「あと一歩」が遠かったシンデレラの悲劇。

フィギュアスケート女子で2008年世界選手権4位の中野友加里(24)=プリンスホテル早大大学院=が今季限りで競技の第一線から退くことが3日、分かった。近日中に記者会見する予定。」
日本経済新聞2010年3月4日付朝刊・第41面)

「今春のフジテレビ入社」が既定路線になっていた以上、今季開幕当初から囁かれていた結末ではあったのだが、

「23日開幕の世界選手権は、左股(こ)関節炎を理由に欠場し、補欠の鈴木が代わって出場することが3日、日本スケート連盟から発表された。」

ということで、結局、昨年の全日本フィギュア3位を最後に、国際舞台での花道を飾れないまま引退することになってしまった、というのは何とも寂しい*1


2002年の世界ジュニア選手権2位で日本の黄金時代の先陣を切り*2トリノ五輪シーズンの2005-2006年に一気にブレイク。


鮮やかなスピンと、巻き足ながらも勢いのあるジャンプで、NHK杯優勝、GPファイナル3位と突き進んでいた頃は、誰しもが彼女の時代の到来を予感したし、その後、世界選手権に3年連続出場し全て入賞(最高位4位)、GPファイナル3度出場、全日本フィギュアでも3位3度、と安定した成績を残してきたのも、実にあっ晴れだったと思う。


ただ、なぜか、五輪にだけは手が届かなかった。


今考えても、トリノ五輪シーズンの「ドン・キホーテ」は、彼女にとって一世一代のフリーのプログラムで、“シンデレラ”と呼ばれたあの頃の勢いを象徴する、完成度の高いものだったと思う*3


ゆえに、あのシーズン、国内選考で彼女が正当な評価を得ることができていれば、五輪まで一気に駆け抜けて、それなりの成績を残すことはできたことだろう*4


だが、現実は、全日本の結果と五輪への執念で荒川・村主の後塵を拝した上に、“政治的配慮”が色濃く漂う選考システムにより、全日本フィギュアの成績でもそのシーズンの実績でも圧倒的に勝っていたはずの安藤美姫選手に、最後の一枠をさらわれてしまった。


トリノ選考をめぐる批判の影響もあってか、4年後、選考システムは改まったが、今度は、皮肉にも「GPファイナル日本人最上位」という基準で安藤美姫選手に一枠をさらわれることになってしまったし*5、4年前の中野&ドン・キホーテを彷彿させるような一世一代のプログラム(ウェストサイド・ストーリー)を武器に大躍進した鈴木明子選手に0.17点差で敗れたあたりなどは、もはや悲劇としかいいようがなかった*6


これも人生、という言葉で括るしかないのだろうか。


最後の記者会見で、彼女からどんな言葉が語られるのか、ちょっと注目してみることにしたい。

*1:念願の五輪出場を逃した今、傷んだ体に鞭打ってまで大会に出るモチベーションを維持できるとは考えにくいわけで、四大陸選手権を同じ理由で欠場した時点で何となく予想はできたことだったのだが・・・。

*2:翌年の太田由希奈選手から日本勢3連覇。

*3:スペイン奇想曲火の鳥も(あと今年のショートのオペラ座の怪人も)決して悪くはなかったのだが、全般的にあの時のような伸びやかさは微妙に欠けていたような気がする。

*4:今年の鈴木明子選手と同じく、8位入賞は果たせたんじゃないか。

*5:4年前に同じ基準が採用されていたら、中野選手に内定が来ていても不思議ではなかった(厳密にいえば2005年のGPファイナルの日本人最上位は浅田真央選手だったが、彼女には出場権がなかったし、安藤選手は同じ大会で中野選手を下回る4位だった)。

*6:今季の実績を考えると、仮に中野選手が勝っていても、五輪の切符を取れるかどうかは微妙なところだったが、負けたことで名実ともに鈴木の後塵を拝することになってしまった・・・。

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