやすいのではないかと思われる。


著作権法が「創作保護法」であって、「競争規整法」とは性格が異なる(ゆえに「営利」「非営利」という基準は本質的に馴染まない)という伝統的な見方が存在するのは事実だとしても、このような基準をあっさりと放棄してしまうのは勿体ない、という印象を自分は受けた。


また、本報告書においては、「著作者人格権」との関係について、専ら「公表権」との関係を問題とするのみで、「同一性保持権」については、

「多くのケースでは、第20条第2項第4号により改変が認められることになると考えられる」(34頁など)

と、あっさりと片づけられている。


しかし、著作権法20条2項4号の「やむを得ない改変」規定の解釈が、これまであまりに厳格に過ぎた感があったことを考えると、果たしてこんなにあっさり整理してよいものなのかどうか*8、首をかしげざるを得ない。


「参考資料2」に掲載された日弁連の意見にもあるように、著作財産権を制限する「一般規定」を導入するのであれば、それに合わせて「第50条の再検討」も行うのが本来の筋だと思う。

刑法的観点からの指摘の存在感の大きさ

今回の報告書を読んだ一番の感想は、「明確性の原則」の観点から繰り出される以下のような意見が、“フェアユース規定”導入推進論者にとって一番「高い壁」として立ちはだかっているのではないか?というものであった。

「本章第1節2において分類したAからCの類型では、利用の質的軽微性や量的軽微性が前提になっているところ、利用の軽微性の判断に当たっては、刑罰を科すほどの当罰性を備えるかという判断が恣意的に行われる可能性もあり、立法に当たっては、十分注意をする必要があるとの意見が大勢であった。」(48頁)
「特別刑法である著作権法の場合は、法政策性の強い法定犯であるため、刑法における違法性阻却事由と同列に論ずるべきではなく、権利制限の一般規定を導入するに際しても、可能な限り法令上で要件を明確に定める必要があるとの意見が大勢であった」(49頁)
判例の蓄積がなされた後にフェアユース規定が成文化された米国と異なり、その蓄積がない我が国において、米国著作権法107条のようなフェアユース規定を導入することは、「明確性の原則」の観点からも問題であるとの意見があった」(49頁)

権利制限規定は、著作権法上の基本的な刑罰規定との関係ではあくまで違法性阻却事由(ないし構成要件阻却事由)となり得る規定なのだから、仮にそれが「不明確」と評価されるが故に行為者との関係で問題が生じた場合には、原則として処罰しない方向で運用すれば済む話ではないか、と個人的には思っているのだが、緻密な立法を志向する我が国において、まっとうなルート*9で改正法の案文を作ろうとすれば、結構な難作業になってしまうのは間違いないように思える。


これまであまり議論されることがなかった、前記観点からの議論を今後どのように詰めていくか、が、今回の「権利制限に関する一般規定導入」の動きを実現化させる上で、大きなポイントになるように思えてならない。

今後の議論の行方

さて、今回の報告書を概観して、そこにこれからの著作権法制にとっての明るい兆しを見るか、それとも失望のタメ息しか出てこないか、は、人それぞれだと思う。


自分は、個別の権利制限規定をパッチワークのように継ぎはぎしている現在の不効率なやり方を改めるために、たとえ適用対象が限定されていても、まずは第一歩として「一般条項的な」規定を盛り込むことに意義があるのではないか、という方向に傾いているのだが、今回の報告書で示されたA〜Cの類型が、果たして「一般規定」として著作権法に盛り込まれるのかどうか、ということさえも、今の段階で見通しを立てることは難しい*10


むしろ、今回の報告書に意味があるとすれば、それは、従来「厳格」と思われていた(そして多くの裁判官や既存の法律家がそう思っていた)裁判所による個別権利制限規定や民法の一般条項の解釈を「柔軟なもの」と評価したことにあるのではなかろうか。


既に述べたとおり、数多ある著作権紛争のうちの、ほんの一握りの事例に過ぎない裁判例の存在をもって、このような評価をするのが妥当かどうかは疑問も残るところであるが、実際の裁判例の評価としての是非はともかく、

「現在の権利制限規定の下でも裁判所は柔軟な解釈を行うことができるし、むしろそうすべきであること」

を暗にほのめかすような前記の記述は、未だ一般規定なき我が国において、裁判所に、そして、見えないリスクに日々立ち向かわないといけない世の法律家(特に企業法務の人間)に、少なからず希望を与えるものであるように思われる。


現に、「参考資料」71頁以下に具体的事例として挙げられているケースの中には*11、あえて一般条項によってカバーさせなくても、既存の権利制限規定(特に「引用」条項)の解釈によってカバーできるものも多いように思えるのであって、今回の報告書が、

「安易な一般規定の導入によるのではなく、既存の権利制限条項の解釈運用によって妥当な解決を導く方向性」

を示唆しているもの、と理解することも十分可能であるように思えるのだ。


おそらく、年内にはこの問題にもある程度の決着が付くのだろうが、「一般規定」がどのような形で導入されるにせよ、既存の権利制限規定の活用にも目を配る、という心構えだけは失ってはいけない・・・そんな気がしている。

*1:結論部分で含みを持たせた表現が多用されているだけに、フェアユース推進派にとっても反対派にとっても、使い道は大いにある報告書だと思う。

*2:もっとも、かねてから反対論者が指摘しているように、この報告書の数字だけを振りかざしてフェアユース導入を訴えるのは、いささか勇み足なのも事実で、報告書が示した判断は、まぁ妥当かなぁ・・・というところだと個人的には思っている。

*3:「権利制限の一般規定について、政府レベルで導入を検討しているとした国はなかった」(15頁)というくだりもあるし、大陸法著作権法制を採用している国(ドイツ、イタリア等)に比べ、米国型フェアユース規定を採用している諸国の特殊性と法的不安定性が浮き彫りになっている感がある。

*4:「明文の規定を離れて著作物の公正な利用となる場合があることを認めることはできない」という趣旨の説示。

*5:もっとも、過去にフェアユースの主張がなされた事件の多くが、原告(権利者)が勝つのがある意味当然、という事案(フェアユースを抗弁として用いること自体が少々無理筋と言わざるを得ない事案)であるのは事実だし、近年の判決では、フェアユースを全否定するのではなく、「法理を適用ないし類推適用する余地」にも示唆されている(ただし、結局は事案に照らして適用しない、との結論に落ち着くのだが・・・)点にも注目する必要はあろう。

*6:もしかすると、ワーキングチーム内に裁判所関係者が入っていることが、影響しているのかもしれない、などと変な勘ぐりもしてみたくなる。

*7:もちろん、どこまでが非営利で、どこからが営利か、という区別は難しい上、営利企業にとっては極めて不利(何をやっても「営利」と認定される可能性が高いため)な基準であることは間違いないのだが。

*8:そういえば、本報告書を作成したワーキングチームに参加している某判事のコートでは、同号を“柔軟に“解釈した判決も書かれていたこともあったかもしれないが、そのようなスタンスが今の東京地裁知財部や知財高裁に浸透しているかと言えば、ちょっと疑問は残るところである。

*9:盗撮防止法案のように、議員立法で通そうと思うなら、ユルユルの規定でも何とかなってしまうのかもしれないが(苦笑)。

*10:もしかすると、従来の個別権利制限規定のちょっと緩いヴァージョン、くらいの意味合いしか持たない規定になってしまうかもしれない。

*11:特定の会社(某インターネットサービス事業者)から出されたであろう項目がやたら多いような気がして、当該会社の担当者の方に対しては同情を禁じ得ない。